« (500)日のサマーのことを忘れていた。 | トップページ | 今夜もうさちゃんピース#169(2010年1月27日)。 »

2010年1月27日 (水)

松田聖子のことなど。

たまたま別の場所で思いの他盛り上がっていたので、松田聖子について書いてみようと思った。とはいえ、アイドルとしてはほとんど興味がなかった。アイドルを好きになるには最もちょうどいいぐらいの時期に出会ったにもかかわらず、ほとんど反応しなかった。しかし、レコードは何枚か持っていた。しかもアルバム。初めて買ったのは「チェリーブラッサム」のシングルだったけれども、あれは妹への誕生日プレゼントだったのだ。

AMラジオ放送をよく聴いていて、STVラジオで平日の夜10時15分ぐらいから平凡出版(現在のマガジンハウス)提供の「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」という番組をやっていたのだが、そこのパーソナリティーであるパンチガールの1人として知ったのが最初だったと思う。その時点では顔なんてもちろん知らない。春ぐらいになって、そのパンチガールの聖子ちゃんがレコードを出すということになって、「裸足の季節」がかかったわけだ。「エクボ~の~秘密あげた~い~わ~」というサビが印象的なこの曲は、洗顔フォームのCMソングともなったが、CMに出演していたのは山田由紀子というエクボが印象的な別の女の子だった。商品名が「エクボ」だったし、松田聖子にエクボはなかった。そもそも、当時、サン・ミュージックでは松田聖子をビジュアル的に売る気があまりなかったらしい。松田聖子というとデビュー曲からずっと大ヒット連発のような印象があるが、この曲はオリコン第12位止まり、ランクインすることが人気歌手のバロメーターであったTBSテレビの「ザ・ベストテン」でも「今週のスポットライト」のコーナーにしか出演していない。

松田聖子がデビューする直前ぐらいの日本のヒット・チャートというと、ニュー・ミュージックと演歌が全盛であった。松山千春、さだまさし、オフコース、アリス、ゴダイゴなどといったシンガー・ソングライターや自作自演バンドの方が、他人の作った曲を歌っているだけの歌謡曲よりも本格派でえらい、というような風潮があった。歌謡曲では山口百恵、沢田研二、西城秀樹、郷ひろみといった元々はアイドルだったりGSだったりしたけれども、すっかり大人の歌手として安定した感じの人たちが売れていた。若いアイドルの中で人気があったのは石野真子、榊原郁恵、大場久美子などだったが、歌はあまり売れていなかった。より真面目で暗い感じのものが受けている感じがあり、アイドル的なノリはすでに時代遅れという雰囲気があった。キャンディーズはすでに解散していたし、ピンク・レディーの人気もすっかり落ちてしまっていた。

80年代に入ると、なんだか時代が一気に明るくなったような感じがあった。お年寄りが見るものという印象のあった漫才がMANZAIとなり、B&B、ザ・ぼんち、ツービート、紳介・竜助といったスターを生み出す。何だか暗くて真面目なことを歌っていたニュー・ミュージックの時代から、YMO、RCサクセション、プラスチックスなどのカラフルでポップな時代へと以降していった。そして、田原俊彦が「哀愁でいと」で「ザ・ベストテン」に初登場した。裏番組の「ビッグ・ベストテン」を見ていたため、「3年B組金八先生」は見ていなかったのだが、そこでたのきんトリオなるものが女子に大人気で、そのうちの1人が今度レコード・デビューするという話はなんとなく知っていた。しかし、こういう新しいアイドルのようなものはベストテンには入らないものという先入観があった。テレビで歌い踊る田原俊彦が持つ軽さがとてつもなく新しく自由なもののように思え、何か新しい時代が始まるような予感がした。松田聖子は2枚目のシングル、「青い珊瑚礁」で初めて「ザ・ベストテン」にランクインし、第1位にまで上りつめる(オリコンでは最高第2位で、次の「風は秋色/Eighteen」で初の第1位に輝く)。その透明で澄んだ歌声は実に爽やかであり、「青い珊瑚礁」はその年の夏を代表するヒット曲となった。この年には他に河合奈保子、柏原よしえ、岩崎良美、三原順子、翌81年には近藤真彦、松本伊代、さらに翌82年にはシブがき隊、中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美などがデビューし、ヒット・チャートにアイドルが名を連ねるのはごく当たり前のことになった。

私は毎週土曜日、学校が午前中で終わり、家で「お笑いスター誕生」を見て母親が作ってくれたソース焼そばなどを食べ終えると、自転車で旭川の市街地まで繰り出していた。本屋やレコード屋へ行き、毎週オリコンを買い、ビルボードのランキングが載った紙をもらい、お小遣いに余裕がある時にはレコードや本を買ったりしていた。北海道の大手レコード屋チェーンである玉光堂で何か洋楽のレコードを買った時に、好きなアーティストのオリジナル・ステッカーをプレゼントするという企画があり、少し迷った末に松田聖子のやつをもらって帰って来た。特別好きだったわけではないのだが、旬のアーティストという感じがあり、なんとなく選んでペンケースに貼っていた。当時はクラスの普通の男子やツッパリと呼ばれたちょっと悪そうな連中ですらアイドルが大好きだった。

女子にはやはりたのきんトリオの人気が高く、特にトシちゃん派とマッチ派というのに分かれていた。私は昼休みになると教室で田原俊彦「原宿キッス」の振りコピとかを披露して他のクラスからも見に来る人続出というようなくだらないことをやっていたのだが、いきなり廊下でよく知らない女子に「私トシちゃんのファンだけど○○君のことは嫌いだから」などと言われるという悲しい出来事もあった。田原俊彦とロマンスの噂もあった松田聖子は、当時の女子からは徹底的に嫌われていた。というか、いま思うと学校でギャーギャーうるさいタイプの女子が単に嫌っていただけなのかもしれない。一方では聖子ちゃんカット大流行なんていう現象もあったわけだし。特に悪口を言われるポイントとなったのが、「かわいこぶりっこ」という側面。「かわいこぶる」という言葉はあったと思うが、「かわいこぶりっこ」という言葉が一般化したのは、松田聖子以来ではないかという気がする。いまでは道重さゆみなども「ブリブリの衣装」などという言葉を普通に使っているが、この「ブリブリ」の語源も「かわいこぶりっこ」である。普段のアイドル的振る舞いや新人賞受賞などの感動の場面で泣いているが涙が出ていない、つまり嘘泣きではないかというような部分がピックアップされていた。松田聖子の悪口を芸風にしていた春やすこ・けいこという女流漫才コンビが存在していたほどである。また、山田邦子の出世作であるバスガイド芸をレコード化したものは「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド編)」という題名であり、ツッパリ派の象徴であった横浜銀蠅一門の紅麗威甦は「ぶりっこROCK'N ROLL」なる曲でデビューしている。

しかし、そんな女子たちの松田聖子バッシングもいつしか鎮静化し、気付けば松田聖子支持層の半数は女の子という状況になっていた。この過程がどのようなものだったのかははっきりと覚えていないのだが、確か旭川市のいまはなき老舗レコード・ショップ、ミュージックショップ国原で、地味な感じの女の子が「風立ちぬ」のLPを買っているのを見た時に、それを実感した。私はビルボードのチャートに入っているような洋楽のレコードを主に買っていたのだが、佐野元春、大滝詠一、山下達郎といった気がつけばナイアガラ人脈の日本人アーティストがなんとなく肌に合い、その辺りも買うようになっていた。まだ日本のポップス、いまでいうところのJ-POPは成熟していなく、大半の音楽ファンにとって、なんとなく洋楽の方が邦楽よりも優れているというのがほぼ常識になっていた。洋楽を聴くタイプの人たちは一般的に日本の音楽をどこか小馬鹿にしているところがあった。その中でも認められる邦楽というのもいくつかあり、その当時の音楽ファン世論を形成していたのはFM雑誌だったのではないかという気もするのだが、先述のナイアガラ系列の人たちだとか松任谷由実とか中島みゆきとかイエロー・マジック・オーケストラとかは、レコード棚に置いてあっても恥ずかしくないものとされていた。アイドルなんていうのは歌は下手くそだし自分で曲を書いていないし、こんなくだらない物を聴いている連中は音楽ファンとしては最底辺という雰囲気であった。そこを逆手にとってあえてアイドル歌謡を韜晦的に楽しむという動きもあり、それが私も何度か原稿を載せていただいたことのある「よい子の歌謡曲」という雑誌だったりはするのだが。

しかし、松田聖子のアルバムというのは、そんな状況の中にあって、いわゆる分かっている音楽ファンが聴いていても恥ずかしくない作品として認識されていたのだ。これには松本隆、大瀧詠一、細野晴臣、松任谷由実(呉田軽穂)、佐野元春(Holand Rose)といった当時の日本の第一線で活躍するアーティストたちが楽曲を提供していたという点がエクスキューズ(弁解)になっていた部分もあるだろう。しかし、当時の若者のカー・ステレオでは、本当にユーミンやサザンや達郎と同じようなレベルで松田聖子のアルバムが流れていたのだ。作家が誰だからとか評論家の誰それも評価しているからとは無関係に、この頃の松田聖子のアルバムは純粋にポップスとして優れていて、聴いていてとても気持ちがいい。アイドル歌手のレコードでこんな聴き方をされたのは後にも先にもこの時代の松田聖子作品だけなのではないだろうか。

松田聖子のヴォーカル・スタイルは1981年5月あたりを境に大きく変わっている。シングルでいうと「夏の扉」までと「白いパラソル」や「風立ちぬ」あたりが境目となる。初期は本当に澄んだ伸びのある声をしていて、圧倒的な魅力がある。当時の松田聖子の忙しさはすさまじいもので、歌番組出演時も声が上手く出なくて痛々しい場面が少なくなかった。こういったことが原因なのか、はたまた意図的な路線変更なのかは定かではないが、途中からよりしっとりと歌うスタイルに変化している。松本隆が詞を提供するようになったのが「白いパラソル」からなのだが、この辺りも偶然なのかどうか定かではない(それまではシングル、アルバム含めた楽曲ほとんどの詞を三浦徳子が手がけている。松本隆作詞の松田聖子作品が初めて世に出たのは「夏の扉」と「白いパラソル」の間に発売されたアルバム「Silhouette 〜シルエット〜」収録の「白い貝のブローチ」である)。

ちなみに、数年前の「ミュージックフェア」において、ハロプロのメンバーが懐かしのアイドル・ポップスを歌うという企画があったが、その中で松田聖子の「天国のキッス」を安倍なつみ、松浦亜弥、道重さゆみ、光井愛佳が歌った。この中で歌唱力では最も劣ることはいうまでもない道重さゆみだが、80年代アイドルの典型であるブリブリの動き、仕草などが圧倒的であった。私がいまどきのアイドルの中で道重さゆみにだけ強烈に魅かれる原因としては、こういう部分もあるのかもしれない。また、道重さゆみが「今夜もうさちゃんピース」の中でかけた数少ないハロプロ以外の曲のうち1曲が、松田聖子の「私だけの天使〜Angel〜」である。松田聖子の自作曲であり、娘にあてた内容になっている。道重さゆみは、母親がカラオケでこれを歌っているのを聴いて好きになったという。




« (500)日のサマーのことを忘れていた。 | トップページ | 今夜もうさちゃんピース#169(2010年1月27日)。 »

01 Diary」カテゴリの記事

コメント

いつも楽しく見させてもらってます
このブログのおかげで道重さゆみちゃんの大ファンになりました
本当にありがとうございます

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« (500)日のサマーのことを忘れていた。 | トップページ | 今夜もうさちゃんピース#169(2010年1月27日)。 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ