« こんうさピーSHUFFLE#212 | トップページ | 【復刻版】道重さゆみのお姉ちゃん傑作選。 »

2011年7月18日 (月)

【復刻版】道重さゆみちゃんの山口県時代の思い出をまとめてみたよ。

※これは昔やっていたブログで、2009年10月25日にまとめて発表したやつなんだなぁ。ではどうぞ。


・アサリの中に入っているカニの赤ちゃんを見たことがある。小さい頃に潮干狩りをしていて、よく自分で拾ってきたアサリをお母さんに料理してもらって食べていた。その中に2,3ミリぐらいの小さなカニが入っていて、本当に可愛くて写真などを撮っていた。

・飼っていたハムスターのハムちゃんは寿命がきて、もう飼っていない。肌ざわりなどがとても可愛い。食べ物をこれ以上詰め込めないだろうというぐらい口に詰め込むのがありえない可愛さ。

・長崎ちゃんぽんをよく昔、家族で食べていた。

・小さい頃にお母さんから「私はフランス人なのよ」と言われたことがあり、信じている時期があった。

・山口県といえばフグ。毎年大晦日になると3時、4時に起きて、家族で市場にフグを買いに行って、おばあちゃんとお母さんに料理してもらっていた。フグのお刺身、唐揚げ、鍋などで毎年フグ三昧だった。大晦日になるとフグが食べたいと思う。

・山口県に住んでいた頃は猫が喧嘩する声などが毎晩のように聞こえた。あとは、山口県で猫を飼っていた。山口県には猫が多いと思う。飼っていたのはチェリーという名前の女の子ですごく可愛い。

・山口県のお家の前に畑があり、レタスもあった気がする。

・クリスマスの思い出はもちろんサンタクロース。小さい頃は寝ている間に来てくれて朝起きたらプレゼントがあるというのが毎年恒例だった。ある年、お母さんとお父さんと家族みんなでクリスマス・パーティーをしていたら、ピンポーンと鳴り、誰だろうと思い玄関に行ってドアを開けたらサンタさんがいた。すごく嬉しかったのだが、まだ小さかったので怖くてすごく泣いたらしく、その写真が残っている。大泣きしながらもサンタさんからプレゼントをもらっている。

・山口県のじゃんけんは「じゃんけんもってすっちゃんほい あいこでアメリカヨーロッパ」。「じゃんけんほい」というのはこれの縮小版だと思っていたが、東京の人の前でこれを言ったらすごくビックリされた。

・山口県に住んでいた頃、お父さんの誕生日や父の日にネクタイを贈ったら「こんな高いものつけれないよ」と言われた。さすが消極的だなと思った。お母さんには内緒でお花屋さんに「この日にお花送ってください」と言って送ってもらったりしたが、たまたま家に誰もいなくて翌日になり、切ない感じになっていた。

・毎年、お雑煮をおばあちゃんとお母さんに作ってもらっておせち料理と一緒に食べていたが、お餅をおばあちゃんが手造りしていて焼く前のふわふわのお餅をいつも食べていて、噛まなくてもそのまんま飲み込んでいて平気だった。

・山口県のお家の庭にはコスモスがたくさん咲いていたり、学校に行く間もコスモスを拾いながら行ったりしていた。

・2月といえば節分で豆まき。家では毎年違ったことをしていた。普通に豆をまく日もあれば、お部屋を暗くして豆と一緒にお菓子なども投げて電気を点けた瞬間に兄妹でいっぱい取り合うとかもしていた。ある年、お部屋が結構汚かった。豆をまこうとしたらお母さんに「ダメ。袋ごと投げなさい」と言われて、袋ごいと投げた切ない節分もあった。

・小学生の時はすごく地味でおとなしくて静かだった。だからといって勉強も好きなわけでなく、本当にぱっとしない小学生だった。あんまりよろしくないお話だが、ダンゴムシを学校の行き道に持っていって、そのままずっと手の中に入れておいて、授業中なども机の引き出しの中に自分で紙などで箱を作ってダンゴムシのお部屋にしていたり紙ですべり台などを作ってコロコロと転がしたりして楽しんでいるぐらいちょっと変な子だった。今こうやって元気にしゃべっているのが不思議なぐらいおとなしかった。

・軟式のテニス部に入っていた。すごく運動が苦手で体力が全然無くて、お母さんが「絶対運動部に入りなさい」と言っていてすごく嫌だったが、1年生の教室に行ったら先輩達が黒板に「テニス部に入ってね」と書いていて、「あー、仕方ない。入ってやろう」と思ってテニス部に入った。テニス部を見学しにいった時にみんながスコートをはいてやっていた。そのスコート姿がすごく羨ましく、「可愛い~」と思って絶対スコートをはくためにテニス部に入ろうと思ってテニス部に入った。しかし、スコートは練習試合ではなく本当の試合でなくてははけないらしく、その時は見学に1年生が来るからということで先輩達がはいてくれていた。テニスがすごく下手で、スコートをはけずじまいで終わった。1回も試合に出させてもらえなかった。すごくショックだった。結構真面目で毎日朝練も出て、放課後も毎日真剣に汗を流しながら練習をしていた。しかし、たまに来るちょっと不良なサボりがちな人の方が上手くて、その人とかの方が試合に出ていた。前衛だったが、なぜか分からないがいつもボールが顔に当たってすごく痛かった。軟式だが勢いがあってすごく痛くて、いつも泣いていて目がすごく腫れていた。おそらく、ボールを取ろうと思うが、目で追うから体がボールのところに行ってしまいラケットに当てられない。先生がそれを見て「お前、あれだ。顔の前にラケットを置けばいいんじゃないか」と言われて、それをやり出してからボールが当たるようになった。写真集でテニスウェアーが着れた時は嬉しかった。念願のスコートだった。

・小学生の時にあだ名が「みちし原人」だった。いつも男子に「みちし原人」と呼ばれていて、本当にそれが嫌で悲しくて学校に行きたくない思い出だった。

・幼稚園の頃から遠足は教室遠足だったりした。風邪などで休むとすごく晴れたり行ける日は雨が降ったり、楽しみにしていた運動会は日曜日も月曜日も火曜日も雨で中止になったことがある。徒競争に出なければならない運動会がありすごく嫌だったが、すごく晴れた。嫌だなと思っていると晴れる。

・中学校1年生が終わって、モーニング娘。になるために東京に出てきた。友達との思い出とかテニス部の思い出とか先生に怒られた思い出などがすごくよみがえった。空港に先生や友達が来てくれて、我慢していたものが全部出て、すごく泣けてきた。

・山口県の実家で飼っている猫のチェリーはすごく可愛くて人懐こい。最初は捨て猫だったが、最初からすごく甘えてきてくれて可愛かった。お母さんにすごくねだって飼わせてもらった。初めの頃は甘えてきてくれてすごく可愛かったが、最近はご飯が食べたい時だけ甘えてあとは知らん顔で、それがすごくさびしい。一緒に遊びたいのに、チェリーはフンとどこかへ行ってしまう。甘えてきてくれると思ったらお腹が空いているみたいで、それがすごく切ない。

・親におねだりをする時は駄々をこねて「○○買って~」とか言う。昔、お父さんによくやっていたのは「さゆみの目見て」と言ってまばたきをいっぱいするというもの。そうするとお父さんが「仕方ないな」と言う。この技はお母さんには通じない。

・昔から妹か弟がほしくてずっとお母さんに「妹産んで」と言っていて、今でも「欲しいもの何?」と聞かれたら「妹」と言っているが、お母さんは「体力的に無理」と言っていた。「さゆちゃんが産んだ方が早いから」とも言っていた。

・お父さんからもらったダジャレの本を読んでいた。

・小さい頃は歯磨き粉がすごく苦手で、お水だけで歯磨きをしていた。歯医者さんにお話をしたら「ちゃんと歯磨き粉使った方がいいよ」と言われた。味があるのが余計お腹が空いてしまってダメなので、普通の味なしのやつでやっている。

・エアロビクスを習っていて、2回賞を獲ったことがある。体が柔らかかったのでこう言っちゃなんだが結構うまかった。その頃はちょっと特技だった。他にも色々やらせてもらっていて、バレエ、スイミング、英語、絵、ピアノなどを習っていた。実はヒップホップも習っていたが、すごく下手だから恥ずかしくて今まで秘密にしていた小学校6年生の頃にはマンツーマンの塾にも通っていた。習い事は色々やっていたが、何も続かなかった。バレエもすぐ辞めて、スイミングもやったのに全然泳げないし、英語もしゃべれないし、絵のセンスも無いし、ピアノもトライアングルしかできないし、塾に行っていたけれど頭もたいしてよくないし。エアロビクスだけ2回賞を取った。

・中学生の頃から髪が長く、肩より髪が長い子は絶対に結ばなければならないという校則があったので、いつも二つ結びをしていた。

・昔から何かと体が弱い。モーニング娘。に入ってからは強くなったが、風邪などをよくひく子だった。お母さんが足の裏のホクロがよくないのではないかと思い、手術しようかと言ったのだが、小さかったのでそれがすごく怖くて「絶対やだやだやだ」と言った。

・国語は一番苦手な方で嫌いだったが、本は大好き。漫画本も好きだし普通の小説なども大好きでよく読んでいたし、お父さんがすごく勉強好きで昔から本はたくさん読まされていた。

・駄菓子屋は本当に好き。小さい頃、近所に駄菓子屋さんがあり、100円玉を片手に握りしめてお姉ちゃんと一緒に行っていた。中でも大好きだったのが水飴。お母さん曰く水飴はものすごく甘いから虫歯になりやすいらしいが、いつもお姉ちゃんと歯医者さんごっこをする時は水飴の見た目が消毒液っぽいので、それを歯にベトベト付けながら食べていた。それでいつもお母さんに怒られていた記憶がある。

・今はお父さんのことを消極的とか言っているが、昔はお母さんよりもお父さんっ子で、いつも肩車をしてもらったりしていた。お母さんには怒られたりしていた。

・山口県にいた頃、結構大きな台風が直撃した。その前の日にお姉ちゃんがお父さんの電球を落として壊したが、怒られるから隠していた。台風で家の中は一切被害がないのに、お姉ちゃんはそれを台風のせいにしていた。しかし、そんなのはバレバレですごく怒られていた。嘘をついたこともまた怒られていた。小学生ぐらいだったが、お姉ちゃんを見て本当にかわいそうな人だな、頭大丈夫かな、普通にバレると思うけどなと感じたのを覚えている。

・夏休みのお昼ごはんは毎日といっていいほどそうめんだった。たぶんお母さんがだったと思うが、本当にそうめんだらけだった。小学校1年生ぐらいの時など前歯が無いと喉に詰まってすごく大変だった。あの夏の思い出は忘れられない。それでもそうめんしか出てこないので、一生懸命喉に詰まらせながら食べていた思い出がある。

・夏休み明けには、トールペイントといって木のような箱などに自分で絵を描くというやつをお母さんとお姉ちゃんとやって出した思い出がある。ほとんどお母さんがお姉ちゃんの分も自分の分もやってくれていた。毎年それだった。手抜きなのではないかというぐらい小学校の間は6年間それだった。

・山口県にいる頃、中学1年生の時に中学校までの道程が自転車通学だった。自転車で行っても30分から45分かかるぐらい遠い中学校だった。田舎なので車がやっと1台通れるぐらいの狭い道もあり、そこを自転車で通っていたら後から車が来て、道を譲ったら溝に落ちてしまい、学校に遅刻した。また、友達の顔を見て話しながら自転車に乗っていたら目の前に電柱があり、ガーンとぶつかってそのまま反動で飛ばされた。自転車が線路に挟まり、抜けなくなった。おばあちゃんが「大丈夫かい。ここはこうすると取れるんだよ」と言って取ってくれた。また、自転車で1人で帰っていたら、花壇の先っちょみたいなところにガーンとぶつかって、自転車がパンクした。まだ学校の目の前ぐらいだったので、重い自転車を押して1時間半ぐらいかけて帰ったこともある。

・毎年、家族で海に行ったら、スイカ割りとパン食い競争を当たり前のようにやっていた。パン食い競争はパンもやるが、小さかったのでパンというよりはお菓子の方が好きで、海に行く前にコンビニでお菓子を買って、そのお菓子を紐にぶら下げて、お父さんとお母さんが端を持って、兄妹3人でくわえて1番に行くみたいな感じだった。誰が優勝というよりは、お菓子がほしいから結局3人とも取れるというゲームだが、すごく楽しかった。海に行けば、そのスイカ割りとパン食い競争の2セットが一番の楽しみだった。

・小さい時からお姉ちゃんんとお揃いの服をいつもお母さんに着せてもらっていたが、お姉ちゃんの服が羨ましくて仕方なかった。妹ではお下がりが嫌という子が多いが、自分はそれが嬉しくて仕方なかった。お姉ちゃんの服が着たくて、今でも一緒に着ている。ファッション雑誌は見ない。好きじゃないというのもあるが、ファッション雑誌を参考にしたことがなく、お姉ちゃんそのまんまを着ている。

・小さい頃は○○ごっこというのをいつもやっていた。お医者さんごっことか歯医者さんごっことかお母さんごっことか学校ごっこというのをよくやった。走るのが苦手なので鬼ごっことかが大嫌いで、やろうと言われたらいつも「ちょっとお腹痛い」などと仮病を使っていたが、全然バレていた。お母さんごっこが一番好きだった。赤ちゃん役が好き。なまけるのが好きだからずっと寝ていたい。

・中学校1年生でまだ山口県にいた頃、体育の授業の時に本当に走るのが苦手なので砂いじりをしていた。蝶々が死んでいたので、砂に埋めて木とかを立ててお墓を作っていた。そしたら木が動いて蝶々が飛んでいった。死んだと思って埋めたが生きていた。死んだと思っていたからその蝶々をさわりまくっていた。たぶん蝶々は怖いから死んだふりをしていたのだと思う。それは生きていたんだと思うとぞっとした。蝶々に謝りたかった。

・1番最初に買ったCDはドラえもんの英語を勉強するCD。のび太君が「ねえドラえもん、英語が分かんないよ」にたいな感じから始まり、ドラえもんが「じゃあ教えてあげるね」みたいな感じで、「♪ABCD~」という歌。あとは、「ちびまる子ちゃん」の「♪ピーヒャラピーヒャラ」(B.B.クイーンズ「おどるポンポコリン」)も買った。アーティストでいうとモーニング娘。しか買ったことがなかった。アルバムとかは小学生には高かったので中古で買っていた。

・初めてテレビに映ったのは、6期メンバーの時は国民投票というのがオーディションの時にあって、その時に国民投票で6位だった。10位から1位まで発表するうちの6位で、5秒もないぐらい映った。感動だった。家族中大騒ぎで、ビデオを録っていたが、その5秒を何回も巻き戻してずっと見ていた。すごく嬉しかった。家族がいつも見ているのにテレビのその5秒間を何回も見ているというのが不思議だった。

・運動会が本当に嫌い。山口県は秋の大運動会だったので、夏休みが終わってから運動会の練習があったが、夏休み中ずっと憂鬱だった。楽しい夏休みで過ごしたいのに、運動会が秋に待っていると思うだけで毎年夏休みが嫌で嫌で仕方なくて、夏休みなんか来なけりゃいいのにぐらいに思っていた。運動会は大嫌い。

・コンビニで買物の合計金額が777円になったことがあり、そのレシートをずっと机に挟んでいた。すごく嬉しくていいことがありそうでずっと取っておいていたが、それは山口の時代だったので、お引越しをする時にもう捨ててしまった。

・口紅などはお母さんがつけているのを見て小さい頃から知ってはいたが、自分で化粧を経験したことはなく、初めて経験したのは中学1年生の時。その時、お姉ちゃんが中学3年生で、やはりお姉ちゃんに教えてもらった。まつ毛を上げるビューラーの存在を知ったことにすごい感動した。「まつ毛って上がるんだ」と思った。確かにテレビで見ていると女優さんとかきれいに上がってるなと思っていたが、生まれ持った才能なんだと思っていて、自分には無理と思っていた。ビューラーの存在を知ってすごく感動したのを覚えているし、自分もじゃあ女優さんのような存在になれるかもしれないんだという自信を持ったのも覚えている。

・山口県の車の新車の匂いが好き。もう新車ではないのでその匂いを嗅ぐことはできないが、その新車だった当時はすごく好きで、車に乗るのが楽しかった。

・お母さんやお父さんに昔から雪は汚いと言われていた。よく見たら土とかが混じっていて汚い。

・0歳から2歳ぐらいまですごい可愛くなかった。すごい太っていて、ぽちゃぽちゃしていて全然可愛くない。2歳ぐらいから徐々に可愛くなってきて、今に至ったという感じ。小さい頃の写真はあまり見せたくなくて、アルバムを見ていても全然ときめかない。子供を産んでも自分に似た子供が生まれたら親バカにならないかもと思う、というぐらい可愛くない。

・小学校1年生まではすごくきれいな爪をしていたのに、同い年に憧れている子がいて、その女の子が爪を噛んでいた。すごく可愛く見えて、「羨ましい、爪噛んでるの」と思って、さゆみもそれから爪を噛むようになって、小学校2年生から今までずっと噛み続けていていまだに直らなくて、あの時なんであの子に憧れたんだろうと思う。

・モーニング娘。になる前は、新聞のテレビ欄に「モーニング」と書いてあると、「あ、モーニング娘。が出るんだ」と思うから、ビデオ録画をしていて、ビデオをずっと見ていても出ないので、よくよくちゃんと見てみたら、朝の「モーニング」なんだという感じだった。小学生ぐらいの時にそういうことがあり、すごくショックだった。モーニング娘。が本当に好きで、モーニング娘。の番組を必ず見ていたので、ビデオを録っても映っていなく、しかもニュースとかだったので、小学生からしたらつまらないのをずっと早送りしながら見ていて疲れた。

・おじいちゃん子でおじいちゃんが大好き。昔はおじいちゃんに会うと必ず500円玉をくれていて、それが嬉しくて本当におじいちゃんになついていた。今は本当におじいちゃんが可愛い。おじいちゃんが大好き。

・山口でお姉ちゃんとバスとかに一緒に乗って、「次降りる方はボタンを押してください」となるが、すごくお姉ちゃんは素早い。シャーみたいな感じ。何?というぐらい素早いが、いつも「勝った」とか言う。

・さゆみとお姉ちゃんが通っていた小学校のウサギ小屋の中にニワトリとウサギが一緒に入っていた。

・お姉ちゃんと一緒にボートに乗ると、なかなか元の場所に戻れない。いつまで経っても戻れないんじゃないかとちょっと不安になるぐらい。ゴーカートに乗っても1周できない。ゴーンとぶつかってしまうから、2人で乗ると結局最後は全部係員の人に後から押してもらう。ゴーカートは絶対にもう2人では乗りたくない。

・昔から幼稚園とかに行くと周りがみんな漢字の名前だったので、すごく漢字の子が羨ましくて、平仮名が嫌な時期があった。その頃からずっと「漢字だったら何にしよう」と考えていたが、「さゆ」は「左右」で「美」という字を書いて、全身美しいみたいな感じ。それか「み」を「見」という字にして、左右を見る、周りをちゃんと見れる子という意味で「左右見」でもいいなというのを思っていた。

・サ行の発音が難しくて苦手。サ行よりもタ行の方が滑舌よくしゃべれれので、「お刺身」とかが小さい頃から言えなくて、いつも「おたちみ」になっていた。「道重さゆみ」も「ちし」とか「さ」があるので、「みちしげたゆみ」みたいになる。昔からそれがすごく苦手だった。いまだにそれはそこまで改善されていない感じがする。

・いとこが高知県に住んでいるので、山口から高知県までお姉ちゃんと2人きりで電車とか新幹線とかを乗り継いで、小学生の時に行ったことがある。それはすごく楽しい思い出だが、相手がお姉ちゃんなので妹のさゆみが全部仕切ってやっていた。お母さんも無駄遣いさせたくないからギリギリのお金しか持たせてくれなかった。それは全然よかったのだが、お姉ちゃんが切符をなくした。昔からお姉ちゃんはそういうことがあるから、もしかしたらあるかもしれないと思った。そういうことがあってお母さんに報告する時にさゆみが怒られたくないと思っていたので、切符にちゃんとあらかじめ印をつけていた。切符を少し破いて、自分のだと分かるようにしていた。お姉ちゃんに「ねえねえ、さゆちゃん。切符持ってる?」と言われて、切符が無かった。すごく焦っていてどうしようどうしようとなっていたらお姉ちゃんが「私ちゃんとあるよ」と言って見せたのが破けている切符だった。だからお姉ちゃんは自分が無くしたら怒られるからさゆみのを盗って「私のだよ」とすごくはりきっていたが、さゆみはそうなるのを想定していたので、全部お見通しで「ねえねえねえ」と言って、小学生だったがすごくお姉ちゃんに説教した。結局、椅子の下に落ちていて大丈夫だったが、そんな楽しかった思い出。楽しかったでまとめます。

・「手袋を逆から言って」「ろくぶて」と言わせて6回ぶつ遊びを子供の頃によくやっていて、すごく楽しくて仕方なかった。小さい頃は何もなくても楽しめるあの楽しさが素晴らしいと思う。

・お父さんは消極的な割に小さい頃にはいろんな所に連れていってくれた。一番覚えているのは、宮崎県にある車で5、6時間かかる海みたいなプール。波とかが来てすごく楽しい。ちょうどゴールデンウィークに毎年のように行っていて、すごく楽しかった思い出。いまだに家族ですごく行きたい。それはよく覚えている。お父さんには、普段は消極的だが、そういうどこかに連れていってもらったりとか日曜日は必ず遊んでもらっていた。

・ハムスターを飼っていた頃は、ハムスターがもう綿いらないみたいに綿を小屋の外に出すと、「ああもう春なんだな。暑いんだな」と思った。

・思ったことをパッと言ってしまう。小学生の頃からこの性格で、家族とか親しみのある人とかなら全然大丈夫だが、体育の授業をした時に先生が運動が苦手なさゆみに向かってすごく必死にドッジボールでボールを投げつけるので、すごく怖くて、パッと思い浮かんだのが「大人げない」という言葉だった。何も考えずに「先生、大人げない」と言った。そしたら先生がすごく怒ってしまい、「道重さんはいつも何も考えずにすぐ言葉を発するくせがあるから、10秒頭の中で数えてから発しなさい」と言われて、「はぁー」と思って、小学生の時はその先生に対してはちゃんと意識していたが、最近薄れてきていて、すぐメンバーとかでも「ガキさん、こうですよ」とか言ってしまうくせがあり、「もう、さゆみんは本当に」と言われる。その時にその先生の言葉がすごく頭によぎって、「あ、10秒自分の中で数えて、その10秒の間にこれを言ったら相手はどう思うんだろうということを考えなきゃいけないんだなということを最近改めて感じて、それをやろうとすごく思っている。でも、できない。人への気遣いとか思いやりとかを完璧にできる人間になりたいなと思う。

・昔、絵を習っていた。幼稚園から小学生ぐらいまでお絵描き教室みたいなのに行っていて、結構本格的に絵の具とかは使っていたので、ちょっと得意。

・中学1年生でまだ山口県にいた時、自転車通学で、坂の所は自転車をいつも引いて行っていた。そこはすごく急な坂で、そこを通る時はみんな自転車を押すが、すごく一生懸命ヨレヨレになりながら自転車をこいでいる人がいて、別に普通の光景かもしれないが、さゆみからするとその感じがすごく恥ずかしい光景で、「こんなに頑張るんだ、ここで」「こんなとこで体力使っちゃうんだ」みたいな感じで見ていたことがある。あとは音楽をイヤホンで聴いている人が自分の世界に入ってしまって、鼻歌とかでも聞こえたりする。鼻歌ならいいが、結構自分に酔いしれて、自分の中ではあまり聞こえてないなと思っていても結構すごい大声になっちゃってる人とかをたまに見かけるが、結構さゆみもやっちゃってるのかなと思うと恥ずかしくなる。

・小学校の卒業式の時に、「ピッカピカに光ってた」というようなスピーチみたいなのを1人ずつ言わなくてはならなくて、「ランドセルが」という担当だった。本番で「ランドセル」を「ダンドテル」と言った。

・ランドセルの色は紺色だった。自分でも何で紺色を買ったんだろうとすごく後悔した。キャラクター物のランドセルだったが、そのキャラクターが好きだったから、その時はそれにしか目がいかなくて、色とか何も考えずに紺色にしたが、入学してみて、女の子で紺色は自分しかいなくて、形も普通は縦長だが、さゆみのは横に長方形だった。それがまたすごく恥ずかしかった。ボタンがあるところも普通は下にあるが、さゆみのは上にあった。全部が逆だった。ちょっと変わったランドセルで、すごい恥ずかしくて早く替えたくて仕方なかったのを覚えている。お姉ちゃんが可愛いウサギのマークのランドセルのピンク色だった。それがすごく羨ましくて、自分も同じのにすればよかったのにそのキャラクターにしか目が無くて、それはあまりいい思い出ではない。

・広島に修学旅行で小学生の時に行ったが、その時に本場のお好み焼きを初めて食べたと思うが、すごくおいしかったのを覚えている。すごくお腹がすいていて、友達同士でご飯を食べるというのが小学校の頃は少なかったので、それだけでテンションが上がっていたが、その広島風お好み焼きを食べてすごくテンションアップアップだったのをすごく覚えている。

・山口県時代に冷蔵庫を開けたらお姉ちゃんの携帯が入っていたことがあった。お風呂に落としたらしく、お風呂は熱いので冷蔵庫に入れて冷やしたら直ると思ったらしい。「落としちゃったから冷やしてるんだよね」と言っていた。

・「しゃべらなそう」というのは最近はそこまでイメージにないようだが、昔はよく言われていて、小学生の頃などは、「え?さゆちゃんってこんなにしゃべるんやね」みたいな。学校とかに行っていても、しゃべりかけづらいオーラを出しているみたいで、だからいつも引き出しにダンゴムシを飼って話しかけて遊んでいた。

・小学6年生の時にタイムカプセルを埋めた。20歳の時に開ける。10年後の自分へのお手紙とその時に大好きだったお笑い芸人さん、テツandトモさんのCDを入れた。その時は本当にテツandトモの「なんでだろう〜」にめっちゃハマっていて、山口県の大きいデパートみたいな所にテツandトモさんが遊びにきてくれたことがあって、それにわざわざお母さんと行って、席とかも取って、CDもそこで買って、握手もしてもらって、すごくそれが嬉しくて、小学校6年生の頃だったが、嬉しすぎちゃって、タイムカプセルに何か思い出の品を入れるということでテツandトモさんのやつを入れたが、今考えると、20歳の時にみんなで開けて、「みんな何が入ってた?」という話に絶対になると思うが、その時に「テツandトモさんのCD入れてたみたい」となるとちょっと恥ずかしい。

・ピアノを3歳から小5まで習っていたが、ピアノは全然弾けない。なのに、トライアングルをずっとやらせてもらっていた。小学校1年生か2年生ぐらいの時に「トライアングル」という詩を書いたことがある。「チーン、チーン。氷の音が聞こえるよ。チーン、チーン。ガラスの音が聞こえるよ。チーン、チーン」と、今でも覚えているぐらい簡単な詩だったが、新聞に載った。

・歩きはじめたのは1歳7ヶ月。遅くて心配されていた。

・小学生の頃から、同い年の子よりも大人の人と話すのが好きだった。幼稚園の時にお家でお誕生日パーティーを開いて、お友達とかも呼んで、お友達のお母さんとかもみんな来ていたが、友達の輪に入るよりも友達のお母さんとかさゆみのお母さんが入ってる輪に入っていた方がすごい楽しくて、こっちの方が話題がいいと思っていた。それぐらい大人と話すのが好きだった。

・小6の時に中学受験をしたが落ちた。その時に、普段の学校のテストとかは絶対に落とさないのに、消しゴムを落とした。気合いが入っているからなのか見たことのない人もいるし緊張していたからか分からないが、そんな1番大事な時に消しゴムを落として、あんなに緊迫したムードの中で小学校6年生の女の子が「すいません」と手を挙げて、先生に「あの、消しゴム落としたので取ってください」と言う時の恥ずかしさはもう本当に恥ずかしい。

・小学校1年生の時、ベッドを初めて買ってもらった時に「わーベッドに寝れる」と思って、ベッドで上を向いて寝たが、上にたぶんドーンと乗った時の振動で天井から小さい虫が下りてきて、それが目の中に入った。それで目がパッチリ覚めてしまい、泣きながらお母さんのところへ行った。鏡でベーとしながら目を見ると、ちょっとグロい話なのだが、虫が目の中でバラバラ事件だった。小学生の時はダンゴムシと友達だっただけに、「虫がかわいそう」という方に走ってしまい、本当に切なかった。

・中学1年生の時に自転車通学で、夕方の部活帰りに電気のところに虫がたかっていた。あろうことか自転車で目をパッチリ開けながら突っ込んだ。小さい虫たちが片目に2匹ぐらい入った。目をグシャーッとして、どうしようどうしようと1人で焦っていた。

・昔はお兄ちゃんと一緒にお風呂に入っていた。今はさすがにないが、小2ぐらいまでは入っていた。お兄ちゃんとは5歳離れている。お兄ちゃんが中学1年生の時に一緒に入ってもらえなくなってすごくさみしかった。毎日兄妹3人とかで入っていたものを、お兄ちゃんが中学校に入ったぐらいから一緒に入らないと言い出した時に、すごく悲しかった。なんでいつも一緒に入ってくれたのに一緒に入ってくれないんだろうというそのさみしさをすごく覚えている。

・小さい頃にシンデレラに憧れていて、ずっとシンデレラになりたいとか、「美女と野獣」の役になりたかったりとか「アラジン」の女の子の方とかにすごく憧れていた。昔からドレスがすごく着たくて、お母さんに作って作ってと言って、お母さんが夜な夜な手作りで作ってくれたことがある。もちろん今衣装で着させてもらえるような素晴らしいドレスではないが、すごく嬉しくて、毎日のように着ていた。幼稚園から帰ってきたら幼稚園の制服を脱いでそのドレスに着替えていつもシンデレラごっことかをしていた。

・赤ちゃんの頃はすごくブサイクだった。写真とか見ても、赤ちゃんは結構兄妹みんな同じ顔に見えるが、お母さんとお父さん曰く、帰りに本当にさゆちゃんは一番可愛くなかった」と言われて、3人目だったが、お家に連れて帰った時に、隣の子と間違えたんじゃないかと思うぐらい可愛くなかったらしく、顔自体はすごく嫌だったと言っていた。段々可愛くなってくれて、「あ、うちの子だ」と思ったらしい。本当に大人しくて、性格というよりはずっと寝る子で、今でも本当によく寝るが、小さい頃からよく寝る子だったらしく、そのおかげで絶壁で、右側がすごくへこんでいる。

・バッタとカマキリを一緒に飼っていたら、カマキリがバッタを食べてしまった。あれは本当にかわいそうだった。茶色いカマキリと緑のカマキリを2匹入れていたら、茶色いカマキリが緑のカマキリも食べてしまい、それも小さいながらにすごく衝撃を受けていた。あとすごく好きだったのはカブトムシとクワガタ。森みたいな所に行って木にハチミツを塗っておいて、夜中に取りに行って、カブトムシとクワガタが集まってきていて、それをお父さんと一緒にそれを捕まえて、ゼリーとかを与えてお家でずっと飼っていた。結構そういう男の子の遊びみたいなのを、トンボ取りとかセミ取りとかも大好きだったし、活発だった。

山口県にいる時で小学生ぐらいだったが、日曜日にツバメが入ってきてすごくびっくりした。その時、夏だったのでソーメンを食べていた。お父さんが出ていくように仕向けて、ちゃんと全然大丈夫だった。お家の中で天井もそんなに高くなかったので、すごく至近距離で檻とかもない中で初めてツバメを見た。

・小さい頃はカマキリとかを素手で取っていた。カエルとかはペタペタ触っていた。蟻とかも手で潰していた。今は蚊ですら触れなくて血を吸わせるしかない。

・山口県で小学校の時は珍しい給食というのは特別にはないと思うが、セレクト給食というのがあった。デザートとかをプリンにするかゼリーにするかとかチーズケーキにするかチョコレートケーキにするかとか、すごくそういうのがあって、苺かブドウかとかすごくその時期が楽しみで仕方なくて、どっちにしようと言っていた。セレクトは小学生のうちは自分が食べたいというものよりはひとが多い方に行く。プリンかケーキかという時があり、自分の中では断然ケーキだったが、クラスの半分以上がみんなプリンに手を挙げた。ここでケーキで手を挙げたらなんか自分だけ違うくて恥ずかしいと思って、プリンに手を挙げたのをすごく覚えている。結局プリンもおいしかったのでいいのだが、あの時ケーキにすればよかったという思い出があってすごく覚えている。給食は必ず自分の教室で食べるが、1ヶ月に1回だけすごく広い所で食べさせてくれる。交替交替だが、1ヶ月に1回広い部屋みたいな所で食べさせてもらえる。居間みたいな所で、すごく高級そうな部屋で宮殿みたい。映画とかを見ながら食べる。小学校の時は給食時間が30分ぐらいだが、30分以上取ってくれる。そこにそのクラスだけ移動して、「今日は優雅に食べましょう」的な感じ。宮殿みたいな所が学校の中にあった。宮殿は言いすぎだが、教室以上に広い所があって、机とかも勉強机じゃなくてちゃんとしたしたきれいな机で、そこで1ヶ月に1回贅沢をしましょうみたいな感じであって、その時はすごく楽しみだった。しかし、その時に限って自分の嫌いな給食だったりしてテンションが下がったりしていた。すごくそのようなお遊び的な感覚がすごく楽しかったのを覚えている。

・一番好きなかき氷の味は断然、苺。小さい頃からずっと苺で、あんまりレモンとかメロンとかブルーハワイとかにそれたことがなくて、ずっとそこは一途の気持ちでいる。練乳付きならなおいい。苺ミルクだったら最高。すごく好きだし、お家でもかき氷機がある。東京に来てからはないが、山口県の家にはあって、よくお姉ちゃんとかとガリガリやっていた。すごく楽しい。

・山口県にいる時は1週間に1回だけ兄妹の誰かがお風呂掃除をしなければいけない日があって、その時は誰がするかということになって、いつもジャンケンで決めていた。ジャンケンをして3回勝負して負けた人がすることになっていたが、結構それが3週間続けて同じ人とかになっていた。だからそれはもう当番ということにして、1週間ずつということになっていたのを覚えている。あとは、お友達がお部屋に来た時は部屋を勝手に開けないとか、暗黙の了解のルールはあった。中学1年生と3年生で、お姉ちゃんと学校が被っていたが、また、そこで絵の具とかを忘れ物をした時は姉妹で嫌がらず貸し借りはしようねというルールがあった。

・小学4年生の時、夏休み前にプールのテストがあって、20メートルか15メートルぐらいの区切りがあって、それ以上泳げない子は夏休み中に補習があった。夏休み前のテストで、なんと4メートルしか泳げなかった。それも必死で泳いで、結構行ったんじゃないかと思う時に足をついたら4メートルだった。もちろん補習だったが、その補習で20メートルぐらいまで泳げるようになった。しかも2,3回の補習で。その時期は補習の子が結構多かったので、生徒5人に対して先生1人ぐらいで教えていたが、さゆみはありえないぐらい泳げなかったので、マンツーマンで習い、その年で一番成長した人になった。

・小学校3年生の時に自転車教室というのが学校であって、絶対にその時までには補助輪を外さなければいけなかった。外さなければいけないというよりは、補助輪をつけてくる子がいないとお姉ちゃんやお兄ちゃんから聞いていた。そのため、小3までには絶対に補助輪を外さなければというプレッシャーがすごくあり、すごく頑張っていた。さすがに幼稚園のうちには乗れず、小1の初めぐらいにちゃんと乗れるようになった。案外早かった。近所に妹のように可愛がっている子がいたが、その子が小3までずっと補助輪ありで乗っていて、初めて自転車教室に補助輪を両方つけて4輪車で行った子がいて、結構恥ずかしい感じだった。中学生の時はヘルメット着用で、ちゃんと首の下のパッチンもしていた。パッチンを外しているだけでノーヘルメットといって、自転車を1週間使ってはダメみたいなそういう規則で、すごく厳しかった。先生がいる前だけじゃなく、どこで見られているか分からないので、絶対にヘルメット着用で、雨の日はカッパで、自転車通学ではいい思い出がない。

・ときわ公園のペリカン、カッタ君は本当にアイドル的な存在だった。ときわ公園とお家が近かったので、よくおばあちゃんにおんぶしてもらって遊びにいったりとかしていて、カッタ君とはしょっちゅう会っいた。ペリカンは嘴の中に歯が無い。だから噛まれても全然痛くなくて、よくお父さんに「頭入れな」と言われていて、頭を入れてパカッとやってもらったりしていた。そのカッタ君が亡くなったと聞くとすごいショック。山口の一番仲がいいお友達から「カッタ君死んだんだって」というメールをもらって、すごくびっくりした。すごくショックで信じられない。カッタ君は自分の人生の中でいて当たり前みたいな感じで、小学校とかも運動会とかでカッタ君が校庭に下りてきて一緒に運動会に参加してもらったりとか、普通に中学校とかも校庭に下りてきてくれて、カッタ君が校庭にいる状況で体育をやったりとか、中1の時にテニス部だったが、テニスコートに下りてきてくれた時は超ラッキー。ボールとかも食べるのでテニスが中止になった。先生も「今日はカッタ君がいるから部活やめようね」と言ってくれていたので、「カッタ君、ぜひ来て」という感じだった。カッタ君とはそういう思い出がいろいろあるので、すごく切ない。でも、さゆみ以上にカッタ君の妹のペリーナちゃんが今どんな気持ちなのかすごく切ない。

・山口県のお家ではモーニング娘。のポスターとか石川さんのポスターとか高橋愛ちゃんのポスターとかいっぱい貼っていた。まだ小学生だったので、落書きしたりとかヒゲとか書いたりもしていた。東京に来てからすぐは部屋中アイドルのポスターでいっぱいだった。モーニング娘。に入ったばかりだったので、高橋愛ちゃんとは本当に仕事としてのグループというよりはファン的な目線だったので、普通に毎日仕事でも会ってるのに、お家に帰ったらポスターも貼ってあったし、あとは普通にアイドルの子のポスターを貼ってあって、小倉優子さんのポスターやカレンダーとかもずっと貼っていた。カレンダーは1月、2月とか終わったらはがしていくが、1月、2月とかの写真が気に入っているとまたそれも貼って、また新しい月とかもやっていくので、どんどんカレンダーやポスターが増えていった。東京に来て1回お引越ししたが、引越す時にそういうのは卒業しようと思って卒業して、今は全然ポスターとかは貼っていなく、人形で散乱している感じ。

・さゆみの、もう本当に地元に近いといえば、やっぱりときわ公園がすごいぜひ行ってほしいなと思うんですけど、まあ普通の遊園地とかと比べると全然ちょっと...ちょっと壊れかけでちょっと怖いジェットコースターとか、あの、ジェットコースターとしての怖さは全然ないんですけど、いつ壊れるんだろうっていう怖さで怖いなっていうのはあるんですけど、まあでも絶対壊れる心配はないんですけど、そういう恐怖感を味わえるジェットコースターにも乗ってほしいなっていうのと、あとやっぱりときわ公園には遠足で何回も行ったりとかしてるので、そういうさゆみの思い出も詰まってるので、まあさゆみの思い出で行ってもちょっと意味ないかもしれないんですけど、ぜひぜひ行ってほしいなっていうのと、あと全然地元じゃないんですけど、さゆみのお家からでは車ではまあ2,3時間ぐらいかかっちゃうんですけど、下関の、あの、フグをぜひ朝市で...朝市?あの、朝4時ぐらいに行って新鮮なフグを、はい、ぜひぜひ食べてほしいなっていう気持ちはありますね。はい、山口県は本当にいい所です。

・夏休みは基本好きなんですけど、嫌な夏休みの思い出といえば、あの、毎年家族ですごいいっぱいいろんな所に出かけてたんですよ、山口県の時。でも、お姉ちゃんが7月20日の夏休みの初日に腕の骨を折っちゃって、もう初日からプールに行ったんですけど、家族...あ、海か。海に家族みんなで行ったんですけど、あの、もう波のすごい...小っちゃい波でコケて、全然浅い所でコケてでんぐり返しして、骨を折って、で、8月31日にギブスが取れるという奇跡の夏休みを過ごしたんですよ、お姉ちゃん。なので、その年はもう全然海とかも遊びにいけなくて、骨折ったのに手術までしたんですよ。でもすごい大変で、お母さんが病院で付きっきりで、で、さゆみも1人で毎日100円ずつもらって、まあポッキー買いにいったりしていて、すごいなんか切ない夏休みだったんですよ。だから嫌な夏休みの思い出といえばそれだなと思います。

・さゆみのお兄ちゃんが、あの、寝顔すっごいひどいんですね。本当に白眼...白眼じゃない、半眼なんですよ。で、さゆみも半眼で、お兄ちゃんとさゆみの寝顔が一緒だって言われるんですけど、お兄ちゃんの寝顔を見て一緒だって言われるのはすごい嫌だなと思うぐらいひどいんですけど、お兄ちゃんの寝言で1回、あの、「サッカー部員を集めます」っていう寝言を聞いたことがあるんですよ。さゆみ、すごい面白くて、あの、確かにお兄ちゃん、小学生の時にサッカー部で、あの、中学校になったら陸上部だったんですけど、「サッカー部員を集めます」っていう寝言を聞いた時はすごい面白かったですね。

・さゆみがすごい恥ずかしかったのは、あの、なんか、トイレに行った後に後前逆とかだったらいいんですけど、スカートが、あの、パンツに入ってて、パンツが丸見えだったんですよ。これ、あの、結構前だから、まだ結構、あの、中1とか、まだモーニング娘。に入るか入らないかぐらいだったので、山口県の時の話なんですけど、本当に恥ずかしくて、で、しかも自分で気付いたので、自分で気付くまでに絶対人に見られてるはずなんですね。相当恥ずかしかったですね。

・お兄ちゃんが1回、ミートボールってあるじゃないですか。お弁当とかに入れる。あれって袋の中に入れたまま茹でなきゃいけないのに、袋から出して、あの、茹でたことがあるんですよ、お兄ちゃん。それはちょっとお母さんが結構びっくりしましたね。「何やってるの?」っていうような反応をしてたので、それをちょっと...さゆみも、その時、お兄ちゃん、まだ小っちゃかったとは思うんですけど、さゆみが覚えてるくらいなんですけど、なので、さゆみ結構小っちゃいながらお母さんがその絶句姿に、はい、衝撃だったのでよく覚えています。

・一番初めのきっかけっていうものがよく分からなくて、本当になんか、当時というか、さゆみが小学4年生か5年生ぐらいの時に本当に結構周りで流行ってて、テレビ番組とかでも、いっぱいモーニング娘。が出てて、こうなんか「LOVEマシーン」とかもすごい流行ってて、こう学校とかでもそういうイベントとか、なんか文化祭的なものがあったら、そういうモーニング娘。の曲をみんなチョイスしてたし、あの、紅白勝ての...何だっけ、あ、運動会とか...でも、モーニング娘。のそういう応援歌とかでもモーニング娘。を使ったりとかもしてたので、すごいそういうなんか、自然な流れでモーニング娘。を知ったんですけど、好きになったきっかけはやっぱりテレビとかを見て、こうオーディション番組とかを見て、すごいみんながすごい頑張って、涙しながらもモーニング娘。に入りたいって思ってて、そのモーニング娘。に入りたいって思わせるモーニング娘。ってすごいなと思って、さゆみはすごい好きになったんですけど、こうでも、より好きになったきっかけはやっぱり、兄妹がやっぱり好きな物って一緒になって好きになるというか、なんかお姉ちゃんが好きだと、さゆみだって好きだもんっていう気分になったりするので。まず1番はお兄ちゃんがモーニング娘。のファンだったんですね。で、なんか、結構、あの、その当時はプッチモニのファンで、お兄ちゃんが。市井紗耶香さんがすごい好きで、お家になんかポスターとか、あと、プッチモニ写真集とかもあって、なんか、すごいエッセイとかもなんか、エッセイっぽいものとか、なんかCDとかもあって、すごいそれをお兄ちゃんに借りたりとかして、あの、一緒に聴いたりとか、で、さゆみもモーニング娘。のCD買ったらお兄ちゃんに貸したりして、そういのを...があって、すごいもう...すごいモーニング娘。に...が好きってなって、もう入りたいに変わって、モーニング娘。に受けたんですけど、はい、そして今ここでこんなお話をしてるんですけど、はい、いろんなことがありました。

・さゆみ、あの、テトリスとかすごい得意だし、ぷよぷよも、あの、昔、あの、なんかご飯屋さん...山口県のご飯屋さんで、なんか、あの、大人と子供が、あの、どっちともが行っても楽しめるような所があって、あの、大人のメニューもあって子供が好きそうなメニューもあって、大人がしゃべってる間に子供が遊べるようにゲームがたくさん置いてる所があって、で、ぷよぷよがあって、そこでいっつもぷよぷよをしてて、すごい好きだったので。

・お姉ちゃん、絵を描くのがすごい好きで、絵が上手なんですよ。なんか可愛いんですね、少女マンガとか、すごい上手で、絵をたくさん描くんですけど。で、ノートとかはまあ、その、全然、まだ自分の物だったらいいじゃないですか。あの、山口県の地元のさゆみの部屋のドアに大きくクレヨンで、ドアに絵をめっちゃ描かれたんですよ。で、さゆみ、その頃、アーティストの19(ジューク)さんっていたじゃないですか。もう解散しちゃった方達...がすごい好きで、で、その人達の歌詞とかがすごい好きだったんですよ。その歌詞をクレヨンで全部描かれて、ドアに。で、さゆみ、ちょっとびっくりしちゃって。え?何で描いたの?...で、すごい一生懸命雑巾で、さゆみがね、拭いたんですけど、消えないんですよ。だからもうずっと、もうドアをいつでも閉めないで開けっ放しにして見えないようにしてたんですけど、で、あの、久しぶりに山口県に帰る時に、あの、お父さんは、あの、自分のリビングしか使わないから、さゆみの部屋を掃除してないから、あの、ちょっと虫とかわいてたら嫌だなと思って、お掃除屋さんに頼んで、あの、さゆみが帰る前にきれいにしといてもらったんですよ。そしたらきれいに消えてて、本当ありがとうございますと思いましたね。あの、絶対、自分の力じゃ消えなかったですもん。どんなに洗剤とかしてても消えなかったんで。もう本当いい迷惑だなと思って。なんでそれをクレヨンで描いたのかもいまだによく分かんないんですけど。まあ、そんなことがありました。

・あの、小さい頃の話なんですけど、さゆみ、実は、あの、お姉ちゃんだけに教えてあげるね、さゆみね、幽霊なんだって言ったことあるんです。そしたらお姉ちゃん、本当に怖がって、泣きだしちゃったことがあるんですよ。まあ、本当にもう幼稚園とかの話なんですけど、その頃からさゆみっていたずらっ子なんだなって思いますけど。すごいね、覚えてますね、それは。

・小学校3年生の時に、さゆみ、あの、盲腸になったんですよ。で、盲腸になった時に、1日に8本から10本ぐらい注射を射したんですね。でもうすごいそれで痛かったのに、あの、もうこれ以上注射射したくないっていう時ぐらいに、どう見ても新米の看護婦さんが...看護師さんが、さゆみの注射の担当をしたんですけど、あの、ありえない注射じゃない痛みをしたんですね。で、もう手がすごい震えてて、その看護師さんの手が、で、これ絶対失敗だって小学校3年生ながらにすぐ分かったんですよ。で、もう本当に痛くて、どうしようって感じだったんですね。そしたら、でも、看護師さんの方がどうしようってなってて、でもその看護師さんが取った行動は、何事もなかったかのようにしれーっとゆっくり注射器を抜いて、何事もなかったかのように去ってって、ベテランの看護師さんにコショコショって何かを言ったら、まあベテランの人が来てくれて、注射を射してくれたんですけど、そういうことがあったから、さゆみ、注射が大の苦手なんですね。

さゆみ達は、あの、恒例なんですよ、しし座流星群の日に流れ星を見にいくのが。あの、山口時代からいつもどんなに次の日、朝、あの、お父さんがお仕事あっても、あの、お母さん家事が残ってても、さゆみ達学校があってもですね、絶対にみんなで朝4時とか3時ぐらいには、あの、外に行って、公園とか行って、みんなで見るっていうのが恒例だったので、東京に来てもそれをやろうって言って、この時はやったんですけど、山口では見れるものが東京では、まあ天気も悪かったのかもしれないんですけど、見れなくて、それどころか星もたぶん全然見れなかったんだろうけど、で、まあ、その反動って言うのは、まあ、たぶん言い訳でしょうけど、その後お姉ちゃんと2人でコンビニ行って、まあいろいろと食べて楽しかったんだろうなっていうのがすごい、はい、伝わってきて、で、その後すぐ寝て、で、あおの後、2人でお風呂でゲームしたんだろうけど、あ、まあすごい楽しそうな風景が思い浮かぶんですけど、その流れ星なんですけど、さゆみ、山口県でその流れ星を見た時に、本当に感動しましたね。数えてたんですよ、最初。100個超えて、1日に。すごいって思って、メチャメチャすごいと思って、もうその時も...その時は日記とかつけてなかったんですけど、あの、作文を書いて、先生に提出したのを覚えてた...覚えてるんですけど、本当に感動して、100個超えて、あの、だから100個超えたから、あの、区切りがいいからそれからは数えなかったんで、最終的に何個見たかは覚えてないんですけど、でも、100個超えたっていうのはすごい覚えてて、で、その時にすごい、あの、お願ごととかしたりとかしてたんですけど、で、小6の時は、お願い事に、もう...あの、受験をしたんですよ、さゆみ、中学受験を。なので、受験受かりますようにってね...流れ星さんにお願いして、まあ落とされちゃったんですけど、まあ流されちゃった感じですけど、受験も。でも本当に、でもそのおかげでさゆみ、中1の時に、あの、モーニング娘。受かったと思うんですよね。その時に、さゆみ、たぶん、あの、受験に受かってたら、モーニング娘。に入ってないと思うので、ああ、なんかそういう流れで、うーん、来たんだなっていうのをすごい思いますね。

・あの、うち、山口県で、あの、目の前に畑があったんですよ。おばあちゃんが栽培?してる畑なんですけど。で、あの、そこに毎年、イチジクができてたんですけど、イチジクを2人でお腹がすいたらよく取りにいって、その場で食べてたんですけど、あの、熟してて、熟し以上までいくと、蟻が寄ってくるんですよ、甘いから。で、さゆみはその蟻を上手によけながら食べてたんですけど、お姉ちゃんは蟻も...お腹すいてるから、お菓子感覚で蟻も一緒に、「おいしい」とか言ってて、でもなんか今、なんか、で、イチジクって種がいっぱいあるから分かんないんです、本当難しいんですよ。だからさゆみも、蟻をよけたつもりでも、もしかして一緒にゴックンしてたかもしれないけど、お姉ちゃんもう何も考えずに普通に、いっぱいついてるだろうに普通に食べてたから、子供ながらにその映像っていうか...鮮明に覚えてるんですよね。映像じゃないか、その情景を。

・さゆみ、小学校2年生の時の担任の先生の字が大好きで、すごい可愛かったんですよ、黒板に書く字が。可愛いしきれいで、読みやすくて、それにすごい憧れて、なんか、その先生の真似をしたので、だからたぶん、憧れる人の真似をすれば、うん、それに近付けると思いますね。だから、そうですね、先生...先生はすごい上手できれいなんですけど、真似しようと思ってこういう字になったんですけど、真似しきれてない状態ですね。

・なんか、結構みんな、モーニングのメンバーって、タオルとか、ちっちゃい頃から使ってて、これがないと寝れないとかいう子、いるんですけど、あんまさゆみ、ないんですけど、絞り出して言えば、小学校1年生の時に東京に遊びに来た時に、あの、その時に東京の限定のシャーペンを買ったんですよ。それをいまだにたまに使う時があるぐらいで、本当になんか、意外と小さい頃から使ってる物って無くて、でも、山口県に久しぶりに帰った時に、すごい懐かしいちっちゃい頃から使ってるマグカップみたいなのがあって、それでお茶を飲んで、なんかホッとしましたね。なんか嬉しくなりました。あ、昔っからのやつだ、と思って、懐かしいな、と思って。そういうのはすごい嬉しかったですね。

・あの、家の中でスイカ割りを毎年やってて、あの、スイカを普通に買ってきて、お家の中で、新聞紙敷いて、スイカ置いて、で、まあ目隠しして、棒も、あの、棒を、あの、さゆみ、お家の前がすぐ海だったんですよ。で、そこで、なんか、木みたいなやつを拾ってきて、結構でかいやつ。それで、お家の中でスイカ割りはやってましたね。家族でで...でも、あの、お父さん抜きの家族でやってました。あの、でも、お父さん、怒るんですよ、あの、さすがに、あの、しかも、あの、やっぱ、部屋...あの、目隠ししてるわけですから、ちょっと、あの、花瓶とかはよけるんですけど、でもちょっと危ないじゃないですか。でも楽しいからやろう...やりたいねっていうことでやってたんですけど、しかもなんか、海の夏にやる、海の浜辺でやるスイカ割りよりも、余計ドキドキするんですよ、なんか。狭いし、コケたりとかできないし、なんかその緊迫感が結構好きで、よくやってましたね。うん、楽しかったですね。

・学校のね、行き道にね、ドクバナがあるんですよ、山口。山口っていうか、家からの、その小学校行くまでに、ドクバナがあって、「これさわったら死んじゃうよ」ってすごい友達に言われてて、絶対さわらないようにしてて、1回、、さゆみ、さわったことあって、まあ、生きてるからいいんですけど、すごい必死に手洗ったことがあって。そのドクバナね、東京で見たことないんですよ。ドクバナってなんか、東京で見たことないんですけど、本当、山口には
いっぱい咲いてたんですけど、ピンクの花ですごい見た目可愛いんですけど、中にある、あの、花粉が入ってるところが真っ黒なんです。で、みんながドクバナ、ドクバナって、あの花粉をさわると、なんか、死んじゃうみたいなことみんなが言ってて、すごい気を付けながらそのドクバナの前を通ってたんですよね。懐かしい。

・あの、さゆみ、中学1年生の時、地元、山口県では、テニス部だったんですけど、で、その時に、3年の先輩が、あの、どっか行く時に、まあ、どっか行くっていうか、引退する時に、あの、さゆみ、本当にテニス部辞めたくて、羨ましくて、もう一緒に行きたくて仕方なかったですね。もうなんか、もう、あの、テニス部に入ったのも、スコートはきたくて入ったし、あとは、運動系にお母さんが体が弱いから運動系に入んなさいって言われて、仕方なくもう、テニス部に入った感じだったんで、もう、でも、1番ヘタで、1人だけ、あの、新人戦なのにスコートがはけずじまいで終わったし、なんかもう、さゆみも一緒に引退したくて、だからもう、羨ましくて、なんか「先輩、待って」っていう感じでしたね。「さゆみも連れてって」っていう気持ちでした、その時は。

・実家にいる頃はちっちゃい頃の覚えてない頃の写真を見ても、やっぱ3月3日とかの時期になると、ひな人形の前で撮ってる写真だったりとか、あと、覚えてる限りでは、幼稚園から小学校の高学年いく手前ぐらいまでは毎年ひな人形を飾ってて、なんかきっかけもなく出さなくなったんですけど、あの、うちのは7段?ですね。結構大きくて、でもお姉ちゃんのためにおばあちゃんが買ったらしくて、でまあ、さゆみのっていいうよりはどっちかっていえばお姉ちゃんの的な感じだったんですけど、まあ姉妹で一緒に出してたんですけど、まあ...この、ひな人形を出すにあたって、なんか、すごい...お部屋に出すんですけど、ひな人形のその階段じゃないですか。それをなんかよく分かんないんですけど、そのひな人形を出すにあたって、絵本ですごい後を持ちかかえてたんですよ、その階段を。だからその時期になると、すごい家にある大量の絵本をそこの部屋に持ってって、その時期になると絵本が読めなかったんですよ。その階段を持ちこたえる?...あ、支えるために。だから、その時期、読みたい絵本が読めないっていうのがすごい嫌で、早く片付けてほしかったですね。それをすごい覚えてます。だからたぶん...たぶんなんですけど、金具がたぶんどっか無くなってて、持ちこたえれなくて...持ちこたえるって絶対おかしいですよね?...持ち支えれ...あ、支えれなくて、こう...あの、その絵本で支えてたので、それはちょっとあの...あんまりいい思い出じゃないんですけど、まあみんなで歌とか、ひな祭りの歌とかも幼稚園で歌ったりとかして、楽しかったですね。

・昔、あの、小さい頃に、あの、小さい頃っていっても、もうさゆみとお姉ちゃんは小学生だったんですけど、あの、すごい自分達の妹かのように近所の子ですごい可愛がってる幼稚園生ぐらいの女の子がいたんですけど、で、その子と一緒に、あの、で、親は違うお隣の部屋で、あの、ホテルに泊ってて、で、子供達3人で、あの、ホテルに泊ってたんですよ、旅行しにいった時に。その時、そこがオートロックだったんですね。で、あの、まあさゆみは別にそんなにそれに参加してなかったんですけど、お姉ちゃんがすごい大人ぶってて、なんか、あの、その子に対して、なんか、あの、なんか、夜怖くなったら、あの、私のこと起こしていいからねみたいなことを言ってて、なんか、すごい、じゃあ、でも私も寝るからとか言ってて、あの、もし怖くなって、あの、起こす時の練習をしようとか言ってて、で、ねえ、お姉...起きてみたいな練習をさせてたんですよ、その子に。で、いざその子が寝ちゃったんですね。そして、で、さゆちゃん、ちょっとさ、ジュース買いにいこうみたいな感じで、オートロックなのに、あの、その子1人残しちゃって、ガチャって閉まっちゃったんですよ、鍵を持ってなくて。で、あの、どうしようってなるじゃないですか。で、その当時もちろん携帯とかも持ってないし、携帯電話とか。で、で、その子に練習までさせといたのに、さゆみとお姉ちゃんは仕方なしに隣のお母さん達がいる部屋で寝たんです。本当かわい...でも、その子は無事、次の日、あの、全然、あの、ちゃんとぐっすり、旅行で疲れてたし、起きなかったんですけど、もし起きてたらねえ、本当騙されたと思いますよね。練習までしたのに、あの人達どこ行ったの?と思いますよね。そんなことがありましたね。あとは、あの、まあこれ、お姉ちゃんというかお母さんなんですけど、あの、お母さん、山口にいた時はよく運転を...車の運転をしてたんですけど、あの、鍵を中に入れっぱで鍵を閉めてドアを閉めちゃって、開かなくなって大変だったこととかは、あの、結構しょっちゅうありましたね。覚えてる限りでも3回ぐらいあったので、小さい頃だったので、もっとある気がしますね。なので、お母さんの血を引き継いでるお姉ちゃんは何かしらありそうですね、免許取り中ですし。怖い限りです。

・さゆみ、すっごい今、思い出したんですけど、中学1年生の時とか小学生の時って、携帯電話持ってないから、お家に友達にかける時とかって、あの、「道重ですけど、あの、○○ちゃん...カナちゃんに替ってもらってもいいですか?」って言うのってすごい緊張するじゃないですか。なんか今、それをすっごい思い出しましたね。あの瞬間ってすごい嫌ですよね。なんか、普段、こう、小学生中学生って大人と関わらないじゃないですか、学校の先生ぐらいしか。なので、あの、友達の親と電話出たりされるっていうのがすごい緊張してましたね、はい。

・このペンギン村は、さゆみもよく「Dr.スランプ」を見てて、「あ、ペンギン村ってあそこのペンギン村と名前一緒だ」と思ってたんですけど、よくそこのペンギン村には友達が...小学校1年生の時の友達が、あの、ペンギン村の近くに住んでて、だからよくペンギン村には遊びにいったりとかしてて、で、あの、ペンギン村の近くに海があるんで、よくそこで花火とかもしてて、で、あの、そこ、ペンギン村でやった花火が、あの、ねずみ花火ってあるじゃないですか。ねずみ花火ってこう...あの、投げたら、なんか、なぜか人間についてくるじゃないですか。それがすごい面白くてずーっとやってたんですよ。で、そのねずみ花火を、ちょっと危ない遊びなんですけど、そのねずみ花火を海に投げたらどうなるのかっていうことを、お姉ちゃんと一緒にやったんですよ。で、ねずみ花火を、火点けて、シャーって海の中に飛ばしたら、海の中に一瞬入ったのに、戻ってきたんですよ。これ本当にすごくないですか?沈むと思うじゃないですか。でも、戻ってきて、めっちゃめちゃ怖かったんです。シューって戻ってきて、こわってなって、めっちゃ、あの、大騒ぎしたんですけど。まあ、そんな、ペンギン村には楽しい思い出があります。

・恥ずかしかったのは、あの、学校で初めて0点を取った時ですね。めっちゃめちゃ恥ずかしいんですよ。こうやってよくマンガとかテレビって普通に0点ってあるじゃないですか。でも、実際0点って逆に難しいと思うんですよ。算数です。しかも算数、一番得意なんですよ。本当にショックで。なんか、あの、まあ、しかも、あの、確かに算...今回のテスト難しいなって言って、手ごたえが無かったんですよ。でも、まさか0点っていう、しかも真面目に取り組んで0点だから、本当に恥ずかしくて、それでやっぱ小学生の時だったから、こう、なんか、男の子とかって0点の子がいたらやっぱ茶化すじゃないですか。で、もう本当に見られたくなくて、めちゃめちゃ必死に隠してましたね。でも、あの、そういうテストとかって直して、また100点になるまで、先生に出しにいかなきゃいけないじゃないですか、何回も。で、もう、その100点になるまでがすごい時間かかって、もうそれは本当に真剣に恥ずかしい思い出ですね。しかも、まだ小学生の頃って、さゆみ、結構まだ、あの、ダンゴムシしか友達がいないぐらい内気だったんで、こう、なんか、はじけて「0点取っちゃった」って言えるような、なんか、キャラでもなかったんで、本当にあれほどさゆみはもうなんかもう帰りたいと思ったことはなかったですね。

・あの、お姉ちゃん、ウサギ年で可愛いんですよ。で、お母さんもイヌ年で可愛くて、よく昔、「私、イヌで可愛いでしょ」って言ってて、で、お姉ちゃんも「ウサギ可愛いでしょう」とか言ってて、「さゆちゃん、何年?」っていっつも言われてて、さゆみ、ヘビなんですね。で、「ヘビ年だよ」とかちっちゃい頃言ってて、よくそれで泣いてました。「2人可愛いのになんでさゆみだけ可愛くないの」とか言ってて。でも、そういう干支って、なんか、三代続いたらいいっていうじゃないですか。三代続いたらなんか、その三代目がすごい幸せになれるっていう言い伝え?儀式みたいなのがあるらしくて、で、なんかさゆみ、ヘビ年なんですけど、お父さんヘビ年で、お父さんのお祖母ちゃん?あ、お父さんのお母さん、さゆみでいうお祖母ちゃんがヘビ年なんですよ。で、三代続いてヘビ年なんですね。だから、さゆみ、いまここにいるのかなって思うのと、ヘビってお金持ちになれるっていうイメージじゃないですか。だからさゆみ、ガッポンガッポン稼ごうと思って。そんな感じ、そんなイメージなんですよね。だから、あの、そのヘビ年で三代目だから、ちょっとさゆみ、それは誇りですね。

・中学1年生の時になって、やっぱ、あの、新しい中学校に進入したので、あの、自己紹介をしようってなるじゃないですか、学校のクラスで。で、そうなってくると、出席番号順1人ずつ挨拶してくじゃないですか。で、こう、私は山口県で小学校から中学校に上がる時に、小学校からの、あの、お友達が、あの、3、4人ぐらいしか、その中学校に進級しなかったんですよ。だから、全然ほとんど新しい友達ば...友達っていうか、新しい人達ばっかりで、みんな、さゆみのこと全然知らない人達だったんで、ここでいっちょうなんかインパクトあること言わないと、絶対覚えてもらえないし、あの、友達も作れないし、中学校生活満喫できないと思ったんで、何か面白いことを言わなきゃってなったんですよ。なんかその当時からさゆみ、そういうこと思ってて、で、なんか、こう、あの、引っかかるようなことを言おうと思って、中学1年生の時に。で、こう、出席番号順回ってきて、結構、まあ、道重の「み」なので、最後の方で、で、すごい緊張してて、前の人が終わるまで。で、こう、ね、さゆみの番になって、席立って、まあ、声はちっちゃめなんですけど、あの、「○○小学校から来ました、道重さゆみです」って言って、で、なんか...なんか一言付け加えなきゃいけなかったんですね、全員。で、さゆみは、「最近ハマってるお笑い芸人さんはあばれヌンチャクさんです」って言ったんですよ。しかも、それも、あばれヌンチャクさんて、あの、いまたぶん解散しちゃってていない、あの、お笑い芸人さんなんですけど、その当時、さゆみ、すごい好きで、あばれヌンチャクさんが。で、あの、でも、そんなに知られてなかったんですよ。で、だからたぶんいま、このうさちゃんピース聴いてくれてる人も、「え?誰?」って思ってる方もいらっしゃると思うんですけど、あの、まあ、男の人2人組のコンビのお笑い芸人さんだったんですけど、すっごい好きで、とりあえず、さゆみ。もうめっちゃ好きだったんですよ。で、いっつもその、あの、映像とかビデオで録って、あばれヌンチャクさんが出てるテレビとか。で、いっつも見てたんですね。で、だから、自分の中ではめちゃめちゃ有名なんですよ。見てたから、何回も。だからみんな知ってると思って。で、あばれヌンチャクさんてすごい面白かったから、さゆみの中で。だから、そのことを言ったらみんなも絶対笑ってくれると思って、あの、結構自信満々に、あの、「最近ハマってる芸人さんは」みたいな感じで言ったんですよ。そしたら、まあ、いま考えれば全然、理由分かるんですけど、スッコーンだったんですね。恥ずかしくて。もう...あ、たぶんあばれヌンチャクさんって、桜塚やっくんさん?なんですよ、元。あ、元じゃない。元あばれヌンチャクさんが桜塚...桜塚やっくんさんなんですね。で、もう...でも、本当そういう苦い思い出があるので、あの、これから自己紹介する方は、逆に当り障りないことから言った方がいいと思います。本当そう思います。あともう1人、さゆみが一番仲いい友達になったんですけど、その後、結局、結果。でもなんか、その子もちょっと変わってて、そこの、あの、自己紹介の時に、あの、「将来結婚したい人は長嶋監督です」って言った人がいて、もう本当面白いんですけど、でも、その時もスコーンだったんですよ。で、さゆみは、「あ、この人と仲よくなりたい」と思ったんですけど、でも、やっぱ、そういう新しい状況の時って、キャッハッハって笑えないじゃないですか。なので、あの、最初は当り障りのないことを言うことをさゆみはおすすめしますね。

小学校6年生の時に、私、なんか、人生ってこう、ツイてない時期ってあるじゃないですか、時期的にね。で、さゆみって、小学生の時って、すごい、男の人としゃべれなかったんですよ。なんか、怖くて、男の人っていうものが。で、なんか、なのに、が...小学校の時って、担任の先生に全部教科を習うじゃないですか。中学生に上がると、教科ごとに先生が違うんですけど、で、小学生のうちって、そういう、あの、担任の先生に全部教科を習うんですけど、結構男の先生の担任が多かったので、「これ分かる人」って言われても、「道重」って男の人に言われるのがすごい怖くて、手挙げれなかったので、なんで、さゆみ、女の先生じゃないんだろうって思うくらい、ツイてないなって思ってて、で、そんな中、小学校6年生の時も男の先生で、で、なんか、あの、人間のお友達もあんまいなくて、ダンゴムシとかと仲よくて、で、なんか、あの、そんな中、本当になんか小学校6年生の時って、ツイてない時期だったんですよ。一番仲いい、あの、人間のお友達ともクラスが違ったりして、本当に一人だったりとかしてて、本当になんか楽しくなくて、で、そんな中、あの、昼休みに一人で、あの、ブランコに乗ってたらですね、あの、サッカーボールがコロコロコロって転がってきて、で、結構、ブランコとは程遠い所にいったんですけど、自分が一番サッカーボールと近くて、で、男の子に、あの、「サッカーボール取って」って言われて、で、「はぁー」と思って、「さゆみが一番近いわ」と思って、取りに行ったら、そこにですね、鳥のフンがサッカーボールにめちゃめちゃ付いてて、でも、まあ、パッて取ったらすごい付いてて、手にも付いて、「うわー気持ち悪い」と思ったんですけど、そういう気持ち悪いという言葉とかも発せなかったので、もうそのまんま、「ハイ」と思って、あの、もうありったけの力で投げたんですけど、全然届かずみたいな感じで、で、もうそういうことがあって、本当に、本当に小学校6年生ってツイてなかったんですよ。で、その鳥のフン触っちゃったし、で、あの、中学受験もして、小6の時に、それで落ちちゃったりとか、で、小6の時、本当ツイてない時期で、でも、中学校1年生からすごいなんか、ツキが回ってきて、その分。お友達もたくさんできたし、モーニング娘。も受かったし、だからそのツイてない時期があってよかったなとはいま思えるんですけど、もうその時は結構悲惨でしたね、いま思っても。うーん、はい。でも、それがあるからいまがあると思えば、はい、よかったと思います。

・昔、お父さんと卓球したことあって、すごい面白かったんですよ。

・幼稚園生ぐらいまでは、(歯磨きの)仕上げはやっぱ、お母さんにやってもらってましたね。うーん。みんなそうなんですよ、きっとお母さんとかお父さんがやってくれたりとかして、でもなんか、あの、お母さんがやるの、さゆみ、あんま好きじゃなくて、強いから痛くて、それがあんま好きじゃなくて、結構自分でやりたがってたんですけど、自分でやると、ぬかり無...くできなくなっちゃうんで、あの、汚くなっちゃうんで、お母さんによく、されてましたね。

・あのね、迷子はやっぱちっちゃい頃とかはよくあるんですけど、でも、一番さゆみが、あの、覚えてる迷子は、お母さんと二人で、一緒にいて、で、お母さんと二人で車の停めた場所が分かんなくなっちゃって、もうそれはそれは歩き回りましたね。もう迷子ですよ、本当に。広い駐車場で、絶対ここの駐車場に停めてるってことは分かるんですけど、どこに車を停めたのかさっぱり覚えてなくて、で、あの、それからはちゃんともうなんか、番号とかでしっかり、あの、お母さんが覚えるようにしてるんですけど、もうあの時は疲れましたね。覚えてるぐらいだから、結構もう小学性ぐらいだったのかな。でも、本当に、もう本当にここ、車取られたんじゃないかっていうぐらい、もう何回もいろんな所行き来してるのに見つからなくて、で、結局、まあちゃんとあったんですけど、なんだ、全然こんな所にあったんだねっていうような普通の所に停めてあって、で、それ見過ごしてただけだったんですけど、もうあの時の、まあ二人しての迷子は、心細いわけじゃないんだけど、すごい辛かったですね。歩き回らなきゃいけなかったんで。

・まあこれは、まあ、ちっちゃい頃の話なので、仕方ないとは思うんですけど、お姉ちゃんが1回家出したことがあるんですよ。普通に家出がしたくて家出がしたか...したんですよ。あの、よくある、こうなんか、テレビドラマとかで家出ってあるじゃないですか。で、そういうのってなんとなく憧れるじゃないですか、小学生ぐらいの頃って。だから、「家出してくる」って言って、家出しにいったんですよ、お姉ちゃんが。で、お母さんも、「うん。行ってらっしゃい」みたいな感じで、で、お姉ちゃん、家出しにいったんですね。そしたら、あの、「家出、どこしにいくの?」ってお母さん言ってたら、「おばあちゃん家」って言ってて、で、おばあちゃん家に家出しにいったんですけど、あの、普段やっぱ車で連れてってもらうじゃないですか。そうすると、近いっていうイメージなんですよ、子供からしたら。でも、子供の足で行くとかなり時間かかるんですね。で、すごい疲れて、あの、もうお姉ちゃん...で、後から、あの、お母さんが見に行ってたんですよ、ずっと。で、あの、お姉ちゃんが途中で泣きじゃくってたらしくて、で、あの、おんぶって言って、お母さんがおんぶして、おばあちゃん家まで連れてってたらしくて、うーん、それはすごい、あの、大きくなってからさゆみはその話聞いたんですけど、すごい面白かったですね。家出じゃないじゃんって思いましたね。でもちょっと可愛いなって感じました。

・あの、小学校4年生の時に、でもさゆみ、スイミングを幼稚園生まで習ってて、25メートル泳げたんですよ。幼稚園生の時。なのに、小4の時に...で、小学校3年生ぐらいまではそういうクロールとかしなくてただの遊びだったんですよ。プールの時間がね、授業で。でも小4からちゃんと25メートルとか計るようになって、初めて計った時に、3メートルだったんですよ。で、本当に、で、その、あの、それを夏休み前にそういうのをさせられて、で、えーとね、10メートル以下の子とかは、あの、夏休みに、あの、わざわざ遊びにとかじゃなくて、授業として学校に行かなきゃいけなかったんですよ。で、先生に教えてもらうんですよ。でも、あの、全然泳げない子達が、なんか、集う会みたいなのがあって、で、その会に行って、さゆみは、で、あの、あまりにも、その会の中でも一番泳げなかったんですね、さゆみ。なんで、みんなは先生対生徒が5人とかで、なんか結構個人指導みたいなのさせてもらってるんですけど、さゆみはマンツーマンで教えてもらって、あれ...でも、それでさゆみはその夏休み中に、小4の夏休み中に15メートルぐらいまで泳げるようになったんです。あれは感動しましたね。もう、だからその先生にもすごい感謝してるし、で、その先生のことさゆみ、すごい大好きで、なんか、あの、すごい若くてきれいな女の先生で、で、なんか、あの、学校の先生ってなると真面目なイメージなんですけど、結構キャピキャピした先生だったんで、一緒になってキャッキャしながら、遊びながら、あの、水泳教えてもらってて、すごい楽しかったので、それはよく覚えてますね。

・本当に粉薬が飲めなくて、もう、あの、もう錠剤に限るんですけど、さゆみの薬の摂取の仕方は。でも、あの、本当に粉薬がタダメだから。でも、昔ね、さゆみ、小学校じゃなくて幼稚園生ぐらいの時に、あの、やっぱ病院とか行くと、粉薬をもらうじゃないですか。で、いまだからこそ大人になったから、こう錠剤が飲めるけど、逆にその頃、錠剤も飲めなくて、あの、そのおっきい玉をこうやってゴックンするのが出来なくて、あの、粉薬をもらうんですけど、その粉薬が本当に飲めないんですよ。飲んだら吐いちゃうんですね、気持ち悪くて。だから、お母さんが、もう、で、お水に溶かして飲むんですけど、やっぱり、あの、もう薬だ薬だって思うから、不味いって思うから、もう絶対もどしちゃってて、で、だから、薬が体に入んないから、全然効かないんですね。だからね、お母さんが一生懸命考えて、あの、アイスクリームと一緒にその粉薬を食べさせてたんですよ、さゆみに。で、その時は、こう、バニラアイスと思って食べてるから食べれるんですけど、だから久しぶりにバニラアイスとかを食べると、もう粉薬の味しかしなくて、だからさゆみ、バニラアイスオンリーでは食べれないんですよ、いまだに。だから、特に、あの、お店とかで出てきてパフェとかでクリームとかチョコレートソースがかかってるとかなら、全然大丈夫なんですけど、あの、その時に食べてた、本当にカップのバニラアイスだったんですけど、そのカップのバニラアイスを見ると、そのパッケージだけでもちょっと、「うわー、ちょっと気持ち悪い」ってなるくらい、あの、ちょっとトラウマなので、粉薬は家の道重姉妹は本当に苦手ですね。

・私の夏休みの思い出といえば、あの、道重家では、毎年、あの、さゆみが小学校とかぐらいの時は、絶対に、あの、海とか川に必ず行ったんですよ。
で、あの、そこで、まあもちろん泳いだりとか、あの、水の上で浮いたりっていうのはもちろんなんですけど、絶対する行事があって、それは、あの、お菓子食い競争っていうのをするんですよ、道重家では。
あの、よくあるパン食い競争ってあるじゃないですか、あの、障害物競争とかで。で、それを、パンじゃなくて、あの、紙袋とかに入っているお菓子とかの、なんか、あの、ジャガイモをスライスしたやつとか?そういうのとかを、あの、お母さんとかお父さんが買っといてくれて、で、それを、なんか洗濯バサミみたいなのとかに挟んで、で、両側持ってくれて、で、あの、まあ、人数分あって、それを、あの、口で取るっていうゲームを毎年、あの、砂浜でするのがすごい好きだったんですけど、
あと、川とかに行くと、あの、スイカを丸ごと持ってって、川の冷たさで冷やしといて、で、お昼ごはんとか終わったら、あの、みんなでスイカ割りして、で、それをみんなで食べたりとか、もう本当に夏休みといえば、その、なんか家族での思い出がたくさんあるんですけど、でも、1つすごい、まあ嫌な思い出っていうわけでもないんですけど、あの、夏休みって、まあ土日とかが被らなければだいたい7月20日の海の日からじゃないですか。
で、あの、7月20日の、その、あの、夏休みの初日に、みんなで海に遊びにいったんですよ。
で、あの、さゆみのお家から車で2、3時間プラス船に1時間っていう所の海に、えーと、その時はお兄ちゃんが受験生かなんかで、たぶんお兄ちゃんは行かなくて、お父さん、お母さん、さゆみ、お姉ちゃんで行ったんですけど、お姉ちゃんが...行った瞬間に、楽しくて、わーって遊ぼうってなって、海に入ったんですけど、あの、全然、超ちっちゃい、あの、波に飲まれちゃって、そこで骨折ったんですよ、右手を。右手?そう、右手だ。違う、左手だ。左手、左手を骨折っちゃって、で、もうすごいワンワン泣いて、で、もう、行ったすぐそこから、すぐ帰って、でも、あの、船がなかなか来ないっていって、だから、そこの、あの、1時間分の船を、なんか、すごいそこの、あの、海の人とかに言ったら、なんか、でも、救急車がここの辺には無いので、あの、パトカーを呼びますって言って、パトカーで、なんかそこの、あの、船の所に連れてってくれて、で、そこから、あの、もうすぐ海とかで遊ばずに、もう自分のお家に帰って、病院に行ったらやっぱり骨が折れてますって言われて、あの、ギブスして、で、手術もするほど結構大変な、あの、ケガだったんですけど、で、ギブスが外れたのが8月31日なんです。
だから、夏休みの初日に、あの、骨折って、もう最終日までずーっと夏の暑い中、ギブスしてて、で、31日にギブス取れたから、学校とかではみんなお姉ちゃん普通に元気に、あの、過ごしたって思われる、なんか、一番最悪なパターンで、あの、だから、その年はお姉ちゃんのおかげで、さゆみもあんまり海とかに行けなかったので、ちょっと残念な夏休みの思い出もあります。

・アリといえば、さゆみ、あの、やっぱ小学生の頃、虫が好きで、ダンゴムシと友達だったぐらいなんで、アリも結構好きだったんですね。で、さゆみ、小学校の頃の好きだった遊びが、あの、台所から砂糖を、あの、持ち出して、その砂糖を、あの、玄...玄関っていうか、まあ、外出ての玄関?お家から出て...の玄関に、あの、チョコンと置いといたら、アリの行列がどっからか出来るんですよ。で、そのアリの行列の元の、その、巣まで、あの、行くの...見にいくのがすごい好きで、そういう趣味があったんですよね、アリといえば。だから、なんか、不思議なんですよね。その、モーニング娘。になってからっていうか、中学1年生の時に、本当に性格がコロって変わってから、全く興味無いんですよ。だから昔、アリの本とかもすごい好きで、あの、アリとか飼いたいって思ってたんですよ。なんか、飼えるやつあるじゃないですか、瓶とかに入れて。横から見たら、その、アリの巣とかが見えるやつ。あれとかすごいやりたいと思ってたんですけど、今じゃ絶対やりたくないと思うんですね。もうね、すごい、どこで変わったのか本当、不思議なんですけど、なんかそういう、はい、思い出がありますね。

・さゆみ、部活のことを思い出したんですけど、夏休みの部活、本当に嫌いで、さゆみ、あの、中学1年生の時に、テニス部だったんですけど、あの、まず日焼けがしたくなかったんですよ。
でも、テニス部って外じゃないですか。だから、もう、とりあえずお家ですんごい日焼け止めを塗っていくんですけど、日焼け止めって2、3時間でぐ切れるんですよ。最近のはもうちょっと持つかもしれないんですけど、その中学1年生の時は、2、3時間がもう一番長く持つぐらいだったんで、もう途中で塗りたくて、でも、一番後輩だったから、そういうのもできなくて、ずっとボール拾いとかやってたんですけど、
で、あの、さゆみ、自転車通学だったんですけど、あの、お家から学校まで自転車で40分ぐらいかかるんですよ。で、そこの間にとりあえず、まあ、あの、部活以外で日焼けしたくないから、長袖長ズボンで行ってたんですよ、学校まで。
もうそこですごい汗だくで、もう本当に疲れて、で、ヘルメットもかぶってるから、顔もすごい蒸れてて、とにかく汗かいて、でも本当に、あの、その...そのツラさよりも、あの、そ...な...なんていうんですか、日焼けをしたくなの方が勝ってたんで、一生懸命でしたね。
もう本当に必死で、で、それを思い出したので、ちょっと憂鬱な気分になりました。でも、だから、その中学1年生の時に、モーニング娘。になって、あの、中学2年生の時に、夏休みの時に、部活が無かったので、すごい嬉しかったのを覚えてるんですよね。中学1年生の時に、あの、中学3年生の人が卒業するじゃないですか。すっごい羨ましくて、もう本当に辞めたかったんですよ。
で、なんでさゆみ、あんなにも辞めたかったのにテニス部にいたんだろうって、不思議なくらいなんですけど、でも、その、スコートがはきたいっていう気分...気持ちがあったので頑張れたとは思うんですけど、結局、新人戦でも1人だけはけずな感じで終わったので、もう本当に切ないんですけど、まあその新人戦も、あの、やっぱ試合に出れる子だけがはけるんで、本当にね、奇数だったんで1人だけ出れなかったんで、なんか切ない思い出ですよね。

・あの、こういうプッチンできるプリンは、さゆみ達は、混ぜたくなる派なんです、グッチャグチャに。
あの、幼稚園生の頃からそうなんですけど、あの、プリンあるじゃないですか、あれは、あの、混ぜるとよりおいしいんですよ。下のカラメルを...だって、後からカラメルが出てくるじゃないですか。そしたら後が苦くなるじゃないですか。だからはじめっから調和させたいんですよ、味を。だから、はじめっからグチャグチャグチャーってして、まあ、見た目はよろしくないんですけど、味は一番あれがおいしいです。すごいおススメです。
でも、あれが給食に出た時に、それができないのがすごいもどかしいんですよね。なんか、自分を貫けないところがそこらへんにあると思いますね。

・さゆみの秋といえばは、あの、秋の大運動会っていうイメージが強いんですけど、あの、東京に来てからは、春とかに運動会があったんですけど、あの、やっぱ山口時代はいっつも毎年秋の大運動会だったんですけど、もう、さゆみ、運動が...まあ、知ってる方はいると思うんですけど、苦手なので、夏休みの前から運動会があることが憂鬱で仕方ないんですよ、毎年。で、もう夏休み中も、あの、夏休みを満喫したいっていう気持ちと、どっかでこの夏休みが終わったら運動会が来るっていうので、すっごい嫌で、で、もう、あの、徒競争とか障害物競争とか1人でやる科目が本当に嫌いで、玉入れとか、あの、大玉とか応援とかならいいんですけど、あの、1人で、あの、なんか、注目浴びるっていうのが、別に自分が思ってるほど周りは誰も見てないと思うんですけど、見られてる感じがして、もうすごい嫌だったんですけど、
それにプラス、運動会の嫌なところって、こう、家族が見に来るじゃないですか。で、それはすごく嬉しいんですけど、お母さんとかが、またこれ張り切って、あの、目の前を陣取って、徒競争とかになると、もう周りとか関係なく、「さゆちゃ~ん」って言って、すっごい聞こえるんですよ。それがまたすごい恥ずかしくて、だからね、運動会はいい思い出がなくて、なんで、あの、1番に秋といえば、その嫌な嫌な運動会を思い出しますね。

« こんうさピーSHUFFLE#212 | トップページ | 【復刻版】道重さゆみのお姉ちゃん傑作選。 »

道重さゆみ」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1436748/40865646

この記事へのトラックバック一覧です: 【復刻版】道重さゆみちゃんの山口県時代の思い出をまとめてみたよ。:

« こんうさピーSHUFFLE#212 | トップページ | 【復刻版】道重さゆみのお姉ちゃん傑作選。 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ