完全な美の象徴として偶像を必要とし、それに近づきたいという欲望だけが真にリアルであった。
そう、いつだってそうだったのだ。それだけのことなのに、ああ、俗っぽい真実を知る度に勝手に傷ついて一人で泣いた。相手のことなどいつでもどうでも良いのだ。
ゆえに、「バタアシ金魚」という映画にあれほど泣ける。しかしあれは高校生の話だ。中でも妄想炸裂で相当イッちゃっているという、そんな作品である。あれをいい大人になってまでやっているとすれば、それは滑稽でしかない。それが深刻であればあるほど笑える。なぜならばそれは世間一般的な尺度から見るといかにも珍奇であり、フリーク性に満ちたものである。
珍奇者、行け!行け!これでいいのだ。私にとって真に充足した生を生きるということは、このようなことでしかありえない。そんなことを再発見できた。とても良かった。
さて、だからもう実際の恋愛などはするべきではない。もうどういうことかがハッキリと分かってしまい、それについて反省も無いわけだから、まかり間違って今後そのようなことが起こったところで、相手の人には迷惑しかかけることがない。しかし、そんな可能性ももう無いのではないかという気がしていた。
昨日、記憶の街で信号を待っていたところ、どこかの店から稲垣潤一の「エスケイプ」という曲が流れてきた。「ドラマチック・レイン」がヒットした後、次のシングルとして発表された曲なので、おそらく1983年かそのぐらいの作品だった。当時は大滝詠一、山下達郎、佐野元春、杉真理といったナイアガラ人脈によるアーティストに人気があったし私も好き好んでレコードなどを買って聴いていたわけだが、シティ・ポップなる括りで一緒にされることも多かった他の男性ソロ・アーティストにはあまり食指を動かされなかった。山本達彦など女子を中心にひじょうに人気があったが、一方、この稲垣潤一などもシティ・ポップとされる場合が結構あったように記憶している。
地方都市の学生であった私は当然、シティ・ポップの歌詞にあるような都会的で小粋な恋をしていたはずもなく、ただただその世界観に近い未来への期待をふくらませ、妄想に浸っていたわけである。同じくシティ・ポップを愛好していた女子達にしてみても、その傾向は結構強かったのではないかと思う。
偶然この曲を耳にして、その時は「ただの友だちを恋人に変える」というフレーズが耳に入って来た。そして、確かにそのような甘く淡い感覚というのに、私は最大の価値を置いているな、と思ったのだ。ところが、現在、現実的な私の生活において、そのような状況は一切起こることがない。おそらくそれを望んですらいなく、ゆえにどんどんその可能性を低める方向に行っていると思われる。
私は結婚をしているので、そのような立場で自由に恋愛などをしようものならどのような面倒なことになるのかは十分承知している。しかも、私が恋愛に求めているものとは完全な美の象徴としての偶像でしかありえず、たとえば結果的に交際をする流れなどになったとしても、その時にはおそらくすでに終わっているのだ。
かつて結婚をしていながら現実の女性に恋をしているという状態が断続的にあったわけだが、いずれも悲しい結末に終わっている。当然だろう。ただただ辛い思いをして、泣きながら壁に頭を打ち続けたり何時間も連続してシャワーに打たれながら浴室に座っているといった傍から見て危ないとしか言いようの無い行為を、気が済むまで続けるしか方法が無いのだ。
しかし、ここで思いがけず突破口が見つかった。それがアップフロントエージェンシー所属の...いや、もういい。モーニング娘。の道重さゆみちゃんであった。アイドルや芸能人などにはとうに興味を無くしていた私が偶然にもこの当時まだ十代だった女性の魅力にハマっていった。とにかくその世界観や価値観が素晴らしく、それはまさに私が求める完全な美の象徴としての偶像にふさわしかった。
相手が芸能人である以上、現実的に何らかの関係ができたりすることはありえず、よって家庭問題にも影響せず、また、相手が自分を受け入れるような形に関係性が変化し、つまり相手の完全性が失われ、私の中で一方的に恋が終わるという心配も無く、もちろんそれにまつわる現実的なあらゆる苦痛からも自由なわけだ。なぜ早くこれに気付かなかったのか。いや、これは完璧ではないか。そう思っていた時期もあった。
道重さゆみちゃんは私の人生に様々な良い影響を与えてくれ、それによって新たに切り開かれた物事も数え切れない。これについては一生感謝し続けるだろう。間違いなく私の人生における重要人物の一人である。しかし、現在、道重さゆみちゃんはすでに私にとって完全な美の象徴としての偶像ではない。その原因はモーニング娘。とそのリーダーに対する愛着という部分であり、それが私の脳内で造り上げた完璧な美の象徴としての偶像にヒビを入れた。何度か取り繕おうとしたり、代わりの誰かを探してみたりしたが、いずれも上手くいかなかった。最近では道重さゆみちゃんのことをたまたま個人のタレントとして認知していて、モーニング娘。やそのメンバーについての知識を完全に抹消しようなどというどうかしている試みにまでチャレンジしていた。とてもじゃないが、上手くいく予感は全く無かった。
この関係性には、じつは他にも欠陥があった。現実的に当時の道重さゆみちゃんと私の関係は芸能人とファンのそれであり、つまり道重さゆみちゃんは私が彼女のファンである限り、けしてその存在を否定しないということだ。私の中で道重さゆみちゃんが完全な美の象徴としての偶像であり続けたならば、自分の存在を肯定してもらえる、その事実だけでもう十分なのだ。道重さゆみちゃんとの芸能人とファンとの関係の外に価値観はほとんど存在しなく、ゆえに私はそれ以外において向上する必要性を失った。毎週ラジオを書き起こして考え抜いた分析を書き綴っていればそれで満たされていたのだ。これは何かに似ているなと思ったら、やはりそれは宗教であった。
完全な美の象徴としての偶像が目前に現れ、自分との関係に自明性が無い場合、出来うる限り最大限の理想追求を行うはずである。つまり本気で必死なのである。その時に自分がなろうとするものこそが、心の奥底で本当に望んでいるものだ。
書店の2階にはビジネス書だけではなく、音楽、映画、写真等の芸術関連の本や語学などの参考書や洋書なども売られていた。そこで、何故に私はいずれもビジネス書、しかもリアルの仕事に役立つと思われるもののみを手に取ってレジへと持っていったのか。
空港へ速い列車で間に合う直前、セイコーマートのグランディアというオリジナル缶コーヒーはおいしい。しかも78円で売られていた。昨日飲んだのとは異なるヨーロピアンブレンドというのを買って飲んだが、これがまたおいしかった。豊富牛乳が使われているということである。iPhoneの地図で探したセイコーマートの一番近いお店が赤レンガのすぐそばだったので、せっかくなので写真を撮ったりした。十時二十五分の速い列車に乗れば、予約している飛行機のチェックインには間に合う。つまり、10時開店の書店には数分間だけは立ち寄ることが出来る。エスカレーターで2階に上がったが、やはりその姿はなかった。もう一冊本を買わずにすんだ。
品川で降り、旭川の伝説の塩ラーメンことさいじょうで食事をした。一昨年、両親と旭川ラーメン村の店で食べて以来だった。あの時はシンプルで美味しいけれどもインパクトに欠けるような印象を持っていたが、今日はかなり満足度が高かった。帰宅してやらなければいけないことをやり終えた後、iTunesで稲垣潤一の「エスケイプ」を購入した。まともにちゃんと聴くのはリリース時以来と言ってもいい。その時にしてもFM番組か何かからカセットに録ったものを何度か聴いたぐらいである。
作詞は井上鑑で作曲が筒見京平。稲垣潤一といえば「夏のクラクション」という曲が筒美京平作品で、この曲はただただ気持ちがよくお気に入りだったので、すでにiTunesで購入済みであった。「エスケイプ」も筒見作品だったのは知らなかった。しかし、やはり歌詞が素晴らしい。遠くから見ているならば胸を痛めることもないが、しかしあなたの瞳は危険なまなざしであり、自分にとってはマジックであると、そのような内容だ。さらにはどうせ人生はルーレット・ゲームなどという大げさに疾走しはじめている心象風景も好ましいものだ。
他にはBase Ball Bearの新作で関根史織さんがソロで歌っている「LOVESICK」やサザンオールスターズの「あっという間のTONIGHT」、ポリスの「見つめていたい」、カルチャー・クラブの「ポイズン・マインド」、RCサクセションの「夢を見た」などを聴いた。また、Base Ball Bearでは「クチビル・ディテクティヴ」もより一層のリアリティを持って心に響いてくる。ぼんやりとフワフワした感覚が痺れるように良いのだ。
「LOVESICK」はレゲエ風味の楽曲と関根嬢のフワっとしたヴォーカルが恋の感覚をうまく表現している。幻を抱きしめてたの、消えたことにも気付かないでという歌詞が切ない。しかし、恋とは結局のところそういうものだ。
「あっという間のTONIGHT」はサザンオールスターズの1984年発表のアルバム「人気者で行こう」に収録された一曲だ。歌い出しが「眉目麗しく愛し人よ」という歌詞だが、これを初めて聴いた時、その時に好きだった高校の同級生の女子を表すのに何てふさわしい表現なのだろうと、胸を熱くした。
高校三年のクラス替えで初めて存在を知り、それから長い休みが続く日に自室で音楽を聴きながら寝転んでいて、学校に行って彼女の姿を見ることが出来なくてつまらないと思った。その瞬間に気がついてしまったのだ。その気分を表しているのがポリスの「見つめていたい」である。
さらに高校二年の夏休みに同学年の女子と札幌に出かけた時、パルコの近くでかかっていて、ワクワクする良い曲だなと思ったのがカルチャー・クラブの「ポイズン・マインド」。
「夢を見た」はRCサクセションが東芝EMIに移籍して初めてリリースしたアルバム「FEEL SO BAD」からで、これは1984年の作品だ。好きな人のことを夢に見たが、目が覚めて悲しいという身も蓋もない内容である。これを感情移入しまくりながら聴いている。
大通公園では毎年ホワイトイルミネーションというのが恒例になっているらしく、今年はどうやら十一月の終わりぐらいからだ。昨年の写真をホームページで見たが、じつにロマンチックだ。妹も去年見に行ったとか言っていた。





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