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2010年11月15日 (月)

当事者でいることのリアリティー。

コマ送りしたい程に満ちた日常がやってきて、世界は輝きを取り戻したのだろうか。傍観者ではなく当事者になる、その態度をしっかりと自分のものに出来てこそ感じられる生の充足。

3年前、モーニング娘。のメンバーとして、また、ラジオ「今夜もうさちゃんピース」のパーソナリティーとして、突然、道重さゆみちゃんのことが気になってきた。まだテレビでの毒舌キャラも花開くずっと前のことである。

アイドルは中学生や高校生の頃は普通に好きだったけれども、まあ、いわゆる一般的な男性同様に年相応に卒業し、これからもう一生無縁なのだろうなとは思っていた。というか、正直もう分からんわい、というような感じだったのだ。

だから、道重さゆみちゃんのことも、普通にアイドルを好きになるように、疑似恋愛の対象だとか、見た目が可愛いから好きとか、そういうことではなかった。むしろ、ネタ的に見ていたテレビ番組でのナルシストキャラが痛々しく、おそらく苦手なタイプだとすら思っていたのだ。

ところが、じつは小学生の頃は地味でおとなしくて、ダンゴムシが友達というようなさえない女の子で、男子からみちし原人などとからかわれて、いつも家に帰って一人で泣いていた、さらにはラジオのホームページで公開されていた愛用の髪飾りは、小学生の女の子が大事にしているような可愛いウサギの形をしたものだった。

何だかはるか昔に忘れていたような、しかしそれこそが現在の自分に欠乏しているような、なぜか不思議な胸騒ぎを覚え、取り憑かれたように彼女についての情報を集めたり過去のラジオをさかのぼって聴いていったりした。挙句の果てには本人を見るために生まれて初めての大阪に行ったり、このような女の子を育んだのはどのような環境なのだろうと知りたくなり、それまで縁もゆかりもなかった山口県宇部市などという所に出かけてみたり、その存在はどんどん大きくなっていった。

出身地や家族といった自分のルーツや、家族や友人といった身近な人達との関係を大切にするというのは、正しく生きるための基本だとも思えるのだが、私はずっとこのあたりが相当にダメであり、しかも、それが自分のスタイルとして好きで選んでやっているとすら思っていた部分もある。睡眠や食事もメチャクチャだったし、煙草も吸っていた。これらは、全て道重さゆみちゃんのおかげで改善された。たかだか一人のアイドルがそこまで影響力を持つものかとも思うのだが、不思議だが本当である。なぜなら、私にとって道重さゆみちゃんの存在というのはトータル的に完全な美の象徴であり、その弱く人間的な部分も含め、憧れの対象だったからである。

そんな日々は過ぎ去ったが、これは全く悲しむべきことではない。私はかつて、「私は私自身の道重さゆみちゃんを生きなければいけない」などという電波チックな文章を書いてはいたわけだが、いよいよそれが道重さゆみちゃんに依存しなくても自分一人でできるようになった☆カナ、ということなのである。

仕事が終わり、電車の中で息抜きにBBC2Cでモ娘(狼)板をチェックした。もちろん、「道重」のキーワードで検索をかける。おそらく前夜の「今夜もうさちゃんピース」の発言を元にしたと思われるスレッドが、2スレッド目に突入していた。めちゃめちゃすごく伸びているというわけでもないが、まあ、それなりに論争という名の叩き合いのような雰囲気になっているのか。

「今夜もうさちゃんピース」はまだ聴いていなかった。日曜日は朝から仕事だったので、前夜は早めに寝て、仕事を終えて帰ってから録音された音源を聴こうと思っていたのだ。以前は仕事の休憩時間などにもモ娘{狼)板を見ていたりしたわけだが、最近は見なくなった。事務所のソフトバンクの電波状況が最悪という事情もあるのだが。

それで、道重さゆみちゃんのラジオ書き起こしのような>1を読んだのだが、ああ、なるほど、これはいわゆるヲタ論争の格好の餌食になるのもやむをえない☆カナ、と思ったのだった。以前の私ならばしっかりと読み込んで、その上で複数の文体を使い分け、アンチ殲滅活動に勤しんだものなのだが、今となってはただただ懐かしい思い出である。若いって素晴らしいね。

おそらく悪意を持ってあえて曲解した人が無理やり叩きに持っていく、みたいな流れがあり、電通工作員がとかなんとかそういうことがいろいろ書いてあるのだろうと思い、いずれも私には必要のない情報であったがゆえ、スレッドを読み込みすらしなかった。ただ、帰宅して番組も聴いてからチラリと見てみると、他メンバーや事務所を批判したんじゃないかとか、いやそうじゃないだろうとか、仮にそうだったとしてもそれがいけないのかとか、そのようなことが語られているようだった。

それにしてもすさまじい怒涛のトークであった。これだから道重さゆみちゃんはやめられない、とでもいうような。こんなにも生々しく、かつ赤裸々に自分自身を吐露したアイドルが、かつていただろうか。道重さゆみとは、やはり私にとってはリアルな葛藤のドキュメンタリーで、何かすごくパワーをくれる存在だ。

これは人生においてつねに当事者であり続ける者こそが直面する闘いであったり、そこでの友情だったりであり、傍観者であろうとする者達にはあまり伝わりにくいのではないか。

傍観者にはリスクが無く、ただ人のことを好き勝手言っていればいいのだが、本気の葛藤とか闘争とかいうものとは無縁でいられるがゆえ、こういうものを頭の中で想像することしかできず、リアルな経験として共感できない。

これは芸能界の中での話だが、他分野においても、当事者でろうとする者ならば、これは共感できる部分が多いのではないか。

自分がよりよくなろう、理想に近づこうとするならば、競争心なども芽生えてくるだろう。これは芸能界以外の別の分野や一般の会社などにおいても同じことだ。

かつて、道重さゆみちゃんは初のソロDVD「17~ラブハロ!道重さゆみDVD」において、他人と比べたり比べられたりして自信を無くすこともあったが、ファンの声援が励みになり、自分は自分で行けばいいんだと思った、というようなことを話していた。そのことは十分に分かっている。

しかし、多忙なスケジュールやプライベートでの心配事などの中で、大切なそのことが見えなくなってしまうことがある。こういうことは、当事者として何か夢や目標に向かって走っていれば、ありがちなことなのではないか。そのような時に、それを自分に気づかせてくれるのがよき友であったり、ありがたい上司といった存在である。自分がそのように気づかされ、それによって助けられたならば、その感謝の気持ちを知っている者ならば、今度はそれをまた他の誰かにしてあげることができるだろう。

亀井絵里ちゃんが言った言葉は本当に素晴らしく、道重さゆみちゃんに気づきを与えた。世の中というのはこうやって気づきの連鎖によって周っているのだと思う。三年前、私が道重さゆみちゃんを認識することにより、このままではいけない、自分を変えなければと思ったのも、やはり気づきであった。その頃よりも、今、私はずっと幸せである。そして、これからもっともっと幸せになるだろうという確信めいたものがある。私にはその頃には想像すらしていなかった夢や理想があり、今、それに向かって着実に前進しているという実感が持てるからだ。

私ももっといろいろなことに気づき、それによって人によい気づきを与えられるような人間になりたい。私の仕事場では、近々、気づきメモなるツールを導入しようと考えていたところであり、それも含め、今回の番組では、やはり合言葉は’気づき’だな、という思いを改めて強くしたのだった。

気づき気づかれ生きるのさ。よし、明日も気づくぜ!

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