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2007年10月

2007年10月15日 (月)

今週のヤンタンをオレはこう聴いた。

ヤンタンがある土曜日の夜はオレはだいたい仕事をしている。聴けるのはだいたい日曜の夜になるのだが、やはり気になってネット掲示板の実況及び関連スレッドを確認したりしている。10月13日の放送に関しては、前日にMBSのホームページに載っていた「道重、逆切れ!?」という文字を見た時から胸騒ぎがしていた。そして、実況以外にもやや過激で扇情的とも思えるタイトルの関連スレッドが物凄いスピードで消化されていった。

そもそもスレッドを立てている人が煽りを楽しんでいるきらいがあるのだが、更にここにさまざまな思惑を持った人たちが集い、放送や音源を聴いていない人たちによって話があらぬ方向に広がっていくというのがいつもの流れだ。ヤンタン関連で、これほど関連スレッドが盛り上がったのは本当に久しぶりではないだろうか。

番組冒頭では、物販用の撮影のためのメイクをしていた道重さゆみに対し、明石家さんまと村上ショージがいつもとは別人のようだ、大人っぽいなどと絶賛する。さんまはもう普通にさゆのことを親方と呼んでいるのだが、そこには悪意のようなものはなく、さゆもヤンタンにおいてはもう割り切っているようでもある。

リスナーからのメールを紹介する「前略」のコーナーにおいて、高橋愛が中学3年生の頃に実は音楽関係の高校に推薦入学が決まっていたという話題になる。ここで、さゆが「すごーい!」とリアクションしたことに対し、ショージがさゆの相槌が時々おかしい時がある、何でもかんでも相槌を打てばいいものではない、物凄い邪魔な時があるなどと指摘する。この後も度々さゆの相槌に対して突っ込みが入れられ、今日の放送はこの方向でいくという路線が暗黙のうちに決定づけられていく。おそらくこの辺りが番組終盤での問題場面への伏線になっていたのだろう。

これ以外ではさんまが話している最中にショージがいつものようにくだらない突っ込みを入れるのに対し、さんまが「お前は入ってこんといて。いま真面目な話してるから」というやり取りが繰り返され、これが笑いにつながっていた。

また、亀田大毅についての話題では、さんまがまだ若いのだからあせることはないという話をし、さゆにも事務所は色々言ってくるだろうが自分のペースで良いというようなニュアンスのことを言い、さゆも「自分らしくってことですね」などと反応している。その直後に、将来の夢を聞かれてさゆが「かわいいお嫁さんになることです」と答え、さんまが冷たくスルーするというオチになるのだが、これにショージが大げさにうれしそうに反応する。ここ以外でも、さんまの振りに対してさゆがかわいいお嫁さんと答え、さんまがスルーするという流れがもう1箇所あった。

芸能人で誰に似ているかという話題では、さゆがベッキーに似ていると言われたことがあると言っていた。さんまはこれに納得しながらも、彫が深く、きれいな北京原人みたいだ、内山信二にも似ていると指摘する。これは骨格からの連想だったり、内山信二についてもさんまが内山君もかわいい顔していると言っていたことから、さゆヲタがよく言う大きな赤ちゃんというのに近いニュアンスだったと思われる。さんまを擁護するつもりは一切ないのだが、実際に番組を聴いてみてそんな風に感じた。

「道重親方のコーナー」は、これまでで最もさんまとの絡みがうまくいっていたと思えるし、何よりも鉄板である姉重ネタが大いに受けていた。今回はトイレに入ったまま寝てしまった話と「こんうさピー」でも話していた下着を着けるのを忘れたまま外出した話だったが、さんまは「ジミーちゃんと一緒や」「分かる分かる、そういう奴おるわ」といったもので、険悪なムードは一切無かった。

「村上ブログのコーナー」では、最後のさゆの読みが噛み噛みで、さんまが「ずっと圏外やないか」「君の途切れ途切れトークが気になって内容は全然分かりませんでした」と言って、コーナーが終了。しかし、この場面でもさんまはさゆの読みのダメっぷりを笑っているという印象で、悪意は感じられなかった。

そして、問題の場面は番組最後の「リスナーを癒せません」のコーナーである。この日の放送では高橋愛ちゃんが文化祭で喉をやられたらしく、終始ハスキーな声だった。このコーナーにおいては、これが有利に働き、いつもよりもセクシーな読みができていた。これに対して、さんまが「な?得しとるわ。ずっと声嗄らしとけ」と言う。これに乗っかるかたちで、さゆが「この為に」と言う。これ自体には全く問題はないと思うのだが、さゆの発言に突っ込んでいくというこの日の放送の流れから、さんまが「親方、余計なこと、余裕こいてる場合やないねん。何がこの為にとか訳の分からんフォローしてけつかるねん」と言う。すかさず「すいません」と謝るさゆだが、ここでショージが追い討ちをかけるように「いらんこと言うな」と言う。ここで、おそらくさゆの中で何かが切れてしまったのだろう。「必要なことだけ言います」というさゆの声のトーンは、かつて聞いたことがない種類のものだった。

さんまとショージの笑いのトーンからも、悪意は無く、あくまでいつもの共演者弄りの延長だったのだろう。しかし、おそらくさゆには相当堪えていたと思える。自分が良かれと思って頑張ってなるべく喋ろうとするが、それが空回りしてしまう悔しさ。本当に混乱して、どうしていいか分からなくなってしまったのだろう。それでも何とか負けないようにと一生懸命頑張っていた。それが、ショージの「いらんこと言うな」で切れてしまったのだろう。

こんな状態だが、健気に「癒せません」のセリフを読むさゆに対し、さんまは「それ、全然ちゃうやろ、お前、なぁ。お前、犬みたいな顔すんな、ほいで。悲しそうな顔してこっち見やがって」。これに対して、さゆは堪え切れずに「しゃべっていいのか分かんない」と言う。次の瞬間、さんまは「しゃべってええねん、ラジオやから」、ショージは「それはええねん。それはええねん」と大爆笑。さんまは、面白さの絶頂で発するあの奇声のような「ヒャーッホー」という笑い声をあげている。

掲示板のレスでは、この場面のさんまとショージが陰湿にネチネチとさゆを苛め抜いているようなニュアンスのようなものが多かったが、オレはそういう風には聴かなかった。おそらくいつもの共演者弄りのパターンを悪ノリしてやっていたら、以外にもさゆがそれらを真剣に受け止めていたということに対する驚きの部分が大きいだろう。確かに50過ぎの大御所の芸人が10代の女性アイドルを泣きそうになるまで追い詰めるのはどうかという問題はあるし、オレもそういうのは大嫌いだ。しかし、これがさんまの芸風であり、そこにニーズがあるのだから仕方がない。要はそのどうしようもない現実を踏まえてどう行動するかということなのだと思う。オレたちもまたどうしようもない現実に対して、適当にあしらったりとことんまで闘ったりといった色々なやり方を手を替え品を替え繰り出して、何とかやり繰りしている訳だ。オレにとってさゆがリアルなのは、おそらくこういうところなのだろうと思う。

「いま、鉛筆投げてはりましたで、先生に」と、ショージがさんまにチクリを入れる。この後、愛ちゃんが2本目のセリフを読むのだが、音源をよく聴くと、さゆが鼻をすすって泣くのを必死で堪えているように聞こえる。さゆが鉛筆を投げるような攻撃的な態度に出ることは滅多にない。しかし、内には常に強い感情を秘めている。今回の件は、それが一気に噴出したようなものなのだろう。さゆの2本目に入る前のさんま、ショージの笑いながらもちょっと慌てているような様子、また、これまでさゆにキツいことを言っていたショージが「道重、頑張ろう」などと言っていることから、この推測はおそらく当たっている。

エンディングでは、さんまが説教モードに入る。「鉛筆投げたらあかんよ。そんな、前のパーソナリティーに腹が立ったって。知らない、とか。その態度は、みちし...親方、ちょっとあかんかったのと違うか?」。普段のさんまのセクハラ、パワハラに対して我慢していた積もり積もったものが一気に爆発したのが今回の行動なのだろうが、さんまには一切悪気はないので、意味が分からない。しかし、さゆは納得していない。「反省します」と言っているが、その声のトーンには内に秘めた強い意志を感じさせる。ここでできる精一杯の抵抗なのだろう。「反省してないやないか、その言い方は」と言うさんまに対しては、「反省?後悔してます」と切り返す。この辺り、さゆの言語感覚の鋭さに感動した。反省と後悔とは全く違うし、オレも日頃これを使い分けているから、この発言には心が震えた。この辺りのニュアンスが全く理解できないさんまは「え、後悔?やっちゃったこと?せやろ。思わず出たってことはおかしなことやからな。オレらのこと、ちゃんと先輩として認めてない証拠や。何言ってんの?っていう感じやろ、お前としては」などと言って悦に入っている。更には「だからリーダー、高橋もお前、道重ダメよと今日終わってから注意しとかな」などと言っている。しかし、もう遅いねやw

「オレらに対して鉛筆投げたこと謝れよ、ちゃんと」と言うさんまに対しては、「ごめんなさい」と、これまたかつて聞いたことがないようなふてくされたような口調。都合のよい論理で丸め込もうとする薄汚いオトナには騙されない、意志的で力強いまっすぐなまなざしを感じた。これでこそ、さゆだ。さゆがオレが想像していた本質にあまりにも近く、これこそがオレがさゆを好きな理由なのだということが実感できて、感情が高ぶった。さんまが更に正論めいたことを並べ立ててさゆを諭そうとするが、「はい」と答えるさゆ声のトーンは変わらない。「カチンときたの、ちょっと?」と懐柔に出ようとする態度には、「多少」と冷たく言い放つ。最後の名前を言うところでは「道重さゆみでした」と暗いトーンで言い放った後、いつもの明るい声で「さようならー」。完璧すぎる。

さゆにとっては感情のふり幅が大きいつらい放送だっただろうと思う。しかし、これはオレが思うさゆの魅力がフルに発揮された伝説的な音源として、オレにとっては大切な宝物になった。さゆと同じ時代に生きられる奇跡とは、なんて幸福なことなのだろう。

おやさゆみんノシ

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