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2010年2月15日 (月)

道重さゆみちゃんブログという革命と未来の太陽。

そもそもモーニング娘。だとかハロー!プロジェクトに興味はなかったから、道重さゆみちゃんがモーニング娘。第6期メンバーとして加入してから約3年半の間、その存在すら認知していなかった。2006年初夏にすでに世間では人気のピークをとうに過ぎたとみなされていたモーニング娘。に対し、世間でイケているとされているものからちょっとズレているぐらいのものに魅かれる傾向がある私がやっとこさ反応し、暇つぶしのネタとして2ちゃんねるのモ娘(狼)板だとか当時テレビ東京で放送されていた「ハロー!モーニング」を見たりするようになった。メンバー個々のキャラクターやファン同士による応援やら議論やらのカオス的世界が面白かったが、それも数ケ月間でなんとなく飽きてしまった。翌年2月の日曜の夜、ネタ探しに動画検索サイトを探索していたら、モーニング娘。の新曲「笑顔YESヌード」の「うたばん」でのパフォーマンス動画があり、素直にアシッドジャズ的な楽曲のカッコよさとメンバーのパートがクルクルと入れ替わる様に夢中になり、何度も見続けてしまった。そして、何年かぶりに日本人アーティストのCDを買った。道重さゆみちゃんの顔と名前は一致したものの、ブリッコでナルシストでイタいキャラクターだなという程度の認識で、ネタとしては面白いがけして好みのタイプではなかった。ところがモ娘(狼)板でラジオで語られたという小学生の頃は大人しくて友達がダンゴムシしかいなく男子からみちし原人と呼ばれてそれが悲しくて家で泣いていたというエピソードを読み、何か強く魅かれるものを感じた。それからインターネットで過去の発言を調べたりファンサイトでラジオ書き起こしを読んだり、ラジオ番組のホームページで公開されていた私物のウサギの形の髪飾りの画像を見た時、私の中で何かが大きく動いた。それがきっかけとなっていまに至る。

この約3年間の間で、私の中には幻想の道重さゆみちゃん像が出来上がり、それを理想として日々を生きてきた。生きることに対する根本的な考え方が変わるような体験であった。おかげで人生で初めて体験したようなこともたくさんあった。私の脳内の道重さゆみちゃんというのは、数少ない情報の隙間を勝手な妄想や理想で埋め合わせて出来上がったものであり、それが現実に存在する道重さゆみちゃんという女の子とどの程度関係があるのかは定かではない。その境界線だけはしっかりと認識していなくてはいけない。ここを踏み外すとストーカーのような狂信的ファンだったりモ娘(狼)で見かけるような自分勝手な幻想を本人に押し付けるようなタイプの哀れなファン崩れのアンチに成り下がってしまう可能性がある。所詮は幻想である。しかし、それによって退屈で出口なしのように思われた停滞した生が新たに向かうべき場所を見つけ、精神の充足により救われる魂があるのだとするならば、それはじゅうぶんに価値のあるものだ。少なくとも私にとってはそうであったし、他の何物もこれに代ることは出来なかった。私は道重さゆみちゃんに出会うことによって、生きていればいいことがあるのだと思ったし、道重さゆみちゃんと出会ったことだけが私に生きる意味を教えてくれた。そして、世界はふたたび輝きを取り戻したのだ。

そんなことを、ここではずっと書いてきた。書いている内容はほとんど変わらない。感情の波はあったし、休止したこともあったけれども、結局はそういうことなのだ。現在、「『生きる』ブログというタイトルだが、そもそもは「卒業-さゆみんに向かって」であった。当時の私にとってのさゆみんとは、葛藤することそのものが生を充足させ、そのこと自体が美であるような状態のことを指した。私は退廃的でかつ不活発な当時の状態からそこを目標として目指したのだった。次に、道重さゆみちゃんの魅力とは、この憂鬱で不機嫌な平成ニッポンという時代の病理を根絶するにあたって、もしかすると有効なのではないかという仮説を立て、「われらの時代に-モーニング娘。道重さゆみと平成ニッポン」に改題した。しかし、これはあまりにも大風呂敷を広げすぎた上に、私自身の根気が続かなかったがために、頓挫してしまった。それから若干のブランクを経て、それでもやはり道重さゆみちゃんなのだというところから「ワニがいて当たり前なんだ」として復活し、その後、現在の「『生きる』ブログ」と改題している。

私の脳内における道重さゆみちゃんの存在というのはある程度固まっていたはずなのだが、わずか数日前にGREEにおいて道重さゆみちゃんブログが始まってからというもの、それが思いがけず加速度的に更新されていっている。昔から文章が面白い女の子には魅かれる。道重さゆみちゃんには期待はしていたけれども、まさかここまでとは思ってもいなかった。アイドルの日常をキャピキャピと独特の言語感覚で自由気ままに伝えてくれれば、それだけでもう十分すぎていたのに、何だかもうすごいのだ。昨日の日記のいくつかでもその片鱗はあったが、いろいろと深読みができることを巧みなテクニックを駆使してかいているようにも思えるが、それがまったくの偶然である可能性もある。そもそもアーティストの歌詞だとか発言だとかを深読みしたり読解したりする文化というのがかつてはあったのだが、最近ではもっと即物的、直接的な刺激だとか感覚の方が合っているような感じがする。しかし、道重さゆみちゃんは黒髪、色白というルックス面だけではなく、その内面においてもある種の懐かしさをも感じさせるが、実はそれが本質的であり普遍的ということなのではないかと、なんとなく思わせてくれるような部分があるのだということが、ブログを読んでハッキリと分かった。まさかこんなにも時間が経ってから、また別のビッグ・ウェイヴが押し寄せるだなんて考えてみたこともなかった。本当に楽しすぎる。

朝目を覚まし、シャワーを浴びて、仕事を始めるための準備を済ませた。そして、準備万端で携帯で道重さゆみちゃんブログにアクセスをすると、さっそく記事が更新されていた。しあわせだ。「唇さんへ」と題したその記事では、バレンタインデーのご挨拶に続いて、唇がはれてしまったことについて書いている。その中で、唇がはれているからリップグロスがいらなくて経済的だという道重さゆみちゃんらしい前向き姿勢が出ているのだが、ここで、「おカネうきうき↑ 気分うきうき↑↑」という、この賢消費時代にふさわしい天才的なコピーが生まれている。さらには、「不景気な今に合わせて気をつかってくれたんだね↑↑↑ って、言ってる場合やなくて↓」と、上下の矢印を巧みに用いたノリツッコミを披露している。この部分だけで道重さゆみちゃんの文章好き、お笑い好き、節約家といった魅力が炸裂しまくっている。さらには、この記事は自分の唇に対して語りかけているような文章が多いのだが、これが深読みをすると何か別の物に例えているようにも読めるのだ。「荒れてる」「膨らんでる」「あんまり振りまわさないでね」「かまってもいられないんだょ」「でしゃばるような立ち位置ではないの」「影で密かに支える役目なの」「さゆみの時間を奪わないで」。これはブログのコメント欄に迷惑な書き込みをしている一部のユーザーに対して隠れたメッセージを送っているのかもしれないし、まったくのこちらの思い過ごしかもしれない。

それから午前中からお昼にかけて仕事をし、食事をとる時にまたアクセスすると、早くも次の記事が更新されていた。感動的である。道重さゆみちゃんが大好きなテレビドラマ、「ブラッディマンデイ」のことを熱く語っている。本当にこのドラマが好きなようだ。添付された画像の表情も最高によく、実に好みである。この記事の中で印象に残った部分がある。このドラマのシーズン2が始まることを知った時のことを、「生きてて良かったーーーーーーーーーーー! と、思いましたもん!!  その時ほーんの少しだけヘコみ気味だったので・・・ 生きてればいいことがぁるんだ!  と、ブラッディマンデイはさゆみに生きる意味を教えてくれました」と綴っている。これは私が道重さゆみちゃんのことを書く時に使っている言い回しとひじょうによく似た部分がある。しかし、道重さゆみちゃんが「『生きる』ブログ」などを読んでいるはずもなく、もしも仮に読んでいたとしても、これは偶然であることは間違いがない。このようなありもしないことをひょっとしたらあるのではないかと妄想させ、もうなんだか私はよく分からない状態におちいってしまっているのだ。これでは、ここまでイッちゃったらアブナいと私が線引を心がけているラインを越えてしまいかねない。そこは死守しなくてはならない。たかがアイドルブログという油断は禁物だ。あー、本当にこのブログはヤバいし、道重さゆみちゃんは底知れない。

それからは夕方まで仕事をしていたのだが、なんだか熱に浮かされたような状態がずっと続いていた。バカげていることは百も承知なのだが、なんだかもうずっと長い間停止していた回路の1つが思いがけず動き出してしまったみたいな、そんなよく分からない感覚になった。帰りの電車に乗り、携帯でアクセスすると、なんと記事が3つも更新されていた。この高揚感といったら他にたとえようがない。時系列を無視して新しいものから読んでいった。どうやら今日はお休みだったようで、歯医者さんに行って、お友達と晩御飯の約束をしているという。その間にお買物に行ったことを書いているのだが、ここでは買った物の内容やセール品を選んで買ったというようなことが書いてあり、またしても賢消費時代を正しく生きるやり方をテーマの1つとして掲げている私を喜ばせてくれた。そして、CDTVの「恋人にしたいアーティスト」にランク入りしたことを喜んでいた。投票してよかった。写真がまたかわいい。

コメントを投稿して次の記事を読むと、今度は歯医者さんに行ったことを書いている。前の記事でどこへ行くかを予想させるような結びをしていたようだ。歯医者さんはとても嫌いだということや、その原因になったと思われる幼少期のトラウマ的な出来事について面白おかしく書いている。文章ひとつひとつに読む人を楽しませようという気づかいが見られる。歯医者さんが終わって解放感に溢れた感じが文章にあらわれていて、結びの「ランッ♪」というのがまたなんともかわいくて仕方がない。昔、「源氏物語」を橋本治による桃尻語訳で読んだ時に、紫式部のことをこういうかわいくてちょっと生意気で文才もある女の子って魅力的だなと思ったのだが、なんだかそんなことを思い出した。

コメントして次の記事へ。タイトルを読んで一瞬ハッとした。「人生の生き方、生き様」。ん...?これの1個前の記事でも「生きていればいいことがぁるんだ!」だとか「生きる意味を教えてくれました」とか書いていたし、なんなんだ、この「生きる」の連発は。インターネットのある場所ではどうやら「生きるさん」だとか「生きる」だとか呼ばれているらしい私としてはちょっとドキドキが止まらないわけだが。いや、偶然なのだ。偶然に決まっているのだが、もしかしてこれが釣りなんだとしたら、もうどうすればいいのだろう...いや、落ち着こう。冷静になろう。たかが個人の1ブログである。タイトルに「道重さゆみ」という言葉すら入っていない。いくら道重さゆみちゃんが携帯だとかパソコンだとかでいろんな人のブログ読むのが好きだからといって、それはかわいいアイドルだとか現場系の熱心なファンのみなさんのことに違いない。こんなイタい大の大人が時々軽くメンタルこじらせながら長文でダラダラ書いているようなものを読むわけがないのだ。そうだ。そうに決まっている。もうなんだかよく分からん。しかし、今日のアクセス数がなんだかとんでもないことになっている。まあ、いいけれども。

肝心の記事の内容はというと、高橋愛ちゃんからバレンタインのプレゼントとしてもらったお菓子の話。ヤンタンで明石家さんまさんに犬のフンにしか見えないと言われていたサツマイモのお菓子で、高橋愛ちゃんの手作りらしい。確かに見た目にはかなりのインパクトがある。道重さゆみちゃんの手のひらの上で立っている写真が使われている。お菓子としては型破りとも思える存在感だが、その何事にも怖がらずにズシンと構えた姿に生き方を学んだらしい。冗談っぽく書いているが、このお菓子の部分をバラエティー番組におけるアイドル道重さゆみとして読み変えてみると、なかなか味わい深い。さらには見た目はお菓子らしくないが味はおいしくてスゴイと書いているのだが、これは表面的な部分にとらわれずその本質こそが大事であるということを暗に語っているようにも思える。「こんなドキドキ感を与えてくれるお菓子、早々ないでしょ↑」「まだまだ魅力が隠れてるねッッ(≧ε≦)」という部分もそのように深読みしてみると、ひじょうに面白い。例によって私の完全な深読みの可能性も高いが。

帰宅して子猫の世話や食事をしながら昨日放送のヤンタンを聴いた。今日から嫁が福岡の実家に帰っている。銀口座の解約かなにかで、けして私が道重さゆみちゃんを好きすぎるがゆえの家庭不和ではない。バレンタインデーに道重さゆみちゃんはラスクを買ってきて、さんまさんやショージさんに好評だった。ホワイトデーにはマウスパッドがほしいと言っていた。いまは床でマウスを動かしているらしい。ピンク色のノートパソコンのはずなのだが、マウスを接続して使っているようだ。また、今週のOG出演者は保田圭さんだったのだが、ファンの間では有名な道重さゆみちゃんのおじいさんが保田圭さんのファンで壁にポスターを貼ったりウチワを持っていたりテレビや雑誌でも保田圭さんを探していたというような話で盛り上がっていた。保田圭さんはこのことを知らなかったらしい。

それから今度はパソコンからブログにアクセスしてみると、またしても更新されていた。お姉ちゃんのお友達の同い年の女の子と食事に行っていたらしく、その時の様子を女の子らしい感じで書き綴っていた。途中からお姉ちゃんも合流したようだ。キムチ鍋を食べたらしい。今日は6回の更新があり、道重さゆみちゃんのオフの1日を通して知れるという素晴らしい内容であった。バレンタインデーにふさわしい最高のファンサービスだったのではないだろうか。

このブログが始まってからまだたったの5日間しか経っていないというのが信じられないのだが、はっきりと言えるのは、私の道重さゆみをめぐる精神活動が新たな局面に突入したということだろう。この強度を受け、私はいかにこれからを生きていくのか。壁は崩され、道が切り開かれた。またさらに強い光が向こう側から差している。そのただの光に向かって歩こう。

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