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2011年2月

2011年2月20日 (日)

そのスピードで。

iPhoneから確認したところ、NMEの最新号がやっとこさZinioに届いたようである。しかし、ROLLING STONEのようにiPhoneアプリには対応していないため、帰宅後にパソコンで読む以外に無い。iPadには対応しているのだが、あっちは購入予定が無いのだ。

それにしても今週は遅かった。とはいえ、以前ならば渋谷のWAVEとか新宿のヴァージン・メガストアとかアルタの中のCISCOに入荷する最速が土曜日で、わざわざ楽しみにして行ったのに入荷していなかったりするとこの世の終わりかのように落ち込んでいたのだから、それに比べると随分と便利になったものだ。欲望は果てしないというか、人間は自由であるべく呪われているというか、そのように感じた次第である。

一方、ROLLING STONEの方はというと、だいたい隔週火曜日ぐらいに届いていたのだが、最近はその前の週の土曜日に届いている。しかもiPhoneで読めるのだからひじょうに好ましい。前号のエルトン・ジョンのインタビューもひじょうに面白かったが、今週のジャスティン・ビーヴァーのもとても楽しめた。個人的にあまり興味がない人についての記事でも面白いのだから、かなり素敵だ。R.E.M.の新作だが、これはどうやら買うことになりそうである。近頃、新しいバンドやアーティストを一生懸命チェックするよりも、昔から聴いてきた人達の新作とかに感じ入ることが多くなってきたような気がする。まあ、普通はこんなものなんだろう。

ところで、仕事場の有線かかってる板野友美の「Dear J.」を今さらながらちゃんと聴いたのだが、これはかなり好きである。洋楽でもインディー・ギター・ポップなどを愛好する一方でレディー・ガガとかケイティ・ペリーのシングルなんかも秘かに好きな私なので、これは素直にカッコよくてノリノリで良いと思うのである。

あと、森進一の「冬のリヴィエラ」を最近iTunesでダウンロード購入し、ひじょうに気に入っている。これは私が高校生だった頃に出たシングルだが、大瀧詠一作品だからといって何でも得意気に買っていた友人のことを、どこか苦々しく感じていた。しかし、これは普通に良いではないか。紛れもなくナイアガラワールドである。

あの年、親戚が旭川に集まった時、札幌の叔父さんもこの曲を口ずさんでいたのだった。

大阪からまたメッセージが届きはじめているのだが、もう甘やかすのと突き放すののさじ加減がよく分からなくなっている。悪気は一切無いし、むしろ愛しくて仕方がないぐらいなのだが、思っていること考えていることをちゃんと伝えるというのは、とても難しいことだ。

でも、やはりちゃんと正しい道へと導いてあげなくてはいけないと、そんな風には思っているのだ。ただの天使性に殺られたいだけで、その優先順位が下がったとかそういう次元で捉えられても仕方がないとは思わないでもないのだが。

とにかく男の子のように痩せぎすな体躯で、最近の女子のように焼肉などがっつきそうにないようなところを含め、パーツに身も心も侵食されがちなことは間違いないとして、不承不承の受け入れ方を覚えることも、大人になる上では悪くないと思うのだ。

年月が教えたものが憂いの纏い方だけだったというのでは冗談にすらならないし、そんな風に育てた覚えは無いのです。

私信かと問われれば、必ずしも否定はしない。

エルヴィス・コステロ流に言うと、「My Aim is True」ってとこか。相も変わらずイタいことこの上ない。でも、そこが良いんじゃん。とかなんとかを繰り返す昼下がりである。

2011年2月19日 (土)

やすらぎの世界。

たとえば現実がたまらなく冷酷かつ非情であったとして、それから目を背け、架空の楽園に逃避して生きることはそんなにも難しくはない。

メッセージは次第に明瞭になっていき、すでにそれは無視できないレベルに達していた。

様々な偶然はある意志の力が呼び寄せたものか、あるいはある種の運命のようなものに導かれているのか。

ついにはオカルト一歩手前である。弱ったものだ。

「恋する惑星」のDVDを偶然に見つけて購入し、たまたま今週はZinioにNMEの最新号が届くのが遅れていて、空いている時間があったので、久しぶりに観たのだ。最後に観てからおそらく10年以上は経つ。初めて観たのは16年前の夏だ。帰りは代々木上原から西原のマンションまで歩いていった。一緒に観たのは現在の妻であった。

一般的評価だとか映画史における価値だとかとは無関係に、これはもう絶対的に好きであると言い切れる作品がいくつかある。「バタアシ金魚」とか「私をスキーに連れてって」とか「チェイシング・エイミー」とか「(500)日のサマー」とかのことである。そして、「恋する惑星」もやはりそんな中の一本に違いないという事実を再確認した。

この映画のどこがそんなに素晴らしいかを語るには、私の文章力はあまりにも拙すぎる。それにしても、「恋する惑星」とは素晴らしい邦題である。

今から28年前、つまり1983年の2月第2週目の「ザ・ベストテン」をiTunes上でプレイリスト化するにあたって、2曲が不足していた。第10位の堀ちえみ「さよならの物語」はまあ仕方がないとして、この週に第5位に初登場し、やがて第1位になった松田聖子の「秘密の花園」を持っていないのは由々しき問題である。

わらべ「めだかの兄妹」や佳山明生「氷雨」すらiTunesライブラリに入っているというのに、なぜにこれが無いのか。この頃の「青春歌年鑑」シリーズ全部や松田聖子のベストCD2枚組「Bible」も取り込んであるというのに、なぜにこれが無いのか。

松田聖子の「Bible」は3種類ぐらい出ているのだが、いずれもシングルとアルバム収録曲が混ざって収録されており、1セットでシングル全曲を集めることが出来なかった。遥か昔に買った「Seiko•Plaza」なるLPレコードセットにはその時点までのシングル曲が全て収録されていたのだが、今はどこにあるか分からないし、そもそも再生する環境もない。

そこで、「秘密の花園」が入った「Bible」を借りようかと思って、近所のGEOへ行った。iTunesで配信されていれば例え1曲200円だったとしても買っているのだが、日本ではソニーは頑なにiTunesでの販売を拒んでいるようだ。河合奈保子とか柏原よしえとか松本伊代とか小泉今日子とか早見優とか岡田有希子とかはシングル曲がほとんどiTunesで買えて素晴らしい。しかし、松本伊代と早見優については、オリジナルアルバムも早く販売されないものかと心待ちにしている。1982年の夏は山下達郎の「FOR YOU」と早見優の「AND I LOVE YOU」を交互に聴いていた。サザンオールスターズの「ヌード・マン」は買っていなかった。

当時のオリコンWEEKLYの裏表紙はビクターの広告になっていたが、すでにiTunesで配信されている小泉今日子や松本伊代と共によく広告が載っていたのがTHE GOOD-BYEだったが、こちらは残念ながらまだ配信されていない。たのきんトリオのヨッちゃんのバンドということで聴かず嫌いするのが勿体ないほど素晴らしい曲がいくつもある。芳本美代子の「白いバスケットシューズ」がiTunesで買えたのは嬉しかったが、つい先日は高岡早紀の「フリフリ天国」なんていうのまで追加されていて感激したものである。

しかし松田聖子はiTunesでは買えないのでGEOに行ったら、これまで見たことのない「Diamond Bible」なる四枚組CDセットがあった。ソニー時代の代表曲を一挙収録ということで、おそらくシングル全曲が入っているような雰囲気もある。とりあえず「秘密の花園」は入っていたので、迷わずレンタルすることにした。

当時の私は特に熱心な松田聖子のリスナーというわけではなかったが、普通にテレビで見たりたまにLPを買ったり、1981年の妹の誕生日には「チェリー・ブラッサム」のシングル盤をプレゼントしたりはしていた。

当時、松田聖子の作品には大瀧詠一、細野晴臣、呉田軽穂(松任谷由実)、財津和夫、尾崎亜美といった日本のニューミュージック系アーティストが多数楽曲を提供しており、アイドル歌手としては異例のLPの売れ方をしていた。サザンオールスターズ、松任谷由実、山下達郎などのLPと同様にある種ファッショナブルな聴かれ方をされていた部分もある。

アイドルとしてデビューしたての頃は、かわい子ぶりっ子などと揶揄され、当時大人気だった田原俊彦とグリコアーモンドチョコレートのCMで共演、仲よくテニスをしたりしていたこともあり、全国の女子達から反感を買っているような感じもあった。

それが次第に同性からの支持も高まっているという話を聞くようになり、ある土曜日の午後に、ミュージックショップ国原で「風立ちぬ」のLPレコードを買っているお姉さんを見て、噂は本当だったんだと思ったものである。

「秘密の花園」の頃は前年にデビューした花の82年組こと中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優らの人気が高まっていて、松田聖子はもうすでに旬のアイドルという感じでは全くなかった。この曲はミニスカートの衣装が話題になったが、松本隆による歌詞のダブルミーニングも含め、それまで松田聖子に対して歌手として以外の魅力をほぼ感じていなかった私ですら、性的な暗喩をヴィヴィッドに感じ取った作品である。

ありきたりな大人のセクシーだとか下世話なエロスなどに走ることなく、さり気なく仄めかすことによって想像力をかきたてるというきわめて高度な表現であった。82年組びいきの私ではあったが、これには格の違いをまざまざと見せつけられたような気分だった。

ちなみにこの曲の歌詞において松本隆が描いた男の子というのは、「真面目にキスしていいの?なんて ムードを知らない人」などと言われてしまうのだが、同じく松田聖子の「赤いスイートピー」においては「知り合った日から半年過ぎても あなたって手も握らない」という状況があり、また、この松本隆が芳本美代子に書いた「白いバスケットシューズ」においては、「眼をとじて10秒待ったのににぶい人ね もっと他の恋人たち進んでる」である。だから松本隆は信用できるのだ。

冷酷かつ非情な現実を生きるからこそ、より深い優しさにたどり着くのだろう。闘うことの目的があくまで自分本位的なものに思え、それならばそれほど勝つことに執着は無く、たとえそれに熱心になったところで、周囲から笑顔は消えていった。

あまくやわらかな世界、そのようなものを言葉少なに約束してくれる存在、それは経験が少いうちにはよく分からないのだ。しかし、私は常にそれに守られていて、おそらく今後もずっと必要とするに違いない。ならばそれのために生きるという新しいアイデアはどうだろう。

2011年2月18日 (金)

もう逢えないかもしれない。

先週、今週と二週続けて北海道へ行った。先週は観光も目的のうちだったのだが、行く前にやりたいことをリストにしていた。そのうちのほとんどはやることができたが、二つだけやれなかったこちがある。しかし、予定外に価値ある出来事が多々あったため、できなかったこと達のマイナス分は帳消されて余りあるわけである。

ちなみにそれらできなかったこと達の一つというのは、美園という所にある麺屋彩未というラーメン屋さんで食事をすることだったが、これはお店がある限りいつでもできる。もう一つは、とうきびモナカというおそらく北海道限定販売に冷菓子を食べることだった。

別に大層な特産品のようなものでもなく、子供の頃に普通にスーパーなどでよく買って食べていたものだ。特に際立って好んで食べていたわけでもなく、数ヶ月前までは思い出すことすらなかったのである。

昨年の秋に札幌でコンビニエンスストアを見ていたら、アイスクリーム什器の中で、おそらくこれが売られていた。とても懐かしいと思ったが、おしらく観光の途中であり、かつ今すぐ食べたい感じでもなかったので、帰りににでも買っておこうと思った。そして、すっかり忘れたまま東京に戻った。

今回こそはと思い、セイコーマートのアイスクリーム什器の中をのぞいてみたのだが、売っていない。昨年の秋に見たのは、おそらくすすきののセイコーマートか紀伊國屋書店札幌本店の隣のホテルの1階にあるファミリーマートのいずれかだったと思う。すすきののセイコーマートにはその後行ってみたのだが、売っていなかった。ファミリーマートには行っていない。札幌在住の妹は、最近売っているのを見た記憶がないという。

インターネットで調べてみると、いくつかの情報を知ることができた。とうきびモナカは以前、雪印から発売されていたが、ある時点で雪印がアイスクリーム部門をロッテに売却したらしい。とうきびモナカもロッテアイスから発売されていたのだという。しかし、雪印ブランドの商品として定着していたため、パッケージには雪印のブランド名と雪の結晶のマークがプリントされていたのだという。これについては、雪印とロッテとの間で契約が交わされていたらしい。

しかし、昨年のある時点で、ロッテ商品に雪印のブランドを付けることを終了したようだ。このことについては、ロッテアイスのホームページで説明されていた。例としてある商品のパッケージが載っていたのだが、とうきびモナカについては言及されていなかった。ロッテアイスホームページの商品一覧を見ても、とうきびモナカは載っていないように見える。

一体どうなってしまったのだろうか。この困難さによって達成のハードルが上がり、ゆえに半ば強迫観念化しているような感じもある。

つまり、レア感を演出して価値を高めるという手法はやはり有効なのであり、日々の暮らしをより豊かにするためには、何でもかんでも欲しいものがすぐ手に入ったり、いつでもすぐに会いたい人と会えたり連絡が取れたりすることは、じつは絶対的に良いことでもないのではないか、という気すらしてくる。

一期一会であり、今ここを大切に生きていくことはひじょうに大切である。

ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」のDVDがたまたま入荷していたのだが、これは公開時に劇場で観て、ビデオカセットも持っているのだが、DVDを買うタイミングを逸しているうちに、Amazonなどでも高値が付いている現状なのである。もちろん、迷わず買った。

今から16年前の夏、現在の妻と銀座に観に行った。チラシではある女性タレントだかモデルだかが、観終わった後でスキップして帰ったなどと大げさなことを言っていたが、実際に観終わってみると、確かにスキップせざるをえない心境になっていたのであった。久々に観るのが楽しみである。

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2011年2月17日 (木)

白い街、魂のかたみ。

朝のうちに仕事場にて用件をすませ、それから羽田空港に向かった。ざるそばとミニいくら丼のセットを食べ、約1時間半で新千歳空港へ着いた。それからJR快速エアポートに乗り換えて札幌へ行くことに、すっかり慣れてしまった。新千歳空港は今年リニューアルするらしく、それに関するチラシのようなものを配っていた。空港の中に温泉や映画館やドラえもんミュージアムのようなものなどが出来るのだという。下りエスカレーターがスロープ状から突然段差ありに変化することにも、もう驚かなくなった。

ミスタードーナツの前で父と待ち合わせすることになっていたが、よく分からなかったので妹に電話すると、ちょうど旦那と車で会場に向かっているところだという。これはちょうど良いということで、札幌駅前から乗せていってもらうことにした。待っている間、自動販売機でグーニューというドリンクを買って飲んだ。飛行機に乗っている最中から何だか頭が鈍く重く、それはもしかすると水分が不足しているからではないかという気がして何か買おうとすると、ストロベリーのポップなパッケージデザインがやたらと興味を引いたのだった。ミニッツメイドなのだがフルーツ味のヨーグルト飲料であり、ナタデココも入っているというなかなかユニークなものであった。ストロベリーの他にパイナップルフレーバーも売られていた。

会場に着くと親戚の人達が集まっていて、挨拶をしたりした。中でも小さな子供だった頃の記憶しかないいとこが大きくなって子供までいるというようなことがあり、それに時の流れを感じたりどうもピンと来なかったりという感じであった。他にもいろいろと久しぶりに会う人達がいた。

控室で弁当を食べたり待機したりしていて、夕方から通夜がはじまった。喪主である叔父から、病室での祖母の最期の時の様子が語られた。私の母や叔父、叔母、つまり祖母の子供達が集まり、最後は姉妹が枕元で祖母の好きな歌を歌い、みんなに見守られながら息を引き取ったのだという。昔から威厳のある喪主である叔父ではあったが、この話をする時には嗚咽しており、それが心にきわめて原初的な反応を起こさせた。

病室での看病からここ数日間の準備という流れの中で、叔父や叔母は身も心も多分に疲弊していたことであろう。通夜の番は喪主である叔父から直々に託された。何人かのいとこと妹夫婦がずっと起きていて、思い出話やその他近況などについても話したりした。

やがて朝食の準備がはじまり、叔父や叔母達も一人一人起きてきた。私と妹夫婦は食事を済ませると、隣の部屋で横になった。妹の旦那が毛布のようなものを掛けてくれた。しかし、少しすると会館の職員がやって来て、布団を撤収すると言われた。仕方がないので控室で少し眠った。

10時から告別式がはじまった。読経や焼香があり、それから弔電が読まれた。仕事の都合で来られなかった私の弟からの手紙が読まれた。祖母がまだ旭川の神楽岡に住んでいた頃、庭で虫採りをしたり東屋でジンギスカンをやったり、自転車で街へ行った帰りに寄って、冷蔵庫で冷えた三ツ矢サイダーを飲ませてくれた思い出などが綴られていた。

最後のお別れ、出棺、それからマイクロバスにみんなが乗って、斎場へと向かった。父やいとこなどと話した。少し寝たおかげで、思っていたほどつらくもなかった。すべては滞りなく進行し、ふたたびマイクロバスで元の会場へと戻った。最後の読経、喪主である叔父からの挨拶があり、そこで解散となった。

飛行機は夜9時の便しか取れなかったため、まだ時間はあった。喪主の叔父や母をはじめ、兄妹達は叔母が住んでいた家に集まり、そこに泊まることになっていたようだ。時間まで私もそこにいることにしたが、妹の旦那が車で送ってくれると言ってくれた。私の妻がセイコーマートのちぎりあたりめが大好物であることを知っていて、私が帰り際に駅近くの店ででも買って帰ろうと言っていたのを覚えていてくれたのだ。さらに、他に見たいものや食べたいものはないですかと聞いてくれたり、本当に気が利く。仕事もたくさん溜まっているため、帰ったらすぐにやらなければならないと言っていたのだが、それでも私に気をつかってくれる。以前に私が美園というところにある麺屋彩未というラーメン屋さんに行きたがっていたが、お昼時はものすごい行列ができているという情報を知って断念したことを覚えていてくれ、この時間なら空いているかもしれないのでとわざわざ行ってくれた。残念ながらちょうど営業をしていない時間帯だったのだが、この心づかいがとても嬉しい。セイコーマートでちぎりあたりめも無事購入することができ、それから祖母が住んでいた家まで送ってもらった。そこで妹夫婦とは別れた。

ちょうど叔父や叔母達や私の両親も帰って来たばかりで、家の中に入って、またいろいろな話をしたりした。祖母が病院にいて家にいないのともう本当にいなくなったのとではやはり感じが違うと、一人の叔母が言った。30分ぐらい2階の部屋で寝て、それから仕出しの弁当を食べた。叔母が味噌汁や漬物を用意してくれた。それから叔父や叔母、母やいとこも弁当を食べはじめた。

電話で呼んでもらったタクシーが来て、玄関まで見送ってくれた全員と別れた。次にいつ会えるのかは分からないが、この絆を信じることはできた。白石駅で降り、そこからJRの列車を新札幌で乗り換えて、夜の8時前ぐらいに新千歳空港に着いた。土産物屋がたくさん並び、市場のようであった。下の階に本屋さんがあると書いてあったのでエレベーターで降りて手前まで行ってみたのだが、ちょうど閉店したところだった。搭乗手続きを済ませ、航空券に書いてある番号の搭乗口へ行った。閉店している売店もあり、全体的に暗く、客もあまりいない。夜の空港出発ロビーは淋しい。

飛行機で隣の席に座った若い女性は、東京で何かの試験を受けるために、今晩はホテルに泊まるようだった。同じく北海道から試験を受けに行くらしい友人が、東京って終電何時まであるん、などと言っていた。新しい期待に胸をふくらませ、彼女達の生が夜にきらめいている。

終わり、はじまり、この世界の物語は続いていく。一つ一つのストーリーが終わり、それぞれが完結するが、それは時を経て、あらたな意味を持ち、また誰かの心の中で永遠に生き続ける。まだ終わっていないならば、それをもっともっと輝かせるまで、今ここを最後までせいいっぱいやっていこう。そうして生きていこう。

ありがとうという思いだけが夜をつつみ込み、飛行機はネオンの街へとゆっくりと高度を下げて行った。狂騒のゲームや欲望の交差点だったとしても、われわれの生とはまるで流れ星であり、まばゆく強く光るために、ただそれだけに優しさと正しさを信じ、挑むだろう。足取りは軽いが、私は無口になる。気づいてはいないが、何かが躍動し、変わりはじめる。人生とは、まるで長い夢のようである。

それから父は高速バスで旭川へ帰り、母は兄妹達と共に祖母が住んでいた家に残った。われわれ家族はそれぞれに別の場所に帰ったが、いつでも会うことは簡単にできるのだ。誇らしく生きるることは、それが理由でも良いのではないかと思った。

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2011年2月13日 (日)

time goes on.

前夜に放送された「笑い飯の金曜お楽しみアワー」を聴きながらウーマンラッシュアワーが優勝した「第32回ABCお笑い新人グランプリ」について書かれたブログを読んでいると、机の上で携帯電話機が光り、続いて震えた。ディスプレイには妹の名前と電話番号が表示されていて、電話に出たところ、四日前に病室で会った祖母が亡くなったということだった。

数分後に、今度は自宅の固定電話に父から同様の内容を伝える電話があった。上司に連絡を取り、パソコンから航空券を購入し、調整しなくてはならないことを色々と工面した。

十年以上もの間、親戚の人達には疎遠になっていた時期があったが、ここ数年は定期的に訪ねたりするようになっていた。一昨年の秋に妹の結婚式が終わった後、天人峡温泉の旅館に泊まった。久々に多くの親戚が集ったが、いとこ達は呼ばれていなかったので、私と弟を除いてはずっと大人の人達の集まりであった。みんな昭和歌謡のようなよく分からない歌をカラオケで歌っていて、しかし、とても楽しくてよかった。

時折、私に歌うことを促す声が上がったが、我々よりもずっと大人の人達でひじょうに盛り上がっていたので、ここでこの場におけるいわゆる若い人の歌を歌っても興醒めであろうと思い、自粛していた。一曲でも多く大人の人達が歌えた方が盛り上がるだろうし、そんな雰囲気の中にいるのがとても楽しかった。

宴会場を使用できる残り時間も少なくなり、ここで再び私に歌うことを促す声が上がる。そして、祖母から私の歌を聴くのはこれが最後になるかもしれないからぜひ歌って欲しいと言われ、これは断るわけにはいかなくなったし、その理由も一切無かった。

通信どころかレーザーですらなく、昔ながらの歌本を見ながら歌うスタイルで、曲数もひじょうに少ない。時間もそれほどなかったので、あれこれ考える間もなく、とりあえず尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」などというどうかしている選曲になってしまった。

80年代の真ん中ら辺り、東京の大学を複数受験したもののトータル的に失敗に終わり、それでもいずれにしても旭川の実家は出て、東京の予備校に通うことに決めていた。そんなブルーにこんがらがっていた頃、尾崎豊の1枚目と2枚目のアルバムをよく聴いていた。巷では「夜の校舎窓ガラス壊して回った」でおなじみの「卒業」が流行りかけていた。この年は、この尾崎豊以外に、菊地桃子と斉藤由貴が歌った「卒業」という曲がヒットした。倉沢淳美が歌った「卒業」はあまりヒットしなかった。

途中から弟も入ってきて、デュエット状態となった。親戚の大人達からは、上手いとかCD欲しいとかいった見え見えのヨイショ発言が連発した。親戚の大人達の前で歌を歌うのなど、本当に小さかった頃以来である。その頃は将来絶対にスターになるのだと言い切っていて、なぜだか細川たかしの「心のこり」などを歌っていた。

祖母はニコニコ笑いながら、これでもう思い残すことはないなどと言っていた。

それから、体の具合はよくはないとは聞いていて、昨年の秋に札幌に行った時も家を訪ねた。母からちょうどヘルパーさんが来る時間だと聞かされていたので、冗談で「どうも、新しいヘルパーです」とインターホン越しに言ったところ、一瞬信じて、ドアを開けた後でリアルに笑っていただいた。その後も他の親戚の大人が訪れるたびに、そのことを嬉しそうに話していた。

子供の頃はあまり意識したことはなかったけれど、祖母はいつもニコニコ笑っていて、それはよく生きる上でとても大切なことで、また、それをやり続けるというのはとてもすごいことなのだと思った。

祖父が亡くなったのも確か冬の季節のことで、あれはまだ私が高校生の頃のことだった。高校の制服で参列したのを覚えている。葬儀場の車で移動している最中、私は何だか具合が悪くなってしまい、座席に座りながら目を閉じていたのだが、五歳ほど離れたいとこの女の子が早見優の「アンサーソングは哀愁」を口づさんでいたことを覚えている。このいとことは、昨年札幌でおそらく20年以上ぶりに再会したのだが、会話する感じがまったく時の流れを感じさせず、とても不思議な感覚であった。つい先週、高校時代の担任の先生と思いがけずこれも20年以上ぶりに会ったのだが、やはり時の流れを感じないどころか、むしろ当時の雰囲気がよみがえったかのようであった。これは一体、何なのだろう。

書店で佐野元春が表紙の雑誌を何冊か見かけた。確か去年がデビュー30周年の節目だったはずだが、今年になってからよく見かける。中学、高校、そして上京してからもよく聴いていたのだが、最後に買った新作は1990年の「TIME OUT!」であった。私の青春期においてはひじょうに影響が大きかったが、全キャリアのわずか1/3以下をフォローしていたに過ぎないのだ。

90年代以降は聴く音楽の趣味もすっかり変わってしまい、もう聴く気がしないというか、俗にいう卒業というような雰囲気になっていた。渋谷系だとかブリットポップだとかをおそらく聴いていた頃、渋谷HMVの向かいに一時的にレコファンがお店を出していた。渋谷HMVといっても昨年惜しまれながら閉店した場所ではなく、もっと奥の方の現在はマルハンのパチンコ屋さんになっている場所にあった頃のことである。何かめぼしいCDかレコードは無いものかと店内を見ていると、真心ブラザーズの聴いたことのない曲が流れてきた。それはどうやら佐野元春の「SOMEDAY」のことについて歌っているようだ。真心ブラザーズのメンバーは1960年代後半の生まれのはずだから、「SOMEDAY」の頃はおそらく中学生である。

近頃、ふたたび佐野元春を聴いていた。というか、昨年、1985年から突然2010年にタイムスリップする小説の構想を考える際に当時の音楽を聴き直す中で、なんだか久しぶりにハマってしまったのである。昔買ったアナログ盤を再生できるプレイヤーはもう家にはないし、CDはおそらく20代だった頃にレコファンかどこかへ売ってしまった。もう聴くこともないだろうと思っていたのだ。

1985年といえば「ヤングブラッズ」と「聖なる夜に口笛吹いて」なので、それらが収録された「カフェ・ボヘミア」のCDを国領のブックオフで500円だかで買った。それからTSUTAYAの会員になり、「SOMEDAY」と「VISITORS」と「BACK TO THE STREET」をレンタルしてiTunesに取り込んだ。初期ベスト盤の「No Damage」はなぜかiTunesにすでに入っていて、私が初めて買った佐野元春のレコードである「HEART BEAT」は2008年の夏に新宿ぺぺの中に当時あったレコファンで買い直していた。聖地巡礼から帰ってきて、新宿コマ劇場にモーニング娘。の「シンデレラ the ミュージカル」を観に行く途中で買ったのだった。

校則により頭を丸坊主にしていた地方都市の男子中学生が憧れるいわゆる都会の気ままな生活幻想は、「HEART BEAT」に収録された「NIGHT LIFE」という曲の中にすべてあった。

「SOMEDAY」という曲は佐野元春の初期の代表作だが、私は当時はそれほど強い思い入れを持ってはいなかった。たとえば「ガラスのジェネレーション」だとか「ダウンタウン・ボーイ」だとか「スターダスト・キッズ」のような、都会の生活をコピー風にクールに切り取った感じの歌詞が好きだった私にとって、まごころがつかめるその時まであきらめないでと歌われる「SOMEDAY」は、若干説教くさいようにも感じられた。とはいえ、誰しもいつしか愛の謎が解け、一人きりではいられなくなるというくだりでの、「オー・ダーリン こんな気持ちに揺れてしまうのは君のせいかもしれないんだぜ」という言い回しにはクラッときたものである。

iPhoneで「No Damage」を聴いていた。もう何度となく聴いてきたはずの「SOMEDAY」が流れ、それはひじょうに心地よい。とてもなじんでいる。しかし、ふと油断していると、そのかつては暗記したほどに把握しているはずの歌詞のフレーズひとつひとつがかつてないリアリティーで胸に迫ってきて、泣き出したいような気持になった。

「ステキなものはステキだと無邪気に笑える心が好きさ」などという歌詞は、10代の頃はあまりすごいとは思わなかったのだが、幾多の魑魅魍魎やら有象無象にモミクチャにされた歳月を経て聴くと、何というシンプルかつ核心を突いたメッセージなのだろうと思ってしまう。

そこで、いつか聴いた真心ブラザーズのあの曲のことが気になって、電車の中でiPhoneで調べてみた。1995年にリリースされた「time goes on」というミニアルバムの表題曲で、「B.A.D.(Bigger And Deffer)~MB’s Single Collection」というベスト・アルバムに収録されているらしい。仕事帰りに近所のGEOでレンタルして、iTunesに取り込んで聴いてみた。

かつて「SOMEDAY」を一緒に聴いていた「君」と「僕」、変わってしまったものと変わらないもの、そのような題材の曲であった。今の「僕」を見て「君」は遠い目で笑うのか、「君」の指した目印を「僕」は見落としたのか。

この曲をiPhoneに入れて、明日札幌へ発とうと思う。

2011年2月11日 (金)

How to go.

Yahoo!のトップページを見ていて、今日R-1ぐらんぷりの決勝戦があったのだということを初めて知った。優勝は佐久間一行だったようだ。虫ダイジェストというネタを以前に見て、結構好きだなと思った。カブトムシは確かに裏側リアルである。

東京にも雪が降った。積もるような積もらないようなよく分からない感じである。東京では雪が降ると傘をさすのだが、北海道ではささない。他の地域ではどうなのだろうか。

三日間、北海道に帰ってきたが、昨日までのブログでも書いた通り、ひじょうに充実していた。もう少しいたいと思わないでもなかったのだが、そういう訳にもいかないわけで、そこは気持ちをスパッと切り替えて、今日からまた普段の日常にカムバックしたわけである。

しかし、これがあたかも日常と非日常のようにきっちりと分けられているかというと、そういうものでもなく、やり方をつかんだというか、そのような感覚もあり、これはひじょうに大きな収穫だったと思う。いずれ忘れるかもしれないが、そしたらまた思い出せるようにすればいいと思う。

かつて、より明確な夢やヴィジョンがあったかもしれないが、それを実現するに足るだけの技術や経験が不足していた。やがていろいろなことに躓いたりあきらめたりして、こんなぐらいなら生きていてもしょうがないんじゃないかとか、そんなことも思ったり思わなかったりしたりもして、それでもダラダラと生きていて、そのために仕方なく別に望んでそうしたわけでもなく、必要に迫られて経験を重ねたり技術を身につけたりしていた。

しかし、その時点では夢だとかヴィジョンだとかいうものはとうの昔に潰えていて、ただ日々生きるために呼吸するのと同じ程度にしかそれを使うことは無かったのだ。

何かを成し遂げたいとか手に入れたいとかいう欲求というのは、潜在的に思い描くありたい自分でいられる状態、そこへ向かうまでのプロセスの一つに過ぎないんじゃないか。それ自体が目的なわけではない。そこを間違えたり逆にしていたりすると、いくらつかんでも一向に満たされることはなく、つねにイライラして不幸な状態が続く。

もっとシンプルに正直に行けば良いのではないか。きわめてふわっとしすぎた物言いであり、良く分からないのだが、こんな気持ちはうまく言えたことがない。

まずそのような意識で今ここをどうするか、そんなふうに生きはじめてみることがまずは第一歩なのではないか。

かつて、とある日本の歌手はこんな歌を歌っていた。気の合う友達ってたくさんいるのさ、今は気付かないだけ、街ですれちがっただけでわかるようになるよ。

正直な人。

旭川冬まつりに最後に行ったのは、もう20年以上も前のことだ。今年はついに初のさっぽろ雪まつりを体験することができたわけだが、ついでにこっちも見ておこうと思ったのだ。

札幌から旭川についてすぐに一人で見てから実家に帰ろうと思っていたのだが、高速バス車中にて高校の後輩がじつは仕事が休みであることを知り、急遽その日は会って食事をすることになった。それはまあひじょうに楽しい時間だったわけだが、さらに翌日も休みだということが分かり、せっかくなのでその日に一緒に冬まつりに行くことにしたのだ。

朝起きると脚の筋肉が痛く、それは普通のスニーカーで雪道を歩いたことにより、いろいろな筋肉を酷使したためではないかと思った。今日は実家にあったスノートレーと呼ばれる雪道用の靴を借りたので安心である。

NMEの最新号がZinioに届いているはずなので、これは帰りの飛行機の中で読めたら時間が有効に使えるなと思い、父にパソコンからのプリントアウトをお願いした。2階のかつて私が使っていた部屋には、現在3台のパソコンと2台のプリンターの他、DVDプレイヤーやら液晶モニターやらBCLラジオやら色々なものが置かれ、父が色々と楽しそうなことをやっているようだ。まるで要塞のようになっている。軽い気持ちで頼んだものの、プリンターのインクが切れて、その補填がうまくいかないなどのトラブルが発生し、いやもう大変そうだからいいよ別になどと言いはしたのだが、過去の経験上、結局何としてもやってしまうのだろうということは分かっていた。

そのうちに約束の時間が来て、家の前にイカした赤い車が止まった。駅のそばの駐車場に車を停め、新しくなった旭川駅へ行ってみた。以前の駅を通って行くのだが、新しくて広くてひじょうに感動した。あとはここに大勢の人がいろいろな所から来てくれれば、街もひじょうに盛り上がるのだが。願い事を書いて掛けるコーナーなどもあった。

買物公園には氷の彫刻が展示されていたが、ひじょうに良くできているものが多い。よく氷でここまで作ったものだと感心するし、それ以前にシンプルに美しいのだ。氷の中に大量の魚やカニなどを閉じ込めたコーナーもあり、なかなか面白かった。おもちゃのたもちゃんや居酒屋ユーカラなどが変わらぬ姿で残っていたことに安心し、買物公園の端っこの方まで歩いた。昔からある手のオブジェのようなものがまだあって、すごく懐かしかった。

あとは図書館だとか旭川公会堂だとかずっとしばらく見ていなかった場所を通って、当時の色々な思い出が甦ってきた。そして、冬まつり会場に着いた。

会場が広く、大きな雪像の上に上れたり滑り台のようになっていたりステージがあったり、そうだ確かにこんな感じだったと、記憶の中のしばらく開けていなかった引き出しを開けたみたいな感覚だった。周囲の橋や川なども含め、ひじょうに良いながめの場所などもあった。

食べ物や飲み物を売っているテントも各種あり、クラムチャウダーにはアサリやホタテがたっぷり入っていて、エキスがよく出ている感じだった。まったくもってよく分からない表現ではあるが、とにかくこんなクラムチャウダーを初めて飲んだ。それからジンギスカンを食べた。北海道に来る度にやはり食べていたので、今回は別に良いかなと思っていたのだが、最終日になって結局食べたのだった。そして、やはり北海道に来たならばジンギスカンだよな、というような凡庸な感想を持った。

ナビゲートしてくださった後輩だが、他にも色々な種類の物を食べたいからという理由でジンギスカンを二人で一人分だけ注文したのだが、お店の人がうどんというワードを出した瞬間に即座にこれはうどんも入れるしかないだろうというスイッチが入ったらしくうどんを追加注文し、結局お腹いっぱいになって、その後、おしるこしか食べられないという結果になっていた。可愛すぎるだろ。

帰りは常磐公園の方を通ったが、この辺りも本当に久しぶりだった。NHKの前を通ったりして、かつてこの近くにあった映画館に父と「2001年宇宙の旅」を観に来たことを思い出したりもした。時間がまだあったので車で少し離れた喫茶店のような所へ行き、紅茶を飲みながらいろいろと話した。

普段のしがらみから解放された場所で、実際的な利害関係がほぼ存在しない、ただ楽しいから一緒に過ごしているだけという相手と自然にきわめて素に近い1分の1の自分として他愛のない話を続けることの何と贅沢なことか。それを十分に思い知るほど、ひじょうに楽しい時間であった。

家に帰ると、父がオウリントアウトしてくれたNME全ページ分の紙がきれいにテーブルの上に揃っていた。蕎麦を食べたりしているうちに出発の時刻が近づいてきたので、空港まで車で送ってもらい、さらにお土産を買ってもらったりした。旭川限定だという白いバウムクーヘンなどである。車の中で流れていた曲は、羽幌出身のみのや雅彦というシンガーによるものだということを知った。

スカイマークエアラインの旭川から東京の直行便が昨年秋から無くなり、新千歳空港を経由するようになった。飛行機の中でプリントアウトしてもらったNMEを40ページ分ぐらい読み終えた。解散を発表したホワイト・ストライプの特集が組まれていた。羽田空港に着き、京急線、山手線、井の頭線、京王線を乗り継いで家に帰るまでの間にiPhoneでピッチフォークのレヴューや朝刊の社説などをまとめて読んだ。話題のジェイムス・ブレイクのデビュー・アルバムはNMEで6点、ピッチフォークでは9点の評価だったが、やはり買っておこうと思う。mixiのコミュニティ書き込みを見て、M-1グランプリの本がもう発売されていて、笑い飯のインタヴューもかなり載っているということで、これも買っておかなければならないと思った。

ひじょうに充実しまくりの3日間であり、いろいろと漲るものがあったのだが、同時に気づいたことやよりはっきりと見えてきたものも多かった。それを一つ一つ具体化していく作業を行っていこうと思う。どんどんシンプルかつ本質的になっているような気がするが、おそらく意図的にそうしているのだろう。正直に行こう。また、明日。

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2011年2月10日 (木)

Life goes on, anyway.

さて、旭川の実家の居間の絨毯に寝転がりながら、iPhoneで文字をちまちま打っている。

火曜の昼ぐらいに札幌に着いたのだが、もう木曜の夕方には旭川空港から発たなければならん。あっという間である。しかし、これぐらいに凝縮するぐらいがちょうどいいのかもしれない、などと思ったりもする。

札幌駅前で妹と待ち合わせをし、まずは食事をすることにした。駅のホームに出た時になかなか緊張感のある体感温度だとは思ったが、それほど寒いわけでもなかった。雪道用の靴など持ってはいないので普通のスニーカーを履いてきたのだが、意外と普通に転ばず歩けた。バランスを取る感覚など、思っている以上に体が覚えてるものだ。靴に装着するすべり止めなるものを妹が借りてきてくれたのだが、歩いているうちにすぐ外れてしまい、結局これは使わなかった。

麺屋彩未というラーメン屋さんに行きたかったのだが、札幌駅から遠い上に超絶混んでいるという情報があり、今回は止めた。すすきのの方にある五丈原というお店で塩とんこつラーメンを食べた。かなりおいしかったが、すふそばにあったえびそば一幻なるお店も相当気になった。エビのすごくいい匂いがした。

地下鉄とタクシーを乗り継ぎ、祖母が入院している病院へお見舞いに行った。数日前から母もこちらへ来ていた他、親戚の人達も来ていた。色々な思い出話などをした。時は過ぎ、人は老いていくが、だからこそ熟成された記憶の断片を何の衒いもなく分かち合う豊かさに出会うことも出来るのだと、そのことに深く感謝した。

短いお別れをし、ロビーで紙コップのコーヒーを飲んだ。送迎バスのようなもので私と妹は大通公園の方へ戻ることにして、そこで母とも別れた。その前の病室での祖母や親戚の方々とのお別れも含め、感傷を含んだ言葉にはならない共感の深さ、重さ、そのようなものの荘厳な偉大さに、いささか感動を覚えた。言葉というのは所詮はこの程度のものであり、それに自覚的でありさえすれば、過ちを繰り返すことも無い。それを理解し、それでもその上で我々は言葉を紡ぎ、意味の無いおしゃべりを続ける。

大通公園はさっぽろ雪まつりの真っ最中であり、妹と雪像を見たり写真を撮りまくったりした。魚バカ裕一郎商店なるお店で帆立の姿焼を買って食べた。新鮮でとてもおいしかった。これでたったの300円である。

駅前の本屋などを見て、この日の夜は妹の家に泊めてもらうことにしたので、JRの列車で移動した。マンションの1階がセイコーマートになっていたので、ここでちぎりあたりめを2袋買った。私の奥さんはこのセイコーマートのちぎりあたりめが大好きなのである。今回何としても食べたかったとうきびモナカは残念ながら売られていなかった。やきそば弁当にたらこ味のようなのが出ていて、大いに気になった。

妹の旦那の帰りが遅くなりそうなので、妹が働かせてもらっているというスープカレー屋さんに食事をしに行った。スープカレーはいつからか北海道を代表するご当地料理の一つのようになっているが、私が住んでいた頃はまだそうではなかった。よって、まったく思い入れがない。かつ、以前にチェーン展開しているカレー屋さんの期間限定メニューで食べたことがあったが、あまり魅かれることは無かった。なので、積極的にぜひ食べたいとはあまり思っていなかった。

今回、いわゆるスープカレー専門店という所で初めて食べたのだが、感動した。これはガチでおいしい。様々な香辛料がブレンドされていると思われるカレースープはもちろんなのだが、野菜や肉の材料一つ一つのに素材本来の味がちゃんとして、これらの良いところ同士が相乗効果で美しい総合芸術になっているかのようである。スープカレーに対して持っていた印象が完全に変わった。一番人気だというパリパリチキンスープカレー的なものをいただいたのだが、他のメニューも全部食べてみたいと思った。内装もエスニックな情緒を感じさせ、音楽は80年代ポップス連発という、私にとって願ってもないことだらけのお店であった。東京にあったならば、おそらく通いつめていたであろう。

それから別の親戚の人達が遊びに来ることになって、13年振りに会ういとことセイコーマートで酒やお菓子をバカ買いしたりiPhoneのFruit Ninjaのゲームで盛り上がったりした。それぞれ仕事やら学校やらがあるとのことで、名残惜しかったのだが、帰って行った。それから妹の旦那が帰宅し、色々と深夜まで楽しく話した。ひじょうに感じの良い青年である。

起きると妹の旦那はすでに出社していて、妹は送り出した後で一人で朝食を食べていた。シャワーを浴び、私も朝食をいただき、9時40分に妹もスープカレー屋さんの仕事に行くということで、一緒に出た。駅とは逆方向だったので、外に出てすぐに別れた。ここに感傷的な気分が一切生まれないぐらいに当たり前な感じにしたいものだと、それを私の今後達成したい目標リストに付け加えた。

駅前の本屋に寄り、バスターミナルから旭川行きの高速バスに乗った。iPhoneからmixiで高校の後輩の日記を見ると、どうやら仕事が休みの可能性があることが分かった。昼間はどうせ仕事だろうと思い、かつ夜には予定が入っていたので、今回はどうにも会えそうにない感じだったのだが、試しにメールしてみると、バスが旭川に着く頃には車で迎えに来てくれるとの返事が帰って来た。

バスターミナルの裏側に赤い車が待っていた。幼少期にある一人の叔母の印象が潜在意識に刷り込まれ、以来、私の中で素敵な大人の女性は何となく赤い車を運転しているということになっている。会うのは妹の結婚式前夜、1年と3ヶ月ぐらいぶりだったのだが、会うなり5歳ぐらい若返ったとか訳の分からない指摘を受けた。

とりあえず食事をしようということで、よく分からないので完全にお任せにしたのだが、彼女のお店のチョイスは毎度素晴らしいわけで、今回も市街地からすこし外れた場所にあるハンバーグ屋さんで、とてもおいしかった。農場のグラタンというメニューがひじょうに気になったが、ハンバーグ屋さんで初めてだったにで、チーズハンバーグにした。

そこからどこかへ行こうかという思いもあったのだが、会話が楽しすぎて、あっという間に家に帰る予定の時刻になってしまった。

私の高校一年の頃の担任は女性だったが、若気の至りで随分と悪態をついたりしたものである。しかし、ひじょうにユニークかつ印象に残っている先生でもある。私の実家のすぐ近くに住んでいるということで、ダメ元で突撃してみると、奇跡的にいらっしゃった。しかも、つい5分程前に帰られたのだという。

私一人だと到底訪問する勇気など無かったわけだが、彼女は在学中のみならず卒業後も先生と交流があるとのことで、もし私が会いたいならということで、この流れになった訳だ。

先生に会うのはもう20年以上も前だった。つまり私が生まれてから先生に出会うまでの年月よりも、その後お会いしていない期間の方が長いわけだ。時は確実にながれているのだが、その雰囲気、感じというのが全く当時のままである。私は当時、普通なら生徒が先生に取らないであろう失礼な態度や言動など多々あったわけだが、それはおそらく私が完全に先生に甘えていたからだろうと思うのだ。

一見した印象は、やはり歳を取ったな、でもやはり先生だ、という類のものだったが、話しはじめると当時の感覚が超絶ヴィヴィッドに甦って来て、相当嬉しかった。

特に私が現在結婚をして会社員として働いているきとについて、すごく屈折していたから結婚はしないと思っていただとかちゃんと働けてるのとか、ひじょうに失礼きわまりないことを仰っていたが、こういうのがもう何かかなり嬉しいのである。

じつは先生に再会するような機会がもしも訪れたならば、ぜひとも当時の非礼を侘びようなどということを柄にもなく考えていたのだが、この先制攻撃によって、まったくその気を削がれた。というか、ただただ爽やかに笑ってしまった。

家に帰り、父と車でスーパーに買い物にいったり、テレビをつけながら寿司を食べたりビールを飲んだりした。特別濃い内容の話などはしなかった。テレビに映るニュースについての感想や日本ハムファイターズのことなどを話した。この当たり前の感じこそが求めていた答なのかもしれない。

父がインターネット等をやるために二階の部屋に行ってしまい、居間で一人でテレビを観ていた。「イチハチ」という番組に道重さゆみちゃんが出ていた。もうあのキャラクターを完全に確立していて、番組の中での扱われ方もひじょうにおいしい。本当に頑張っているなと感動した。やはり好きだなと思ったし、いくら離れてしまったとはいえ、私の心の中における存在感は計り知れないなということを、改めて思い知らされた。そして、それを誇らしく思う。

何だかとても濃密な二日間であった。

最終日はやっとこさ旭川冬まつりである。旭川の新しい駅も見に行けると良い。とうきびモナカはどうやら無理そうだが、次回の課題にしたい。

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2011年2月 4日 (金)

ほうれん草やとうきびのことなど。

昨日、京王井の頭線東松原駅近くのあるがままというイカした名前の定食屋さんでスタミナ定食を食べた。内容はポパイ鍋とスタミナ納豆のセットというものであり、このポパイ鍋とはたっぷりのほうれん草と豚肉などをゆでた料理であり、いかにも元気が出そうな素晴らしいものであった。これについては昨日のブログに書いた。

仕事が終わり、帰りの電車の中でiPhoneでGREEの道重さゆみちゃん公式ブログを見たところ、「いってきまとぅ」という記事において、具だくさんお味噌汁を飲んだ件が綴られていた。道重さゆみちゃんは、「ほうれん草も入れてねー」とリクエストしたそうである。すると、見た目がほうれん草だらけだったという。何という偶然だろうか。

いや、確実にほうれん草のブームがそこまで来ているに違いないのだ。私はこれまで数多くのブームを予言してきたが、中には来る前に終わってしまうものも少なくはない。かたじけない。

帰宅してSTVこと札幌テレビ放送の動画ニュースをパソコンで観ようとした。これはいつもやっていることである。すると、最初のニュースが「越冬ホウレンソウの収穫」であった。いったいどこまで流行りかけているのだろうか。

ちなみに昨日食べたポパイ鍋だが、てっきりあのお店のオリジナルメニューなのだと思っていたのだが、インターネットで検索したら結構出てくる。NHKの「ためしてガッテン」でもレシピが紹介されたようだ。というか、この番組の企画から生まれたとも取れるようなニュアンスのことも書いてある。いずれにしてもこれはおススメである。

さて、それはそうとして、待ちに待った札幌・旭川への遠征まであと四日と迫った。まずは当日に飛行機がちゃんと飛ぶことを願うばかりだが、天気予報は晴れのようである。今週初めぐらいには大雪で夕方五時ぐらいまでことごとく欠便なんていうこともあった。かと思えば昨日や今日は各地で春のような陽気なのだという。さっぱり分からん。

北海道には十年以上も帰っていない期間があったが、三年前からは毎年必ず帰れている。それで思い出の場所巡りや欲しいものを買ったり食べたいものを食べたりということは、かなり出来てきた。ロバ菓子司のコンチェルパイや大通公園で焼とうきびなどもそれに含まれる。今回のさっぽろ雪まつりなどは、北海道に在住した頃ですら行ったことが無かったし、あとは札幌ドームで日本ハムファイターズの試合を観ることぐらいがまだ残っているやりたいことだろうか。

しかし、じつは前回札幌に行った時に食べるのを忘れて後悔したものが一つある。それは、とうきびモナカというものである。とうきびとはとうもろこしの北海道での呼び方だが、これはそのとうきびの形をしたアイスモナカであり、子供の頃を北海道で過ごした人ならば必ず一度は食べたことがあるのではないかと思う。

中のアイスもとうきびの風味があり、これがひじょうにおいしいのだ。前回、札幌のコンビニエンスストアで見かけた時に後で買って食べようと思ったのだが、すっかり忘れてしまった。実家の近くにあるセイコーマートでは売っているだろうか。今回は必ず食べたい。できれば実家でお風呂上りに食べるというアイスを食べるシチュエーションにおける最大の贅沢を実現できたならば、申し分ないのだが。

このとうきびモナカは雪印から出ていたのだが、経営不振でアイス部門をロッテに売却したか何かで、現在はロッテアイスから出ているらしい。しかし、パッケージには雪印のロゴマークと文字がプリントされている。ロッテから発売されているのに雪印とうきびアイスというかなり複雑なことになっているらしい。

今回、旭川の冬まつりにも26年ぶりに行ってみようと思うのだが、調べていて、会場が常磐公園ではないことに驚いた。これは山口県の道重さゆみちゃんの実家の近くにある常盤公園のことではない。旭川は常盤公園があり、かつてはそこが冬まつりの会場になっていた。読み方は同じだが漢字が微妙に異なっているのだ。昔、石川秀美が「めざめ」を歌うのを見た。

買物公園のマルカツにあった冨貴堂書店が先月いっぱいで閉店してしまったようで残念である。以前に丸井今井があった場所がフィール旭川なる商業施設として生まれ変わることが決まったようなのだが、その中にもしかするとジュンク堂書店が入るのではないかという話もあるらしい。いろいろと変わっていくものである。

ところで、昨年九月の時点でまだ店頭でファミコンソフトを新品販売していたおもちゃのたもちゃんは未だ健在であろうか。あのお店だけはずっとあのままでいてほしい。あと、居酒屋ユーカラのアイヌ風の看板も。

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2011年2月 3日 (木)

棒きれで遊んでいる子供を見た件など。

今日は世田谷区の羽根木公園という所に行くことになっていた。せっかくなので近所で美味しいものでも食べようと思い食べログで調べたところ、香川県のうどん屋さんがあり、これは良いと思ったのだが、行ってみるとあいにく定休日であった。

数年前に大阪の道頓堀今井にきつねうどんを食べに初めて行った時も確か定休日だった。うどん屋さんに行く時には特に定休日をちゃんと確認しておく必要があるという教訓を、深く胸に刻んだ。

それで、同じく食べログで近所の上位にランクインされていたありのままという定食屋さんに行った。かなり良い雰囲気のお店である。こういう初めて行った飲食店ではそこの一押しメニューを注文することが多いのだが、ありのまま定食なるメニュートップに載っているやつがメザシが付いているやつで、焼魚があまり好きではない私はこれを敬遠した。一緒に行った奥さんがこれを注文して、焼き加減がちょうどいいと絶賛していた。焼魚は網でちゃんと焼くので時間がかかるかもしれませんというようなことがメニューに書いてあり、こだわりがあるのだろうと思った。

私はよく分からないのでスタミナ定食というやつを注文した。スタミナ納豆とポパイ鍋のセットと書かれていた。スタミナ納豆は納豆に温泉卵のようなものがのっかっていてかき混ぜて食べるやつで、ポパイ鍋というのはホウレンソウと豚肉の鍋だった。味噌汁や豆腐や漬物などもついていてなかなか良かった。

料理が来るまでの間、ポパイ鍋とは一体何なのだろうかという話になり、やはりホウレンソウが入っていることは間違いないだろうということになった。なぜなら、アメリカンコミックのポパイの大好物がホウレンソウの缶詰だったからだ。そこで、奥さんからポパイのアニメはあのホウレンソウの缶詰のメーカーがスポンサーだったのだという話を聞かされ、それに感心していると、そんなことは常識だみたいな態度を取られた。

奥さんが注文したあるがまま定食についていたもやしハンバーグも少しもらったのだが、調味料をあまり用いず素材本来の味を大切にしているような感じがあり、ひじょうに気に入った。

その後、羽根木公園へ行った。今週末からせたがや梅まつりというのが開催されるらしい。ひじょうにたくさんの梅の木があった。この公園に来るのは初めてだったが、野球場やテニスコート、近くには図書館もあり、かなり広い。天気も良く、ひじょうに和んだのだった。

園内を歩いていると、棒きれで遊んでいる小さな男の子を見かけた。昔の子供は棒きれを持ってよく遊んだものだが、平成23年にもなってこういった光景が見られたことにいささか感動を覚えた。はねぎプレーパークという敷地があり、そこは昔はそこらじゅうにあったであろう空地のような子供の遊び場が再現されたようになっていた。

用事が済んだので、それから以前に奥さんが住んでいたことがあるという豪徳寺や経堂の方まで散歩してみた。久しぶりに世田谷線の短い電車に乗り、下高井戸で乗り換えて帰って来た。

GREEの道重さゆみちゃんのブログを見ると、山口県に帰省した時のことなどがいろいろ書かれていた。出演した番組をお父さんがDVDに撮りため、しかも道重さゆみちゃんが映っている場面だけ編集したりしているようだ。テプラのようなもので「道重さゆみ歌番組♪」「道重さゆみバラエティ」などとラベルが貼られている。素晴らしい。

また、中学1年生の頃の制服姿の写真なども公開していた。ひじょうに1本1本の内容が濃い。更新頻度やスピード感よりも内容が重視されているような、最近の流れにブログとしての進化を感じる。中にはひじょうに好ましくない更新もありはするのだが、それぞれに好きな部分を楽しんでいれば良いのではないかと思う。

Twitterのタイムラインを見ていると19時から関西のMBSテレビで「OSAKA漫才ヴィンテージ」なる番組が放送されるということで、ひじょうにうらやましく思った。試しにKeyHole TVを立ち上げたら映像が粗かったり音声が時折聴き取りずらくなったりはするものの、何とか見ることができた。面白かった。中田カウス・ボタン師匠の漫才とか久々に見た。笑い飯は揚子江ラーメンとお母さんとケンカするネタをやっていた。途中、晩ご飯のカレーを食べている間は見ていなかったのだが、この間に千鳥が終わってしまったことだけが残念である。関西はこういうのが普通に地上波で見られるなんて恵まれた環境だなと思った。

いよいよ北海道に帰省するまであと五日と迫ったわけだが、情報を開示すると同時にどんどん予定が埋まって行く。当初可能性として考えていた行動の選択肢が見る見る減って行くのだ。しかし、いろいろと楽しみである。

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2011年2月 2日 (水)

最近の道重さゆみちゃんのブログのこととか。

道重さゆみちゃんがGREEでやっているブログを久しぶりに毎日見ているのだが、やはりすごく面白い。道重さゆみちゃん自身もラジオで話していた通り、以前は何か必死で更新をしているようなところがあり、それはそれでまあ楽しくもあったのだが、今はより自分のペースでうまくブログと付き合っていけているような印象を受ける。

何かひとつに夢中になるとトゥーマッチなぐらい一生懸命になってしまうところがまた魅力でもあるのだが、ずっとそんな調子ではもたないだろうし、本当に心から楽しんでやれなくなるのではないだろうか。しかし、それについての答えは、道重さゆみちゃん自身が毎日の葛藤の中でちょうどいい頃合いを見つけつつあるようだ。

体調がいまひとつ思わしくないまま山口県の実家に帰り、東京に戻ってきたらすぐに早朝からの仕事である。どうやら築地でのロケだったようで、ハロプロのメンバー数名やガレッジセールのゴリさんらが参加していたようだ。築地では豚丼を食べたようなのだが、魚がおいしいはずの築地でなぜにあえて豚なのか。これは完全な推測なのだが、おそらく実家でおいしい魚料理をたっぷり食べてきたのではないだろうか。

その後、夜に放送されたテレビ番組の告知があり、それからずっとブログが更新されなかった。いや、もうブログなんていうのはあまり深く考えずに書きたい時に書きたいことを書きたいように書けば良いのだから、もっと自由にのびのびやれば良いのだが、これだか間隔が空くと少し心配にもなろうというものだ。

築地ロケに向かうタクシーの中で、体は寒いのに顔は熱いというようなことも書いていたし、おそらく健康面のコンディションはあまり良くはないはずなのだ。ここはぜひゆっくり休んでほしいと思ったのだが、やはりたっぷり寝て完全復活したような更新がお昼すぎにあった。ひとまず良かった。やはり健康第一である。

ずっと横になってiPhoneのゲームをしていたりもしたが、基本的には何もしていなかったようだ。それが良いに決まっている。

iPhoneのゲームやるぐらいならブログの更新ぐらいできたのではないかという意見もあるとは思うのだが、そこはブログにそれなりに気合いしている者からすると、やはりそれなりの物が書けない状態では書く気がしないというか、自分で納得がいかない。実際に書き上がった記事を他人が見て、そこにどれほどの差があるのだろうかというのはおそらくあるのだろうが、そういうことではなくて、自分で納得がいくかいかないかというその一点が重要なのである。

かつて道重さゆみちゃんはブログに夢中になりすぎたゆえにもっと大事なことを忘れかけていたということを、ラジオで涙ながらに熱く語っていたのだが、ブログは確かに大事だがけして一番ではないという、そこがすごく大事である。もちろんブログよりも健康の方が大事なのは間違いない。体調がよろしくない時はそれを治すことにとにかく集中する。だから、あの状況でちゃんと寝たのは正解以外の何物でもない。

偶然その頃、私もiPhoneのアプリをいろいろいじって遊んでいた。私は道重さゆみちゃんが得意とするテトリスなどの落ち物系ゲームのセンスが一切ないため、そっち方面には手を出さないようにしている。かつて道重さゆみちゃんがブログで絶賛していたiPhoneアプリゲームのPopstar!というのもそれ系であり、私が苦手とする類いのものである。最近はFruit Ninjaというやつが圧倒的に面白い。iPhoneの画面上に次々と現れるフルーツをとにかくバッサバッサと斬りまくるという爽快この上ないゲームなのだが、斬る方法が刀に見立てた指を画面上でスライドさせるというもので、これは素晴らしいアイデアである。シンプルだがすごくクセになる。といっても、無料体験版しかダウンロードしていないのだが。これで遊べるハイスコアにはもう達してしまったのだ。しかし、これはなかなか遊べるので、iPhoneにまだ残してある。

閑話休題。

道重さゆみちゃんが山口県に帰省していた時についての記事が、いよいよブログに書かれはじめた。道重さゆみちゃんのブログ記事には様々なパターンがあるが、私は特にこの地元をテーマにしたものがとても好きである。私はそもそもモーニング娘。のメンバーとしてのパフォーマンスだとかそういう部分というよりは、この道重さゆみちゃんという一人の人間のパーソナリティーにひじょうに魅力を感じていて、地元や家族を題材にする時、その核となる部分がより濃密に描かれているような気がするのだ。

ラジオなどでもよく話題に出てくる近所に住む5歳年下の女の子とゲームセンターに行ったことが書かれている。ドーム状のクレーンゲームのようなものでお菓子をつかむやつをやっている。今のゲームセンターには本当に様々な機械が置かれているが、このクレーンでお菓子をつかむやつは、30年以上前、私が小さい子供だった頃からあり、家族や親戚とデパートに行った時の楽しみであった。数ある機械の中からこれをチョイスしてしまうセンスにひじょうに良いものを感じる。

ゲームセンターのはずなのだが、よく見ると向こう側にカレーののぼりが立っている。これも完全な推測なのだが、これはおそらくフジグラン宇部の2階なのではないかと思うのだ。確かゲームコーナーのすぐそばにフードコートがあるはずだ。東京ではあまり見かけない牛スジが入ったちゃんぽんを販売するお店などが入っていたと思う。同じ階に筑豊ラーメンのお店や回転寿司や映画館もあったような気がする。吹き抜け部分には拡大した映画のポスターのような垂れ幕がかかっていたような気もするが、今はどうなっているか定かではない。

今はもう高校生になったというその女の子は、学校を休みたいなどと文句ばかり言っていてひじょうにうけるということである。それでブログ記事のタイトルが「学校がんばれ」だ。こういうセンスはもう最高だなと思う。途中で出てくる方言もひじょうに微笑ましい。

やはり帰る地元があり、そことの関係が良好だという状態は本当に幸福なことだと思うわけである。

道重さゆみちゃんの帰省にインスパイアされたという理由は完全な後付けではあるのだが、私も来週、出身地の北海道に帰ってくることにした。冬の北海道というのが果たしてどのような状態であったのか、不思議なくらいにまるで覚えていない。まあ、とりあえず行ってみて思い出したり再発見したりしてみようと思う。

まったくの余談だが、道重さゆみちゃんも大好きな牛丼チェーンのすき家だが、私の家の近所のイトーヨーカドーのフードコートにもあり、今日行くと牛まぶしとかいう新メニューを推していたので、試しに注文してみた。

要はひつまぶしの牛丼バージョンというのがコンセプトのようだ。まずは牛丼を普通に食べて、それからワサビや粒山椒といった薬味を入れたりだし汁をかけたりして食すわけである。これはこれでアリかなという感想を持った。お茶漬けのようにサラサラっといく感覚であり、かといってひつまぶしのように量が多いというわけでもないので、ボリューム的には物足りない感じも無きにしもあらずなのだが、なかなか斬新かつユニークな発想であり、値段もたったの480円なので、相当頑張っている感じではある。

明日はある用事で世田谷区の羽根木公園という所に行くのだが、近くに徳島県のうどん店があるということなので、そこで昼食を取ろうと思っている。

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