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2010年8月25日 (水)

影絵の街・あやふやな季節。

「知りたいことはすぐ分かる 電子の図書館に繋げば」とはいとうせいこうの歴史的名盤「MESS/AGE」の中のワンフレーズだが、この作品が発表されてから約二十年、インターネットはまさにこの「電子の図書館」だといえる。

かつてのあやふやな記憶の断片をインターネットで検索し、その結果、ああなるほど、あれはこうなっていたのか、などと思うことは多々ある。

とはいえ、インターネットで検索すれどもさっぱり手がかりが掴めないという案件も、けして少なくはない。

たとえば1970年代終わりか80年代初めぐらいに北海道のAMラジオでよく聴いた覚えがある「バイバイ青春」とか「バイバイ札幌」とかいう感じの曲である。

曲調は当時流行していたニューミュージック調で、やや線が細い感じの男性ボーカルであった。歌詞の内容は、懐かしい街、札幌へ来てかつての思い出をたどってみたが、バスの窓から見える景色は何も変わっていないものの、かつての恋人の香りや面影は、見ずに落とした絵の具のように少しずつ薄れていき、やがて消えていくのだろうといった感じのものだった。

高校時代、長い休みにはよく高速バスに乗って札幌へ行った。親戚の家に泊めてもらい、タワーレコードで輸入盤のレコードをたくさん買ったりしていた。バスが札幌に近づく度に、この曲のことを思い出した。

幼い頃は小さな町を2、3年毎に引越ししていたため、都会については自分から遠く離れた別世界だと思っていた。たまに祖父の家に遊びに行っていた旭川ですら、とんでもない大都会に思えた。まず人が多いし、建物が高い。そして、下りのエスカレーターである。あれは怖かった。足を出すタイミングが分からず、また落下への恐怖もあり、確か10才ぐらいまで乗れなかったような記憶がある。デパートの地下にあった色々なキャンディーを袋に詰めるやつは、とても楽しい思い出として残っている。

都会に興味を持ちはじめたのは、小学校五年で旭川に引っ越してからだった。AMラジオを夜遅くまで聴くようになった。鈴木ヒロミツがやっていたロッテリア提供の番組があり、その中で札幌地下街の名称であるオーロラタウンだとかポールタウンだとかというのを聴いて、どんなに素敵な場所なのだろうと妄想をふくらませた。

そのうち、叔母が結婚し、札幌に住むようになった。相手の男性はとても面白い人で、すぐに私と弟の気に入った。一緒にプラモデルを買いに行ったりプロ野球の話をしたり、私が中学生になって洋楽を聴くようになると、音楽の話もよくするようになった。

一番古い札幌の記憶は、中島公園の野外ステージで開催された新人歌手の祭典のようなものを見に行った時で、確か石野真子、石川ひとみ、太川陽介などが出演していたと思う。

中学生の頃、同じ学年にI君という友人がいて、日曜日など、お互いの家を行き来して、レコードを一緒に聴いたりしていた。私がロックやポップスを好んで聴いていたのに対し、I君はスティーヴィー・ワンダーなどのソウル・ミュージックやジャズなどを愛好していた。I君のお兄さんは札幌の大学に通っているということだったが、札幌にはタワーレコードなる何だかとてつもない輸入盤専門ショップがあると聞いていた。

旭川市内のミュージックショップ国原や玉光堂でも主に輸入盤を買うことが多かった当時の私は、これはいつか行っておかなくてはなるまいと思った。輸入盤は国内盤と比べて、何よりも値段が安い。そして、ビニールのシールドをはがしていく感覚だとか、独特の印刷の匂いなどが、よく分からない異国情緒をかきたてたりもした。

高校受験の合格が決まってすぐに、札幌の叔父の家に遊びに行った。そして、初めてタワーレコードというお店にも行ってみた。ビルの中にあり、それほど広いお店でもなかったが、こんなにたくさんの輸入盤レコードを見たことはそれまでに無く、とても感動した。

札幌駅には叔母とまだ幼かった従姉妹が迎えに来てくれて、駅前のESTAという商業施設の中のレストランで食事をした。「ESTAおめでとうフェア」という店内アナウンスが何度も流れ、その度に従姉妹は、「お母さん、おめでとうフェアだって」と繰り返していた。

タワーレコードでレコードを選ぶ間、叔母と従姉妹は同じビルの下の方の階にある喫茶店のような所にいたように記憶している。

現在のタワーレコードとは異なり、いわゆる邦楽は一切取り扱わず、洋楽も国内盤ではなく輸入盤だけを販売していた。日曜日の朝刊ぐらいの厚さの冊子のようなものがあり、全て英語だったのだが、それが無料で配られていて、さすがにアメリカは気前がいいなと意味もなく感動したりした。店内はまさにここだけ外国かと思わせるような雰囲気があり、その中にいることが刺激的であり、また、心地よくもあった。

当時はおそらくAORだとかニュー・ウェーヴだとかを聴くのが先端的洋楽ファンだったような気がするのだが、私は全米TOP40で人気のホール&オーツだとか、リリースされたばかりのリック・スプリングフィールドの新作だとかを買った。あと、後に全米第一位に輝いた「アイ・ラヴ・ロックンロール」が入ったジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツのLPも、この時に買ったのだと思う。何年も後になってから知ったのだが、タワーレコードの日本での第一号店は渋谷でも横浜でもなく、この札幌店だったらしい。黄色と赤のロゴマークが入った袋は、当時から変わっていない。現在、札幌市内にタワーレコードは数店舗あるということだが、いずれもこの頃の店舗とは別の場所にある。店舗が入っていた五番街ビルは現存しているようだ。

先にも述べたように、当時のタワーレコードではいわゆる邦楽を一切取り扱っていなかった。そのため、発売されたばかりの佐野元春、杉真理、大滝詠一による「ナイアガラ・トライアングルVol.2」のLPは、確か玉光堂で買ったのだった。輸入盤のLPレコードが一枚2200円ぐらいなのに対し、いわゆる邦楽LPの2800円は高いなと思った。

夜に仕事から帰って来た叔父にその話をすると大いに興味を持ったようで、次の日の仕事終わりに待ち合わせをして、一所にタワーレコードに行くことにした。叔父はサイモン&ガーファンクルの再結成ライブLPを買おうとしていたのだが、思っていたよりも価格が高かったようで、結局買わなかった。

同じ年に、何かの用事で家族で札幌に行ったことがあり、大通公園のテレビ塔の前で写真を撮ったような気がする。この時もタワーレコードに行ったのだが、そんなにも欲しいレコードが無い時期で、それほど好きだったわけでもないのに、ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニューズの「ピクチャー・ディス」、邦題「ベイエリアの風」の輸入盤などを買った。

それから、夏休みに同学年の女子と一緒に真駒内野外競技場で開催されたRCサクセションとサザンオールスターズのライブイベントを見に行ったり、高校卒業後は札幌の大学や短大に進学した友人も多かったため、大学一年の夏休みには、友人宅を泊まり歩いたりもしていた。

私が高校時代に編集発行していたミニコミ雑誌に寄稿もしてくれていたI君(先に述べたI君とは別人)の家にも随分とお世話になったのだが、一緒におニャン子クラブととんねるずの映画の二本立てなんていうのを観に行ったりもしていた。I君が深夜のバイトに行っている間に何か面白い読み物でもないものかと押し入れを漁っていたのだが、本の間から大量の男の子の全裸写真や美少年の切り抜きなどが出てきて気まずい思いをしたりした。

その夏に玉光堂で買った「NOW SUMMER」という二枚組コンピレーションLPは素晴らしかった。今日でも大のお気に入りであるアイズレー・ブラザーズ「サマー・ブリーズ」、ラヴィン・スプーンフル「サマー・イン・ザ・シティ」、スモール・フェイセズ「レイジー・サンデー」、キンクス「レイジー・アフタヌーン」などを、全てこれで初めて聴いた。

テレビから流れるおニャン子クラブの「夏休みは終わらない」が、楽しかった夏の終わりを予感させ、少し切なくなった。夜、待ち合わせ場所に行ってみると、高校時代の同級生で水商売のアルバイトをしているTさんは、まだ9月の初めだというのに、すでにジャケットを羽織っていた。半袖の腕に、風が初めて冷たいと感じ、こうして夏がまた終わっていくのかと、感傷的な気分になった。

それ以降、札幌の街を訪れたことは無かった、私にとって札幌とは都会であり、タワーレコードがある街だったため、上京してからは住んでいる東京がその役目を果たしていた。実家にもそのうちめっきり帰らなくなり、訪れるきっかけは次第により少なくなっていった。

祖父が亡くなった時にバスの乗り換えだけのために降りたことはあった。少し時間はあったのだが、地下街にあったココ山岡の女性店員に声をかけられ、一切買う気の無いダイヤモンドについての説明を長々と聞かされただけだ。それももう十五年以上も前の話になる。

北海道の味覚といえば札幌ラーメンやジンギスカンが挙げられる。最近ではスープカレーなども人気のようだが、私が住んでいた頃には聞いたことすら無かった。そんな中でも印象に残っているのは、焼とうきびである。

旭川の買物公園にワゴンが出ていて、よく買って食べたものだ。網で焼いたとうきびに、刷毛のようなもので砂糖醤油のようなものを塗っただけのものなのだが、これがひじょうに香ばしくて美味しい。ソウルフードだといっても過言ではない。

上京してからも居酒屋の北海道フェアのメニューになっているのを頼んでみたりしたこともあるのだが、どうも何かが違うのだ。味覚もそうなのだが、やはりあのワゴンで焼きたてのを買って、ハーモニカを吹くような格好で表で食べるのが良いのだ。

一昨年、実に十三年ぶりに旭川に帰省したわけだが、残念なことき、この焼とうきびのワゴンは買物公園から姿を消していた。オープンカフェのような、何だか小洒落た雰囲気になっていたのだ。この夏には期間限定で復活しているようである。

札幌の大通公園であれば、十月ぐらいまでいつでも焼とうきびが食べられるようだ。

今年も夏が終わろうとしているが、そのさびしさをぶっ飛ばすかのように、失いかけた強度のある記憶の断片を拾い集める作業は必要とされる。

道重さゆみちゃんがそれでもやはり私にとって重要な存在である理由とは、どんなに環境が変わろうとも、家族や地元といった自分自身の歴史を愛し、それに基づいて現在や未来を輝かせようとしている所だ。これは本当に尊敬に値する。諸事情があり、一時期に比べると著しく心が離れ、また、あの頃の感じに戻ることは二度と無いとしても、やはり先日の熱海や山口のブログのように、私に正しさを教えてくれる存在は、道重さゆみちゃん以外に存在しえないのではないかという気がした。

この夏は自分が生きる上での現時点のある種の結論を出してみようじゃないかということで、青春のフラッグを大きく振りながら渡り廊下走っていたわけだが、いい感じで心身ともにダメになりかけたり、再び持ち直したりといったことを繰り返している。一段落したならば、一度大まかな整理が必要だろう。

その予定はだいたい立ってきたので、あとはその結果、どう行くかということだろう。いずれにしても、人生は続いていく。

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コメント

いつも更新楽しみにしています。

生きる様の文章は長文にもかかわらず、読んでいくにつれて引き込まれていく感じが癖になっています。

中でも道重さゆみちゃんに関する記事は切り口が独特で、特に楽しませてもらっています。

私はつい2,3ヵ月前に道重さゆみちゃんのファンなりました。 調べれば調べるほど面白いエピソードが出てきて、ますますのめりこんでいく毎日です。

いつかこの熱が冷めてしまうと思うとなんだか寂しい気もしますが、当分は今の流れに自分を委ねたいと思います。

長々と失礼しました。 これからも更新楽しみにしています。

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