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2011年10月

2011年10月28日 (金)

Sayuminglandoll。

道重さゆみの写真集「Sayuminglandoll」については、発売前よりこれまでとはかなり異なった内容になっていると言われていた。ブログで発表されたいくつかの断片や、ラジオ「今夜もうさちゃんピース」においてサイズがこれまでのものよりも小さいと話されていたこと、また先行公開されたいくつかのカットが、いわゆるアイドルヲタク的な方々にあまり良く受け留められていないような様子もあり、これはいよいよ期待できるなと思った。

道重さゆみの面白さが存分に発揮されるのはラジオやブログやバラエティー番組といった、ハロプロだとかモーニング娘。だとかの枠を越えている場合のことが多く、ラジオやブログにしても、ハロプロだとかモーニング娘。の内輪の内容にになった途端、一気にあまり面白くなくなる。ハロプロやモーニン娘。のファンにはそっちの方が面白いと思う。

これまでに発売された写真集やDVDも一通り買っては見てきたが、いずれもいわゆる普通のアイドル写真集、他のハロプロやモーニング娘。の写真集やDVDと同じようなやり方で制作されているように思えた。そこに、道重さゆみの人間としての魅力、面白さはあまり反映されていなかったように思う。もちろん写真屋動いている姿が見られるだけでもじゅうぶん楽しいのだが、道重さゆみを素材とするならばもっと魅力的で面白いものがつくれるのではないかという思いはずっとあった。

アイドルファンにもいろいろなタイプがいるとは思うのだが、たとえばインターネット掲示板のファンスレッドなどを見ていると、アイドルを擬似恋愛の対象や性的欲求の捌け口として見ている人たちが少なくはないのだという印象を受ける。たとえばアイドルが恋愛するのは是か非かというような議論になると、他人の女を応援して何が楽しいというような意見が正論のようにまかり通ったり、勝手に処女だとかレズビアンだとかいうイメージを付けて、気持ち悪く盛り上がっていたりする。恋愛をして女性として人間として成長していく姿を見たいし、その方が本人のためにも幸せなのではないかというような意見は、完全に異端視される。アイドルとはそのようなものらしく、そうであるならば、私はアイドルファンなどでは断じてないのだと自信を持って言える。

道重さゆみは昨年の二月からGREEでブログをはじめたが、自宅での私服や素顔の写真を載せたり、かなり濃いめの文章などが魅力で評判は上々であった。しかし、これが元々黒髪色白美少女キャラクターで処女性がウリのようなところがあった道重さゆみの一部ヲタクの気持ち悪さをさらに加速させたようなところもあったように思える。かつてラジオ番組を毎週テキスト起こしするほどのエネルギーを有していた私だが、この辺から一部盲目的道重さゆみヲタクのこういった薄気味悪いノリや、凋落するハロプロを尻目にメガヒットを連発するAKB48への嫉妬混じりの執拗な悪口に辟易し、次第に離れるようになっていった。

しかし、これは快作である。道重さゆみとは革命児であり、そこが最高に魅力的なのだ。

明石家さんまらの「ヤングタウン土曜日」に出演してセクシーなセリフを言ったり下ネタに反応したり、道重さゆみ本人がそれまでの殻を打ち破って前へ進もうとしていた時に、清純派のイメージが崩れると降板を希望していた一部のファンがいた。また、「ロンドンハーツ」でいわゆる毒舌ナルシストキャラを試行錯誤し、精神的にボロボロになりながらも貫き通していた時に、同じくアイドルでありアーティストであるモーニング娘。の道重さゆみがそんな汚れ仕事をする必要がないと主張する一部のファンもいた。しかし、私にとってはこういうところがまさに道重さゆみの魅力であったのだ。

そもそも山口県の田舎で友達がダンゴムシしかいないようなおとなしくて内気な、本人いわくぱっとしない小学生だった道重さゆみが、当時国民的アイドルグループだったモーニング娘。に入り、芸能界デビューすること自体が、笑ってしまうぐらいに愉快痛快なことであった。「ヤングタウン土曜日」でのさんまとの絡みだとか「ロンドンハーツ」での毒舌ナルシストキャラなどは、このありえないことが起きてしまう痛快さの続きなのではないかと思える。

だから、モーニング娘。元リーダーの高橋愛を無条件に肯定したり後輩のスマイレージとかを可愛い可愛い言っていたり、ハロプロやモーニング娘。の内輪のヲタクが喜ぶようなことを言ったり書いたりしているのは、予定調和すぎて全然面白くない。この一年半ぐらいそのように感じることが多く、私の中の道重さゆみが色褪せてきていたのは事実である。

しかし、この作品は素晴らしい。

ハロプロタレントの写真集とは思えないぐらいポップでキュートな表紙を書店で見つけた瞬間、かなり良い予感がした。いつもはアイドルの写真集など買うのが恥ずかしくて仕方がなく、ひじょうに緊張を強いられるのだが、これはもう堂々と誇らしげにレジに持っていけた。いわゆるアイドルヲタクとはおそらくアイドルに擬似恋愛的な感情を抱いていたり性欲の捌け口として見ていると思われている可能性が高い訳で、アイドルの写真集をレジに持っていくだけでそういう種類の人間と見倣されるのではないかという、自意識過剰なストレスが生じるのだが、これなら単にポップでキュートなものが好きなんだと思われるだけなので、問題はない。というか、むしろ大いにそんなふうに思ってほしい。

そんな表紙をめくると、いきなり金髪ウィッグである。素晴らしい。黒髪色白処女性重視のヲタク層が多いと思われる道重さゆみだが、こんなことをして大丈夫なのだろうか。いや、痛快である。道重さゆみにとっての黒髪とは、かつてのボブ・ディランにおけるフォーク・ギターのようなものであり、初めてステージでエレキ・ギターを演奏した時は、保守的な古参ファンからユダ(裏切り者)呼ばわりされたものである。しかし、ボブ・ディランの人気がより一般化、大衆化し、キャリアのピークを迎えるのは、ユダ(裏切り者)呼ばわりされながらもエレキ・ギターを持った後であった。

この作品の制作にあたっては、道重さゆみ本人が打ち合わせの段階から参加し、様々なアイディアを出したのだという。また、かなりこだわりを持って撮影に参加したとも、ブログで書かれている。ここにはただの被写体としてのみではなく、表現者としての道重さゆみがいるのだ。

アメリカン・ポップな部屋の中で水着など、ひじょうに楽しげである。それでいて、健康的なセクシー要素もある。

一転して、60’s風の衣装で犬を散歩させたり部屋の掃除をしたり電話や料理をしたりというセクションがあるのだが、ここも表情がそれぞれ工夫されていて、ひじょうに魅力的である。

そして、不思議の国のアリスのようなファンタジーの世界、それもアイドルヲタクが妄想するような幼女性愛的な薄気味の悪いものでは全くなくて、ちょっとした毒を含んだ刺激的なテイストだ。

真っ白い天使になったかと思えば、次はお馴染みの黒髪美少女路線。これも洋書や蓄音機や古時計といった小物たちが、不思議な世界観を演出し、一筋縄ではいかないのである。どこか不安定な心地よいノイズである。

最後は水着でピンクのお風呂である。セクシー要素もあるのだが、アイドルのグラビアにありがちな視られる対象としての客体ではなく、表現者たる主体として、視るものを刺激する意図が伝わってくる。

道重さゆみを擬似恋愛の対象とも性欲の捌け口とも見ていないわけだが、やはり道重さゆみが写っている写真集なりDVDならば買っていたのだ。しかし、そこに道重さゆみの表現はさほど感じられず、よって、ラジオやブログ、バラエティー番組といったおカネをつかわずに楽しめるメディア以上の満足を得られずにいた。しかし、この「Sayuminglandoll」は素晴らしい。道重さゆみの魅力、面白さをじゅうぶんに表現する作品があるとするならば、それはおそらく言葉が主体のものなのではないかと思っていたのだが、ビジュアルのみでこんなにも魅力的で面白い作品ができるとは思ってもいなかった。道重さゆみ、怖るべしである。


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2011年10月16日 (日)

ブログ欲。

電車移動の時間があったので、iPhoneで道重さゆみのブログをまとめて読んだ。約一週間分を10分間程度で読み終えることが出来たが、それでもとてもポジティヴな気持ちになれた。

ラジオで共演したダイノジに頑張ってと言われたので頑張ろうと思ったということなどは、いかにも普通のありふれた内容なのだが、こういうことをちゃんと書くという部分に、贅肉を削ぎ落とした、等身大かつ真っ当であろうとする現在の道重さゆみの正しい強さをビシビシと感じるのだ。

道重さゆみはダイノジが「爆笑オンエアバトル」に出ていた頃によく見ていたということも書いているが、そういえば中学校に入学したばかりの自己紹介にて、「好きなお笑い芸人はあばてヌンチャク」などとマイナーなコンビ名を出し、教室が微妙な空気になったというほのぼのエピソードもあった。

最近は2700がお気に入りのようだが、少し前のブログを見ると、「キングオブコント」でやっていた「右ひじ左ひじ交互に見て」だけではなく、「このダンスをする」のポーズもやっていて感激した。いつか2700の音楽ネタを作詞作曲している八十島との同郷人共演が実現すると良いのだが。

道重さゆみがGREEでブログを始めたのは2010年2月だが、その前からずっとやりたいやりたいやりたいと言い続けていた。いま一番やりたい仕事はブログとすら言っていたこともあった。

スタートしてからしばらくの道重さゆみのブログの勢いはすさまじく、元々文章を書くことが好きで話の構成力があることはファンならば分かっていたので、ある程度の期待はしていたのだが、そのさらに遥か斜め上を行くほどの充実ぶりであった。

アクセス数も凄まじく、GREEのランキングトップを独走していた時期もあった。ファンは大喜びし、道重さゆみ本人もそのファンのリアルタイムでの反応が嬉しくも楽しく、どんどんブログにハマっていく。

そのうち読者に必要以上に媚びたり釣っているような記事に対する不満が一部に出てきたり、道重さゆみだけが見たいのに高橋愛とか亀井絵里とか出てきすぎるのが気に入らないという私のようなきわめて特殊な意見もあるにはあったが、概ねは好評であった。

モーニング娘。で初めてブログをやったのは道重さゆにであり、やりたいやりたいやりたいとずっと言い続けてきて、やっとやることが出来た。それゆえに思い入れも強い。しかし、その後、他のメンバーが次々といとも簡単にというぐらいの雰囲気でブログを始め、それについて複雑な思いがあったり、ブログに必死になり過ぎるがゆえに疎かになることも出てきて、それを親友の亀井絵里から指摘され、その感動エピソードを「今夜もうさちゃんピース」で話していたりもした。

道重さゆみがなぜそんなにもブログがやりたかったのかというと、自分にはそれまでの歌やテレビやグラビアの仕事では発揮しきれていない内面的な魅力があり、それを表現したいという欲求が強かったためだろうと思える。

ブログは芸能人や著名人だけではなく、一般の会社員や学生や主婦や無職の人なども多数やっているが、そのほとんどが不特定多数へ向けて公開されている。

その昔、不特定多数に自分の文章を読んでもらおうと思えばその道のプロになるか投稿して採用されるぐらいしか無かった訳だが、それに比べると今は随分と簡単になった。人の内面にある表現欲求が容易く満たされてしまう。

インターネットを彷徨っていると、 自分の内面の表現のみならず、外見や裸体などを不特定多数に向けて公開している一般人というのも見かけたりする。

日常の生活や仕事の現場おいて、自分自身が完全に表現し切れている実感があれば、何もこんなことをする必要も無い。

リアルな現実における特定少数との関係において、満足が得られていないからこそ、不特定多数からの評価を必要とし、その為の表現欲求というのが生まれるのではないか。

このような表現は多くの場合、きわめて自己撞着的である。理由が私のことを分かって、もっと見て的なものに他ならないからだ。

しかし、ある程度このような場を得て、ある一定のレベルの表現欲求が満たされた場合、次にはそれを経たがゆえの、より本質的かつ特定少数に対しての活動にシフトしていくのではないだろうか。

道重さゆみがブログを始めた頃にあった自己撞着的な表現欲求は、ある程度満たされたのではないだろうか。場さえあればあんなこともこんなことも出来るしやりたいと無限にも思えていた可能性は、ブログの開始や数年前ならば考えられなかったバラエティー番組への単体出演によって、ある程度は実現し、また、現時点における限界にも気がついたと思える。

ならばここからどうすべきか、どういうものを目指すべきか、そのような真摯な葛藤を妄想しつつ、淡白でつまらなくなったと言われることも少くない現在の道重さゆみのブログを読むと、そこに次のフェイズへと進化しつつある未来への胎動を感じずにはいられない。

道重さゆみとは総合芸術であり、ブログはそれを構成する要素の一つに過ぎない。現段階におけるそのウェイトを考えた場合、現在のあり方はじつに丁度いいと思える。

2011年10月11日 (火)

スタジオ・ロマンチスト。

今日も電車で約十八分間の移動時間があったので、その間、昨日途中までとなった「今夜もうさちゃんピース」の続きを聴いた。

お姉ちゃんとまだ一緒に暮らしていた頃、夜中にお腹が空くことがよくあり、そのような時には、誰かにあげるつもりで買ってあったお土産のお菓子などをあけて食べることが多かったという。冷蔵庫にはよくご飯やパンなどが冷凍されていたが、それらをレンジで解凍するのも面倒だったので、滅多に会わない人だしとか、どうせ自分達が沖縄に行ってたことなんて忘れてるよね、という感じで、夜中にお土産をあけて食べていた。このことを、「楽しかったなぁ」と回想しながら楽しそうに話していた。

公的イメージに縛られず、自由かつ等身大のこのようなトークが聴けるところが、やはりこの番組の大きな魅力なのではないかと思った。

また、お姉ちゃんが昔、蛍光ペンをマニキュアのように爪に塗り、「ジャーン、可愛くない?」などと言ってきたことがあるが、この時もお母さんに怒られていたらしい。

最近は「私、社長になるから」などと言っているらしいのだが、現在は無職である。

このコーナーはリスナーが道重さゆみのお姉ちゃんが取りそうな行動を勝手に妄想して送ってくるというものなのだが、この回においては、本当にお姉ちゃんがやりそうな度数の判定が多く、リスナーが思い描くお姉ちゃんが、かなり実像に近づいてきているということがいえよう。

モーニング娘。のアルバムがもうじき発売されるようなのだが、その中から道重さゆみと譜久村聖が歌っているという「好きだな君が」という曲が紹介された。道重さゆみによると、声が加工されていて、よく聴くと歌詞の内容が深くて、「エロかわ」という感じらしい。どんな曲だろうと楽しみにしていると、「CBC地震情報」が流れた。

その後、途中から曲を聴くことができたが、エレポップ風味のピコピコ感溢れる楽曲で、なかなか面白かった。道重さゆみの極甘ヴォイスがもっと有効に活用されていればもっと良かったのにとも思ったが、曲の中でそういう部分もあるのかもしれない。Perfume好きの道重さゆみとしては、なかなか嬉しい楽曲だったのではないだろうか。

「妄想セクシーワード」のコーナーがまだ続いていたことにも驚いたが、お題が「松茸」と末期状態のようでもあり、そこが逆に面白くなってきた。これは確か「おじぎでシェイプアップ!」の楽屋で罰ゲームとしてやっていた「妄想セクシー日記」が元となっているはずなので、もう随分長く続いていることになる。

月末に発売される写真集のことも話していたが、サイズがこれまでのものよりも小さめになっているらしい。これはキュートでポップでアートな感じの好ましい作品である可能性が高くなってきた。従来のいかにも疑似恋愛や自慰行為幇助を目的としたかのような典型的なアイドル写真集は買うのも恥ずかしいし、持っていたとしても机の下の段の引き出しに隠しておかなくてはならない。数年前の「デジタルフォトテクニック」の表紙のように、部屋に恋人が遊びに来るタイプの男の子が普通に見える場所に置いておけるような作品をこそ期待したい。

モーニング娘。「彼と一緒にお店がしたい」のPVをYouTubeの公式チャンネルにて視聴した。道重さゆみは可愛かったが、それ以外の点については、ビジュアル、楽曲ともにあまり好みではなかった。「笑顔YESヌード」や「リゾナント ブルー」はいま聴いても好きなので、単にハロプロが苦手というような問題ではないと思うのだが。

2011年10月10日 (月)

偶然のナイフ・エッジ・カレス。

電車での移動時間が約十八分ぐらいあったので、思いたったように久々に道重さゆみのラジオ番組「今夜もうさちゃんピース」を途中まで聴いてみたのだが、あいかわらず可愛くて面白いレディオであった。

オープニングで、道重さゆみのお母さんがモーニング娘。の新しいPVを見て、「やっぱさ、さゆちゃんが一番可愛いよね」などとい言っていて、「どんだけ親バカやねん」という可愛らしくも微笑ましい面白エピソードを話していたのだが、ここで驚くべき事実を知った。

九月にリリースされたというモーニング娘。の最新シングルを私はまだ聴いていないのだが、何やら平和を本気で願っているというような題名だったような気がする。これが元々はカップリングの「彼と一緒にお店がしたい」という曲との両A面扱いだったらしいのだが、大人の事情とやらで、結局、平和を本気で願っている的なタイトルの曲だけが表題曲となり、「彼と一緒にお店がしたい」の方はカップリング曲という扱いに落ち着いたらしい。

ところで、この「彼と一緒にお店がしたい」において、道重さゆはなんとセンターだというのだ。こんなことはおそらく道重さゆみファンの間では当然の常識なのだろうとは思うのだが、もはやブログもラジオも平気で一ヶ月半も放ったらかしにしてしまう極度にライトな愛好家にグレードダウンした私は、このことをまったく知らなかった。

道重さゆみは当初、シングル曲でセンターが取れたと大喜びしていたらしいのだが、結局カップリング曲となってしまい、所詮自分はシングル曲のセンターは取れない星の下に生まれてきたのだ、などと自虐トークをしていたが、いや、これは素直にめでたい。そして、A面だと思って喜んでいたらカップリング曲になってしまい、軽く落ち込む道重さゆみを想像した。

番組は改編期を乗り切ったばかりか、長崎県でも放送されるようになったようだ。道重さゆみは長崎県のリスナーへ向けて呼びかけた訳だが、この時に「ちゃんぽん食べてますか〜」と言っていた。こういうところが好きすぎるのだ。

道重さゆみにとって、長崎県といえばちゃんぽんらしい。地元山口県にも長崎ちゃんぽんリンガーハットのお店があり、よく家族で食べに行っていたという。特にパリパリのかた焼そばのようなやつが好きだったとも言っていた。リンガーハットでは皿うどんと呼んでいたような気もするが定かではなく、そもそもかた焼そばと皿うどんが同じものなのかそうでないのかすらよくは知らないのだが、私もリンガーハットではもっぱらちゃんぽんよりも皿うどん派なので、それが軽く嬉しくもあり、お昼にはファミマで1/3日分野菜あんかけかた焼そばというのを買ってきて食べた。

あと、道重さゆみのお父さんが家族をリンガーハットに誘う時に言っていたという、「長ちゃ行こうぜ」というフレーズが、ちょっとカッコいいなと思った。

その他、「Berryz工房はみんな大人になっちゃった」発言や新生レインボーピンクについての話もあり、続いて大好きな「今週のお姉ちゃん」のコーナーがはじまったのだが、電車が目的地に着いたので、続きは後で聴くことにした。

「彼と一緒にお店がしたい」は可及的かつ速やかに聴いたり見たりしなくてはならぬ。

2011年10月 9日 (日)

ゆるしてニャン。

最近の道重さゆみのブログが以前と比べてつまらなくなったという意見をよく目にする。ということは、いまだに私はたまにあのスレッドを覗いたり覗かなかったりしているということなのだが、結論から言うと、道重さゆみの可愛い写真と可愛い文章がたくさん載っていて楽しいなと思うのだ。
ブログの内容が以前と変わったか変わっていないかというとこれは明らかに変わっていて、しかし、私はこれを進化と捉えているので、さして不満はない。
どこが一番変わったかというと、以前のブログにはもっとリアルタイム感やプライベート感があり、そこがすごく楽しかった訳だ。一方、最近のブログは告知だとか活動内容の報告が中心となっている。
道重さゆみは全力投球かつ自分に正直あり、時として極度なトゥーマッチ感覚がクセになるほどクドくて面倒くさくて最高な訳だ。
ブログがこのような内容になった原因としては、 大人の事情というか不可抗力的な部分もあるとは思うのだが、道重さゆみはならばその状況の中で自分に出来るベストとは何なのかということを常に模索して実行してきた訳なので、そう考えると、この変化もなかんsか丁度いいタイミングでの必然だったのではないかという気もする。
以前、単独でバラエティー番組に出はじめて強烈なキャラクターをお茶の間にアピールした時期があったが、道重さゆみはすでに次のフェイズへと移行しはじめている。一方、所属事務所は、現在、Berryz工房の嗣永桃子を同様の方法でお茶の間に進出させようとしているようである。
私は元々、ハロー!プロジェクトの中では道重さゆみの次に嗣永桃子が好きだったし、数ヶ月前にゲスト出演した「ヤングタウン土曜日」を聴いたり、その後に出演したバラエティー番組での評判を聞く限り、今後の活躍は期待できそうである。
しかし、私は別にアイドルが好きな訳ではなく、たまたま好きになった道重さゆみの職業がアイドルであったために、もしかするとアイドルそのものが好きなのではないかと錯覚していただけなのだと気がついたので、嗣永桃子にいわゆる推し変するとか、出演メディアを追いかけるということにはならない。
私が別にアイドルが好きな訳ではないのだなと気がついた契機というのは、様々な活動の過程において、アイドルを応援するというエネルギーの根幹にあるものが、擬似恋愛への妄想であったり自慰行為幇助の役割の期待であることを思い知り、それが私の道重さゆみに対して抱く感情とほとんど無関係であることを確信したからである。
たとえば道重さゆみが17歳だとか18歳の頃であればそのようなファン心理を楽しめてもいたのだが、ここ数年、素敵な淑女(レディー)へと進化していく道重さゆみを見たいにもかかわらず、大半のファンの潜在的要望に応えるべく処女性を基本としたキャラクターを強要され、プロの仕事としてそれに応えようようとする道重さゆみという図式を、歯がゆく思っていた。
10月末に発売される道重さゆみのソロ写真集がこれまでとはテイストを異にした内容になるのではないか、などと色々憶測を呼んでいるようだが、青少年や性生活に不自由な高齢者の自慰行為幇助を主な目的としたいわゆるアイドル写真集ではなくて、キュートでポップでスタイリッッシュかつモードな、可愛いもの好きの女の子や恋人が部屋に遊びに来るタイプの男の子が持っていても恥ずかしくないような感じだととても嬉しいし、それは道重さゆみのさらなる可能性を切り開くものになり得るだろう。しかし、仮にそのような内容だったとして、そういうのが商業的に大成功するというイメージが一向に湧かないのも事実であり、なかなか悩ましいものである。
話をブログに戻すが、現在のような内容の中にあって、モーニング娘。から高橋愛が卒業したという実感がまだ無いが、「ヤングタウン土曜日」において、モーニング娘。OBと自己紹介するのを聞いて切なくなったというような記述にあらわれている心の機微に、正しくも美しいものを感じるのであった。
あと、サンリオのぬいぐるみと一緒に写っている写真などが可愛すぎて胸が苦しくなった。

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