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2010年2月19日 (金)

道重さゆみちゃんの不完全な自己愛。

フロイド心理学で重要な概念がリビドー(性的衝動・生のエネルギー)であるが、これが自分自身に向けられた状態が自己愛である。フロイトのリビドー発達観では、自他のの区別が未分別な時期にこの過程があり、成長するにつれて、リビドーの対象は他者や外部へと向かっていく。ゆえに、自己愛とはいずれ克服されるべき未熟な感情であると、どちらかというと否定的に捉えていた。

ジグムンド・フロイトの娘、アンナ・フロイトは人間が欲求不満や不安から自我を守るためにはたらかせる防衛規制を分類整理したことで知られているのだが、その弟子にハインツ・コフトーという心理学者がいる。

フロイド心理学においては、「自己愛から対象愛」へ、つまり、自己愛とはやがて克服されるべき未熟な感情であるとされていたのだが、この自己愛と対象愛という概念を完全に分けて考えるのは単純すぎやしないだろうか、というのがコフトー氏の説なのである。

自己愛が過剰に強くなると、自己愛性人格障害などに見られるように、自己の欲望充足のためにのみ他者を利用したり、尊大・傲慢な言動・行動が目立つようになる。ここには他者に対する思いやりや共感が著しく欠如しており、周囲の人間に不快感や苦痛をもたらす。

一般的にイメージされるナルシスト、自己愛ちゃんとは上記のような特徴を持っていると思われる。道重さゆみちゃんが「ロンドンハーツ」に出演した際の言動・行動を見て、このような物に分類してしまったいわゆる一般視聴者は多いと思われる。彼らはおそらく日常生活や過去の経験において、この様な種類の人々の存在によって不利益を被ったり苦痛を味わったことがあるかもしれず、ゆえに反射神経的にこれは否定しておかなければならないという機能がはたらいたのであろう。また、モーニング娘。の他のメンバーのファンの中にも、道重さゆみちゃんの人間性をこのような物だと捉えている方も少なからず存在するが、同じく自分自身の日常生活や過去の経験において、この種類の人々から不利益を被ったり苦痛を味わった、そして、現在自分自身が応援しているメンバーを同一視しているために、あたかもそのメンバーが道重さゆみちゃんの存在によって不利益をこうむったり苦痛を味わっているというふうに読み取るのである。

では、なぜにいま挙げたような一部のモーニング娘。のファンがお気に入りのメンバーを同一視するかというと、それは自分自身を取り巻く現実の中で強い欲求不満や不安があり、それと適応するために、自分が好きだったり憧れたりする対象を同一視するという防衛規制をはたらかせているからである。よって、これを解消するには、その同一視しているメンバーが自分の欲求不満や不安を解消してくれるような状態でつねにあり続けるか、もしくはその根本的な原因となっている自分自身の欲求不満や不安を解消して、同一視の必要性をなくすことが必要となる。

強い欲求不満や不安の原因の多くは自己愛の欠如ではないかと、私は考える。よくいわれる言葉に、「自分を愛せない人間が他人を愛せるわけがない」というのがある。フロイド心理学は、自己愛を対象愛へと向かう過程の未熟な感情であると定義づけているが、これには幼い頃に必ず自己愛という過程を経るという前提があってこそである。様々な事情によって幼少期に自己愛を育むことができなかったり、ある過程において自己愛そのものがズタズタに粉砕された人間が、果たして正しい対象愛というものを育むことができるだろうか。

学校におけるいじめ、職場でのパワー・ハラスメント、インターネットでの誹謗中傷や荒らし行為。こういったものは、自己愛が傷つけられた結果、その代償として行われる行為であろう。そして、その被害を受けた者が次には加害者になり、負の連鎖が続いていく。愛だけがこれを絶ち切ることができるのだが、自己愛を持てない人間は他者に対して愛情をそそぐ方法を知らない。

自分自身しか愛せず、他者を思いやることができないため、周囲に人間に不快感や苦痛をもたらすのが完全な自己愛だとするならば、自分を愛することができるがゆえに、それをもって他者を思いやることができるというのは、不完全な自己愛といえるであろう。

首都圏でおもに電車を交通手段にしていると、しょっちゅう人身事故とやらで電車が停まったり遅れたりしている。その実態はほとんどの場合が自殺である。人口10万人あたりの自殺者数を集計した「国の自殺者順リスト」で、日本は第8位である。第7位まではいずれも旧社会主義国だ。また、日本の自殺未遂者は自殺者の10倍いるという推計もある。高度経済成長の名残である経済優先のライフスタイルのまま不況になり、経済面での失敗や不振がそのまま自己の存在否定になる。家庭や職場や学校やインターネットの回線の中で、負の感情の連鎖が後を絶たない。まずは自分を救うことだ。

道重さゆみちゃんの核(コア)とは他者への共感や思いやりである。これらを欠いた完全な自己愛とは異なっている。しかし、一般的には他者への共感や思いやりを欠いた完全な自己愛がイメージとしては分かりやすいため、これに分類しておくと安心である。しかし、ラジオを聴いたりブログの文章を読んだりしていると、本質はその自己愛を持って他者に共感したり思いやったりというのがひじょうに強いということが理解であきる。しかし、自分自身を愛せない、つまり健全な自己愛という物を持つことができない人から見ると、これが分からない。よって、それまでの人生において自分に不利益や苦痛を与えてきたかもしれない完全な自己愛者と同じだと判断してしまう。そのようなフィルターで見ると、道重さゆみちゃんが心から思って言ったり書いたりしている言葉すらも、自己の欲望充足のために策略的に発しているもののようにしか捉えられない。また、われわれはメディアや現場でのお仕事を通してしか道重さゆみちゃんのことを知ることができず、その限られた情報から勝手にイメージを作り上げているに過ぎないわけだが、現実的に一緒にお仕事をされているスタッフさんや先輩芸能人からの受けもひじょうによいと感じられる。これはおそらく、実際に道重さゆみちゃんが他者に共感したり思いやったりできる人だからに違いないと思えるのだが、これすらも自分自身に対して正しい自己愛を向かることができず、欲求不満や不安に凝り固まっている人たちには、立場が上の人には媚を売っているだというふうにしか見られないのであろう。これとモーニング娘。メンバー間での些細なやり取りやエピソードから都合のよいものを抽出して、道重さゆみちゃんは立場が上の人には媚を売るが後輩など自分の欲求充足にあまり役に立たない人のことは軽くあしらっている、というような印象操作をして、自分の欲求不満や不安を鎮めるのだ。これはひじょうに不幸なことである。

昨日のブログにおいて、憧れのベッキー・クルーエルちゃんと雑誌の取材で会ってはしゃいでいる道重さゆみちゃんは、本当にただのファンと化していて微笑ましかった。中には、他の人のことを過剰にかわいいと書いてしまっては、道重さゆみちゃんのナルシストキャラがブレてしまうのではないかというコメントも見られたのだが、道重さゆみちゃんのナルチシズムとは、それをもって他者に共感したり思いやったりする不完全な自己愛なのだから、それでいいのだ。

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