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2010年3月14日 (日)

「激モ会社」やボブ・ディランの件など。

道重さゆみちゃん公式ブログは漏れなく読んでいるのだが、コメント書き込むのが追いつかない。たとえ短い書き込みであっても、一応そのエントリーに対してどのようなコメントがふさわしいのか熟考した上で言葉を選んでいた。中にはどうしようもい物もあったには違いないのだが、その都度一生懸命考えて携帯電話やパソコンから書き込んでいた。これを1ヶ月続けていたのだが、いよいよ追いつかなくなってきた。悔しい。

モーニング娘。は来週にアルバム「10 MY ME」が発売され、週末からコンサートツアーが始まるということで、ずっとそのリハーサルをやっていたようだ。道重さゆみちゃんのブログでもそれについての文章が多かったように思う。そこで思うようにいかず、マイナス思考に陥ってしまったりして、理想と現実とのギャップに葛藤する。その様子が克明に綴られている。道重さゆみちゃんが私にとってリアルなのはこのような部分である。今までは私が勝手に知らなかったり見えなかったりする部分を想像で補完して、独自の道重さゆみちゃん像をカスタマイズしていた訳だが、ブログによって本人の言葉で思っている事、考えている事を知れるようになって、それが実像とそう遠くはなかったという気がしてきている。

3月13日放送の「ヤングタウン土曜日」において、明石家さんまさんは「道重はモー娘。のボブ・ディランになれ」と言った。実はかつて、このブログでは道重さゆみちゃんを語る際にボブ・ディランの名前を出したことがある。ボブ・ディランはフォーク界のカリスマだったが、自分の音楽的な幅を広げる為にフォーク・ギターをエレキ・ギターに持ち替え、よりロック的なアプローチを取るようになった。かつてのファンはこれに対し、裏切り行為だと罵った。しかし、これによってボブ・ディランはより広い層からの支持を得ることに成功し、その後のポピュラー音楽界に多大な影響を与え続けている訳である。このことを、「ヤングタウン土曜日」で従来の清純派的な殻を破ろうとしている道重さゆみちゃんに例え、その新しい挑戦を肯定したのだった。

明石家さんまさんがボブ・ディランの名前を出したのは、その独特なヴォーカル・スタイルについてであろう。何週間か前の放送でU.S.A.フォー・アフリカの「ウィー・アー・ザ・ワールド」のことが話題になり、その中ではブルース・スプリングスティーンの熱唱がやはりカッコいいが、プロデューサーのクインシー・ジョーンズからの要請もあり、あえて持ち味の呟くようなスタイルで歌うボブ・ディランもいいものだ、といった感じの話があった。洋楽にも造詣が深い高橋愛ちゃんは、自分が生まれる前年にリリースされたこの曲のPVもちゃんと見ているようで、さんまさんの話にもしっかりついてきていた。一方の道重さゆみちゃんの方は何も分かっていないような感じであった。さんまさんはボブ・ディランのソロ・パートにある「ユーアンミー(you and me)」という部分が気に入ったらしく、番組中何度も繰り返し、また、高橋愛ちゃんも真似をしていた。

ボブ・ディランは一般的な意味でいうところの歌が上手い歌手ではない。本当に呟くような独特の歌い方なのだが、実に味がある。また、歌っている歌詞のないようが社会風刺的だったり別れた女性に対する未練たらたらの弱い部分だったりと、ポピュラー音楽の歌詞としてはちょっと変わった題材が多かった。しかも、言葉のチョイスなどがひじょうに上手く、実に詩的なのだ。しかし、そのスタイルはアメリカの古典的な音楽、ブルーズやフォークの影響を現在に継承するものである。中学生だか高校だかの頃に初めて聴いた時には、何だか鼻がつまったような声で不明瞭に歌っており、これのどこがすごいのかさっぱり分からなかったのだが、聴きこむ程に段々分かった。

道重さゆみちゃんはおそらくボブ・ディランなど聴いたことはないに違いないのだが、「ヤングタウン土曜日」のエンディングにおいて、「ボブ・ディラン派で」「革命を起こします」と宣言した。繰り返すと、ボブ・ディランとは当時のポピュラー音楽界において異質の存在であったが、その独自の才能に磨きをかけ、個性を伸ばしつつも伝統を尊重したような存在である。一方、道重さゆみちゃんは今日のアイドル界においては異質な存在ではあるのだが、やはり独特のセンスを持っており、それが私のような今日の芸能界やアイドルにほとんど興味のない私のような人間までをも夢中にさせている訳である。

山口県から道重さゆみちゃんの親友が遊びに来たらしく、その様子がブログにアップされていた。中学一年生の時に出会い、その影響で地味で大人しかったそれまでの性格が変わり、友達も増えた。道重さゆみちゃんの人生を変えた人物として、これまでにも話題に出たことが何度もあった。外で会っていろいろなことを話し、一旦別れたものの、やはり名残惜しく、結局家に泊っていったいったようだ。お風呂にも一緒に入り、一緒にブログのコメントを読んだり、ガールズトークならぬガールズしりとりをやったりしていたらしい。この親友の写真も顔こそは写っていないが、茶色い髪の毛が写っている。また、この親友が撮ってくれた道重さゆみちゃんのお部屋での写真がブログに載っているのだが、これがまるで中学生女子の部屋のようであり、ひじょうに笑えるのだ。道重さゆみちゃんとこの親友とは、中学一年生の頃に「激モ会社」なる会社を設立していたらしく、この親友が社長で道重さゆみちゃんが副社長とのことである。何だそれは。「激モ」とは何なのか。「激しくモテる」ということなのか。分からん。パズルが解けない。

これ以外にも、ベッキー・クルーエルちゃんとの対談が載った「FLASH」だとかその様子がアップされたYouTubeのアップフロントチャンネルだとか、個人的に好きな望月理恵さんとのFM TOKYOにおけるやり取りやアクセるビリーや今日のめちゃイケや、語るべきことは多々あるのだが、これらについてはまた改めることにしたい。望月理恵さんは高橋愛ちゃんと道重さゆみちゃんの出演が終わり、曲がかかった後もまだ道重さゆみちゃんのことを話していた。「モーニング娘。のコンサートに私も行っていいの?年齢制限はないの?」と自虐的に聞いたところ、「客席の方は大丈夫です」とか答えられたらしく、「何でも返してくる」「頭いいって感じ」などと嬉しそうに話していた。

「めちゃイケ!」は例によってワンセグで見たのだが、思いの外大きく取り上げられていてびっくりした。キャラクターが浸透し、それをイタいものとして扱っていいのだという雰囲気、道重さゆみちゃんご本人が言うところの「イラっときたあなたは正常です☆」的な感じがお茶の間レベルで展開されていたようでもあり、実に面白かった。

道重さゆみちゃんの最近のブログを読んでいて、自分自身の弱さだとか欠点だとかにしっかりと向き合っていこうという覚悟を感じる。そこにリアルを感じる。弱さをさらけ出すのは甘えだとかいう意見もあるだろうが、それは理想に向かう上でぶつかる壁の前でもがき苦しみ、しかし、それに対してどうすることも出来ずにいるような人々に共鳴と感動をもたらし、それによって、人は疎外感から解放され、改めて困難に立ち向かう勇気を得る。ゆえに、このような表現には十分に価値がある。私にとってザ・スミスとかボブ・ディランとかカート・ヴォネガット・ジュニアと忌野清志郎さんというのはそのような存在であった。このような弱さの健全な表現が許されないような空気があると、その溜め込んだ負のエネルギーは、おそらく歪んだ形で投影されるのだ。だから、数年来の親友だとか強い絆で結ばれた家族だとか熱心なファンだとか、そのような人達と分かちあえる環境というのはひじょうに大切だと思うのだ。それが人の魂や命を救うのだと思う。誰かにとってそのような者であれることはひじょうに価値が高いことだと、私は考える。

道重さゆみちゃんはその存在によって、多くの人々の終わりなき日常に彩りを与えている。中には私のように魂を救われたとまで言い出す者すら出てくる始末。迷い悩む夜や昼もあるに違いない。だからこそリアルなのだともいえる。大丈夫である。

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