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2008年7月14日 (月)

現代の罪悪感に対してどう対処すべきか。

今から14年前の話だから、道重さゆみはまだ黄色いバスに乗って、踏み切りの近くのあの幼稚園に通っていたのだろう。オレは深夜のバイトとレコード屋とガールフレンドの家との間を移動しながら生活していた。シーケンサーに入力したサウンドが生気に欠けた新鮮味が感じられないものばかりになっていることには、すでに数ヶ月前から気付いていて、そろそろ曲がり角のところでどっちへ行きべきか考えなくてはいけないと思っていた。

都内の私立大学に通っていたガールフレンドが学校に行っている間、オレは彼女の部屋でCDを聴いたり雑誌を読んだり、日記を盗み読んだりして過ごしていた。その中に、ベックの「メロウ・ゴールド」があった訳だが、フォークやブルーズといったアメリカの伝統的音楽を現代風に料理したという程度にしか感じられず、特に聴きこむようなこともなかった。デビューしたばかりのオアシスがNMEで話題になり始め、ブラーが新曲「ガールズ・アンド・ボーイズ」において、前作の伝統的英国路線からディスコ・ポップに路線変更、プライマル・スクリームは70年代ストーンズ風クラシック・ロックでオレの期待を裏切り、その数週間後にはカート・コバーンが自殺した。そんな時代。

ヒップホップ風のリズムにのせて、気だるい調子でラップするベックというアーティストは、色白で金持ちっぽい印象があった。「オレは負け犬。殺してくれないか」というサビを持つ「ルーザー」は大好きだったが、あまりオレが好きなタイプのアーティストではなかった。

ところが、それから2年後、つまり道重さゆみが小学校2年生の頃に発売されたアルバム「オーディレイ」が、オールド・スクール・ヒップホップとインディー・ロックが大好きなオレの趣味にズッポリハマった。これは本当によく聴いた。もう永久ループではないかと思えるほど。ベック「ホエア・イッツ・アット」、アンダーワールド「ボーン・スリッピー」、ドッジー「グッド・イナフ」は、オレにこの年の夏、それも下北沢を即座に思い出させる。

その後、半ば義務的に新作が出る度に買っていて、フォークだったりプリンス風ファンクだったり、出た当初は何度か聴くのだが、「オーディレイ」ほど熱心には聴かず、そのうち新作が出ても買ったり買わなかったりという状態になった。iTunesに残ったのは「オーディレイ」だけになったし。

今回、「モダン・ギルト」という新作が出ること、また、ヒップホップ畑のデンジャー・マウスが共同プロデュースしていることを知った時も、数ある音楽ニュースの1つぐらいにしか思っていなかったし、先行トラックの「ケミトレイルズ」を聴いた時も、「随分とこれはまた地味な曲だな」という印象しかなかった。おそらく好きなタイプの音楽ではあるのだろうが、オレはもうそういう理由で音楽を聴かないし、もっとこう目の前に見える世界にあらたな地平を開くというか、そのような物をこそ必要としている。だから、近頃は夜、都会だったらボビー・コールドウェルだとか、海、夏だったら山下達郎だとか、概念というよりは幻想としての楽園ばかりを志向する、どんどんと気分重視の音楽生活になりつつあった。メッセージの強いロックだとか自意識過剰なニュー・ウェーヴとか鬱陶しくて仕方ない。「シャニムニ パラダイス」の方が1,000倍気持ちいいぜ、というそんな気分だったのだ。

ではなぜ、ベックの「モダン・ギルト」を、やがて消え行くであろうCDというアナクロチックなフォーマットで買ったのかというと、米ローリング・ストーン誌の論評を読んだからなのだ。タワー・レコード新宿店の洋雑誌売り場で見かけたそれは、夏合併号であり、表紙にはバラク・オバマ米大統領候補のポートレートと、文字は「ローリング・ストーン」のロゴのみというシンプルなもの。しかし、そこに力を感じた。

「オーディレイ」が先端的かつ超ポップであったのは、ダスト・ブラザーズのプロデュース・ワークによるところも大きい。という訳で、今回共同プロデュースを行うデンジャー・マウスというのは、過去にビートルズの「ホワイト・アルバム」とジェイ・Zの「ブラック・アルバム」を勝手にゴタ混ぜにして「グレー・アルバム」なんていうのを作ったり、かと思えば一昨年にはナールズ・バークレーなるユニットで、「クレイジー」という曲を全英チャート10週連続第1位にしてしまうといった才人であり、大いに期待が持てるわけである。結果、10曲33分捨て曲無しというコンパクトかつエッセンシャルな内容であり、フォーク、カントリー、ヒップホップといった様々なジャンルのポップ音楽が高度に交わった優れた作品になっている。だからといってご陽気なポップス集なのかといえばそんなことはなく、確かにポップではあるのだが気分は陰鬱であり、鬱だからといってそれに沈殿するのかといえばそういうこともない。気分が優れないからといって仕事に行かなくていいのは親に養ってもらっているうちであり、大人はどんなに嫌でも何とかやり続けていかなくてはいけないのだ。その目的が何であれ、その先にある未来がどうであれ、とにかく今目の前にあることをやり遂げなくてはならない。これを出来るようになることが、大人になるということなのだ。では、そこにある消えない憂鬱の正体というのは何なのか?その上で、必要とされるポップという力が、なぜこれほどにリアルで、オレを勇気づけるのか。

このアルバムのタイトルトラックの歌詞はこのように始まる。「街を歩くとイライラする。家に帰ると寒気がする。何もかもがオレを攻撃しているように思え、10分前にすでに忍耐はブチ切れてしまった」。そして、サビでは「オレが何をやったか知らないが、なぜだか恥ずかしい気分になる」「オレが何をやったか知らないが、なぜだか恐ろしい気分になる」と歌う。前述のローリング・ストーン誌では、これを「世界が終末に向かい、自分もそれに加担しているように思えるが、だからといってそれに対して何をすればいいか分からない」状態と表現している。また、気だるいリズムと美しい弦楽器が印象的な「ウォールズ」という曲では、「いつか世界は想像する以上にもっと悪くなるが、どうやって生きていけばいいだろう」と歌われ、さらに同様の悲観的な自問は続くのだが、最終的にこう結論づける。「オレたちは与えられた魂をもってベストを尽くしていく」。オレはここに、過去のゴスペルやソウル・ミュージックに見た救いの音楽を、同時代のリアリティーを持って感じた。

昨年、大阪での道重さゆみによって覚醒されたオレのあるべき感情というのは、けして幻覚ではなく、明らかなリアリティーである。そこにいた道重さゆみという当時18歳になったばかりのアイドルの存在が幻想だろうと架空の存在だろうとそんなものはどうでもいいのだ。その時に感じた充足感、全能感こそが重要だ。このように糞ったれな事象が日々気分を悪くするような現実であっても、そのような状態を自らが獲得し、また、世界に与えられるように、その為に目の前にあることを一生懸命頑張る。結局のところ、そういうことなのだ。なので、そろそろ出かけます。

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