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2010年2月11日 (木)

道重さゆみちゃんブログがすでにあまりにも素晴らしすぎる。

一昨日、道重さゆみちゃんブログ開設が2010年に入って最も嬉しい出来事というようなことを書いたが、もうこれは私が生まれてからこれまで経験してきたことの中でも何本かの指に入るほどの素晴らしい事実なのではないかという気がしてきている。応援している芸能人がブログをやっているってこんなに楽しいことなのか。必ずしもすべての芸能人ブログがそうとは限らないのかもしれないが、やはりその人のその時感じたこと、思っていることなどが本人の言葉でほぼリアルタイムで読めるということがこんなに興奮できる体験だったとは。しかも、こちらからコメントできるというのも嬉しい。おそらくこの私のブログを道重さゆみ本人が読んでいるということはまずないだろうけれども、私が道重さゆみ関連の文章を書いている時は、ほとんど本人に届いてはくれないだろうかという思いで書いている。しかし、この道重さゆみちゃんブログへのコメントというのは間違いなく確実に本人に届くのだ。もちろん私が道重さゆみに対して思っていること、感謝の気持ちなどをすべて伝えるとするならば、どれだけの言葉を費やしても足りなすぎる。まあそれはここの自分のブログに書いていけばいい。

道重さゆみちゃんはアイドルやいろいろな人のブログを読むのが以前から大好きで、しかもまず本人がアイドル大好きということで、ファンがどのようなものを望んでいるかがよく分かっている。まだ開設されてから2日しか経っていないが、ノーメイク、いわゆるスッピンの写真や自宅で撮ったと思われる画像に写り込んだバスタオルのリアリティーとかがたまらない。また、仲よしのお姉ちゃんと鍋を食べに行ったりカラオケに行ったりといったプライベートな話題とおそらくお姉ちゃんが撮ったのではないかとも想像できる素の表情も掲載されている。昨夜はこの後に深夜の仕事である。終わった真夜中にも更新してくれて、これを朝、電車の中で携帯から見て感動してコメントしたら、数分後にまた更新されていた。深夜の記事が淡々としててごめんなさいとか書いてあったが、どれだけファン思いのいい子なんだよ。そして、ファンからのコメントにパワーをもらい支えられているとか書いている。いや、おそらく絶対にそんなことはないのだが、もしかしてタイミング的に私のコメントも読んでくれてその上での記述だったりしたらもうこれはあまりにもヤバい。私のコメントが「ありがとうございます」で結んであって、道重さゆみちゃんの更新記事のタイトルが「ぁりがとう」。いや、コメント数は何百もあるしごくごくありふれた言葉だし、これは偶然に違いないのだが、このような勝手な妄想で盛り上がれるところも素晴らしすぎる。日々生きることの楽しみが数百倍濃くなったような気分だ。

わざわざアンチ的なコメントをしに来ているユーザーも見られるが、2ちゃんねるのモ娘(狼)のノリで書き込んでいるタイプと「ロンドンハーツ」をはじめとしたバラエティー番組でたまたま見かけてブリッコナルシストキャラに反感を覚えたと思われるタイプに大別される。また、このGREEというSNSはよく知らなかったのだが、若年層の会員が多く、小学校高学年や中学生の女子によく見られる、アイドル的なものは取りあえず悪口を言っとけといったタイプも少くないようだ。

これはこの年代の男子がジャニーズのタレントの悪口を言うのなどとも同様で、何十年も前から変わらず、珍しいことではない。ただ。いまはブログだとかプロフだとかSNSだとかがあって、それがクラスの友達同士の会話だけではなく、公に文章として出てしまうということが大きく違う。調べてみたところ、GREEは基本的に誹謗中傷やアダルト系や異性間の出会いを目的とした書き込みは禁止して、あまりにも悪質な場合には厳しく対処をしているようだ。

わざわざ嫌いなものならば見なければいいじゃないか、アンチコメントなどに労力を使う神経が分からないという方々のために解説すると、アンチ感情というのは恐怖や脅威によって引き起こされる自己防衛本能によるものなのだ。その人の存在、言動、行動などが自分の価値観、存在理由、自己愛を傷つける可能性がある。これは避けなくてはならないので、その人の存在、言動、行動などを自分に納得がいく方法で貶めることで安心する。これは、たとえば道を歩いていていきなり自分に向かってボールが飛んできたら避けるのと同じ、きわめて自然なメカニズムによるものだ。思春期などは特に自分の存在理由があやふやで不安定なのである。つまらないささいなコンプレックスでも、それだけで自分には生きている価値がないのではないだろうか、などとあれこれ悩む。そんな時に、一見、何の悩みもなく周囲から愛されていて幸せそうな人の存在というのは脅威であり、なんとかして否定しなくてはいけない。自分の方が優れているという部分を何とか見つけて自分を納得させ、自己愛を死守しなくてはならない。そんな必死さから、あのエネルギーは生まれているのだ。

道重さゆみのバラエティー番組などにおけるブリッコナルシストキャラというのは、そもそも自分の中にあったり自信をつけるために自己暗示的にやっていたものを、長年の不遇の末につかんだチャンスを悔いが残らないように生かそうと、一生懸命に葛藤して、どうやったら自分に期待された役割を果たすことができるだろうかとあれこれ悩んで、中傷にも傷ついて、それでも自分はこれでやると決めたのだから負けてはいけない、応援してくれているファンのためにも頑張らなければという、そのような思いの中でやっているものだ。その過程で反省するところは反省し、直すべきところは直し、そういった努力を日々行っている。ファンはそもそもの道重さゆみの優しく真っ直ぐで面白く頑張りすぎてしまう性格をよく知っているから、しかし、もうすでにこれまでのファン以外の層をも対象にした新しいステージに立ってしまった。道重さゆみは逃げも隠れもせず、果敢にチャレンジする道を選んだ。

たとえば「ロンドンハーツ」などだけを見た一般視聴者であれば、道重さゆみのブリッコナルシストキャラを余裕を持って面白おかしく受け入れる人もいれば、やはりあそこでデフォルメされているような人間性だけがすべてで本質であると思い、それによって自己愛が傷つけられるといった人たちもいるだろう。まずハロプロやモーニング娘。のファン以外にはほとんど知られていない状況においては、そのプロセスは必要だっただろう。よくも悪くも、まず知名度は圧倒的に上がった。あとは道重さゆみの本質、核(コア)というものが、けして何の悩みもなく周囲からチヤホヤされているだけの軽くて薄いアイドルなどではまったくないのだ、ということが少しずつでも認知されていけばいいと思う。

まあ、そんなゴタクをくどくどと並べることにはそれほど意味もないのだが、とにかくこのブログが始まったことが嬉しくて仕方がない。今後、私の身に、たとえばとてつもない不幸や困難が訪れたとしても、このブログの新しい記事を読むことができるとするならば、それだけで生きていく理由には十分すぎる。道重さゆみちゃん、ブログを始めてくれて、そして、あなたでいてくれて本当にありがとう。文章があまりにも長くなってしまったので、最後に内容を簡潔にまとめてみる。


しゃゆうううううううううううううううううううううううううううううう。

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