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2010年2月 6日 (土)

うたばんとananの週に想う。

火曜21時からTBS系列で放送されている「うたばん」という音楽バラエティー番組に今週は久しぶりにモーニング娘。が出演するということで、ファンの間ではかなり話題になっていた。

2006年初夏の頃までモーニング娘。やハロー!プロジェクトには一切興味がなかった私だが、この番組でMCの石橋貴明や中居正広がモーニング娘。を面白おかしくいじって笑いにつなげている場面は何度か目撃したことがあった。特に保田圭いじりにおけるCGをも駆使した手の込んだ演出が印象に残っている。

石橋貴明は「お笑いスター誕生」に貴明&憲武として出演し、後にとんねるずと改名した後、アゴ&キンゾーとの決戦などを経て人気を得ていった。ちょうど同時期にこの番組に出演していたのが、大竹まことらが所属していたシティボーイズである。この番組は土曜日の午後の私の楽しみだったが、高校の途中で当時住んでいた北海道でのネット放送が終了した。

その後のとんねるずはあまりメディアに露出することはなかったが、西城秀樹司会の「モーニングサラダ」へのレギュラー出演やアニメ「ど根性ガエル」の主題歌でレコードデビューなど、完全に消えるという訳でもなかった。そうこうしているうちに、「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」で本格的にブレイクしていった。

当時のとんねるずは、高卒、母子家庭といったコンプレックスを売り物にし、いまでいうところのあるあるネタの走りのようなことをやっていた。また、業界人の名前や業界用語、共演した有名芸能人のことなどを嬉しそうに話していて、実に視聴者に近さを感じさせる存在であった。

高卒のとんねるずが東京六大学の学生を舎弟にして熱湯風呂や過酷なチャレンジを強要したり、当時はお笑いタレントよりも明らかに格上のイメージがあったアイドルや大物歌手と対等に話す。あの美空ひばりのことを「お嬢」と呼んで芳村真理をハラハラさせたというエピソードもあった。

当時、とんねるずのブレーンを務めていたのが秋元康であり、あざとい程に時代感覚を捉え、そこに狙いを定めて攻撃していく感じには、分かってはいるものの抗えない魅力があった。一時期の勢いだけですぐに消えるだろうと思われていたとんねるずだが、その人気は衰えることがなく、レコードもヒットを連発した。中でも演歌を徹底的におちょくった「雨の西麻布」が印象的だが、これを作った秋元康と見岳章のコンビは、後に美空ひばりの「川の流れのように」で本物の演歌の世界をも制する。ちなみに見岳章はそもそも演歌畑の人でもなんでもなく、テクノ・ボップの一風堂のメンバーであった。素人感覚のリアリティーが従来のアイドル像を葬り去ったとも言われるおニャン子クラブについても、同様の痛快さがあった。

「うたばん」という番組はこのような方法論によって成り立っている。番組名からしてそれを象徴しているではないか。芸能界だとか音楽界を視聴者に近いTVサイズのコンパクトで身近なものに加工して見せる。そこにリアリティーとポップ感覚が宿る。

これが楽しめる人には楽しめるし、そうでない人にはそうではないのだろう。それだけ。

昔の映像などがたくさん流れていて、当時この番組を楽しく見ていた人たちにとってはたまらなかったのではないかと想像できる。

道重さゆみの前髪パッツンは極度にお気に入りなのだが、「女が目立ってなぜイケナイ」のパフォーマンスでは歌パートは皆無に等しいものの、真ん中に映っていたりアップで抜かれることも多かったように思え、とりあえずこれだけでも見る価値はあった。ソロパートがセクシーボイスというのもまたよい。番組ラストで道重さゆみの私がかわいい発言が使われていたようなのだが、この時点ではすでにテレビを消していたため、これを見ることはできなかった。

人気女性雑誌のananに道重さゆみがモデルとして掲載され、その画像は発売前からインターネットで流れていた。いわゆるギャルファッションに挑戦らしく、表紙が倖田來未でスザンヌなんかも掲載されている特集らしい。道重さゆみは茶髪のウィッグを付けて、いわゆるギャルっぽい服装をしていた。

よしもとクリエイティブエージェンシー所属の青空という女流漫才コンビがいるのだが、そのメンバーである岡友美はアイドルヲタクである。新春に大阪で行われたハロプロのコンサートに子供を連れて来て、道重さゆみに手を握ってもらったということをブログに書いていたようだ。この岡友美という方は、私がこのブログを始めたその日に収録された道重さゆみ・光井愛佳ゲストのラジオ番組にも出ていた。道重さゆみは生まれてから一度も髪を染めたことがないという話をしていて、メインの女性パーソナリティーから「正しい日本の女の子や」と感心されていた。

それにしても1年の間にラジオライフとananの両誌に載ったアイドルというのも珍しいのではないか。痛快である。しかもファッション雑誌には興味がないというかどちらかといえば好きではないと言っている道重さゆみがananに載るというのがまたよい。

私に直接連絡手段を持っている読者様の中には、モーニング娘。やハロー!プロジェクトが特別好きではない方も多数いらっしゃるのだが、ここでの道重さゆみ関連記事やラジオテキスト起こしなどを読まれて興味を持ち、どんどんその世界にのめり込み中の方々も少くはない。そこで、ある段階でモーニング娘。やハロー!プロジェクト関連のファンサイトやスレッドに出会うことになる訳だが、素直にいいと思ったAKB48のメンバーの名前をちょっと出しただけでひどく罵られたり工作員扱いさるたりと、悲しい思いをしたらしい。また、大の大人と思われる人たちが汚い言葉で10代や20代のアイドルを誹謗中傷したりしていて、それについてもひじょうに気持ちが悪いということを言っていた。ごくごく当たり前の感想であろう。

他の悪口を言ったり名前が出ただけで拒否反応を示すというのは、余程引け目を感じていたりコンプレックスがあるのだろう。良いものは良いし、たとえ良いと思わなかったとしても売れているものは売れている。いくらヘボ理由で叩こうが現実は変わらない。本当に好きならば、自信があるのならば、堂々としていればよいではないか。なぜにそんなにも余裕がないのか。好きな理由が人気があったり売れていたりすることだけなのならばまだ分かるのだが、本当にその程度のものだったのだろうか。それを認めるのが怖いのだろうか。

バレンタインデーの定番ソングといえばいまだに国生さゆりの「バレンタイン・キッス」なわけだが、季節的にその次に来るのが卒業シーズンである。こちらは紛れもない名曲である「10年桜」が定番化してもまったくおかしくはない。神曲などという一部のアイドルヲタクだけがニヤニヤ笑いながら呟いているレベルではなく、一般的な流行歌として名曲だと思える。ポップであることの魔法とパフォーマンス力がどうだとかいう技術面というのはあまり関係がないことも多い。技術にばかり依存した表現は退屈で時代遅れに感じられることも多く、ゆえにパンク・ロックだとかニュー・ウェイヴだとかは技術的には未熟だとしても同時代においてポップでリアルだったのだ。とんねるずもおニャン子クラブも同じことであり、かつてのモーニング娘。もおそらくはそういうものだったのだろう。

好き嫌いは別にして、流行っていたり売れていたりするものはある意味で正しく、それはそれで認めたところからしかポップのダイナミズムというのは理解できないような気もするのだが、そもそも理由が異なっているのだとするならば、分かり合えることはないのだろうし、おそらくその必要もないのだろう。

私が個人的に道重さゆみに感じているものとは、ひじょうに本質的で普遍的なものではあるのだが、それはリアルなポップ感覚とも深く関係している。ポップとはポピュラー、すなわち流行って伝播する。ここからここではない場所へと連れていってくれるものである。決まりきった閉じた空間の中で、内輪受け的に澱み滞っている状態とは真逆である。現在のAKB48などには、よくは知らないがそれに近い種類の強度を感じる。同じように感じている人ももしかするといるのかもしれないが、工作員に認定されたりする可能性が高いので、あまりそういうことは言わない方がいいのかもしれない。

かつて、ポップ文化として最も優れたメディアとしてポップ音楽を愛好していた私は、技術面や音楽性のみで優劣をつけようとする連中に対し、「音楽だけ聴いているヤツらとは分かり合えることはない」などと悪態をついていた。その時にひじょうに近い感覚を、最近特に強く覚える。

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