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2011年11月

2011年11月 8日 (火)

2011年のうきうきウォッチング。

道重さゆみが「笑っていいとも」に出ると知っていたが、当日は仕事だったので、もし見ることができたなら見ようかぐらいに考えていた。番組開始の正午にはまだ見られるような状況ではなく、30分ぐらいしてやっと大丈夫そうになったのだが、最初にとった行動はコンビニエンスストアに食べるものを買いに行くことだった。

新しい事務所で携帯電話のワンセグが見られることを数日前に確認していたが、それはこの道重さゆみ「笑っていいとも」出演を睨んでのものだった。ワンセグを立ち上げ、チャンネルをフジテレビに合わせると、何やらクイズ企画のようなものをやっていて、さまぁ~ずやタカアンドトシや狩野英孝といったバラエティー番組でよく見かける芸人と一緒に、道重さゆみが出演していた。それ自体が何だかすごいことのように思えた。受信状態があまり良くなく、映像はコマ送りのようになったり、音声は途切れ途切れで、何をやっているのかよくは分からない。しかし、道重さゆみはいつもながらに道重さゆみであり、それがこのようなお茶の間バラエティー空間に当たり前のようにおさまっているという事実に感動を覚えた。コーナーMCは中居正広のようである。

数日前の深夜バラエティーで、人差し指よりも薬指が長い女性はエロいという噂の検証企画をやっていて、道重さゆみがそれに当てはまったので、自分でそう思うかと問うたところ、いまはまだそのようなことをしたことがないと答え、それに対し、チェリーガールかと尋ね、はいと答えさせた、その中居正広が、ここでもまた道重さゆみと絡んでいる。

音声はほとんど聴き取れず、何をやっているのかさっぱり分からなかったのだが、道重さゆみの浮世離れしたたたずまいだけが、ただただ神々しく、絶対的な肯定感を、さらに強化してくれた。

ハロプロやモーニング娘。といった内輪ではなくて、このようなお茶の間バラエティー空間というある意味アウェイにおいて、ズバリ道重さゆみ以外の何物でもないという部分にこそ、興奮を覚える。こうありたいと思えるのだ。

最後、耐え切れずに携帯電話を持ったまま外へ出て、映像も音声も比較的クリアな環境で視聴した。番組エンディングで道重さゆみが普通にモベキマスのCD告知をしていた。画面下部にはすでにスタッフロールのようなものが流れている。告知のために用意したポスターの中に自分の姿を見つけ、「可愛い~」とおなじみナルシストキャラを演じてみせる。会場がシーンとし、微妙な空気が流れると、タモリが「また明日~」的なことを言って、番組が終わる。最後に一瞬映った中居正広が、死んだような目をしていて、道重さゆみのナルシス発言に対する最高のツッコミとして機能していた。素晴らしい。感動した。

昨年の3月にモーニング娘。がメンバー全員で「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出たが、全員が名札を付けさせられ、自己紹介のようなことをさせられていた。何人かのメンバーが簡単なトークをしたが、観覧客との温度差が半端なく、百戦錬磨のタモリの額に脂汗がにじむほどの惨状であった。そんなふうに私には見えた。そして、CMに入る前のジングルが流れた時、道重さゆみはとても残念そうな表情を浮かべているように、少なくとも私にはそんなふうに思えた。

そのような感想を、当時やっていた道重さゆみ応援ブログ的なものに書いたところ、あまり賛同はえられなかった。この少し前に同じくモーニング娘。メンバー全員が出演していた「しゃべくり007」が結構面白かっただけに、これにはがっかりしていたのだ。

いずれにしても、いろいろと気に入らないことがあったとしても、道重さゆみを見ただけでそんな問題は些細なことだと思えるのだということが、久しぶりに実感できた。そして、私はやはりこの日の「笑っていいとも」の道重さゆみのようでいたいのだということを、強く思った。

正真正銘の自分として、内輪(ホーム)のみならず、世界(アウェイ)においても、正々堂々と通用することを志向した艱難辛苦にして紆余曲折。それはこんなにも美しい。その向こう側へ。やはり、道重さゆみなのだ。道重さゆみになりたい。

2011年11月 3日 (木)

新宿サブナード福家書店あたり。

目的地へ向かうために京王線の電車の中で立っていて、iPhoneに差し込んだイヤフォンからは久しぶりに通して聴く岡村靖幸の「靖幸」が流れていた。そして、やはりこれが古今東西のアルバムの中で一番好きだなと改めて思った。そのことをツイートしようとして、そういえば以前にこのアルバムについてブログに書くために調べたところ、どうやら私がこのCDを初めて買ったのは1989年7月13日である可能性が高く、丁度その日、山口県宇部市では道重さゆみが生まれたのだということを思い出した。

そして、道重さゆみといえば、確かこの日に新宿で握手会を行うはずであった。参加するには最新写真集「Sayuminglandoll」を購入し、整理券を手に入れなければならない。朝に見たインターネット関連スレッドによれば、整理券にはまだ残りがあるようでもあったが、そもそも参加する気などなかったし、この日はすでに他の予定を入れていた。

「Sayuminglandoll」は発売日にすでに他の書店で購入していたが、その内容は素晴らしく、しばらく停滞していた私の道重さゆみ熱をふたたび呼び覚ますのにじゅうぶんであった。それでも「今夜もうさちゃんピース」を聴きながら寝たりブログを何日かに一回まとめて見る程度で、おもな情報源がiPhoneのBB2Cアプリで閲覧するモ娘(狼)板の関連スレッドという、まったくもってどうしようもない状態であった。

新宿で京王線の電車を降り、目的地へ向かうためにJRに乗り換える時、あと四時間もすればこのすぐ近くに道重さゆみがやって来るのか、ということを思ったりもした。

開始時刻にはもうすでに整理券は配布し終えていたに違いない。結論から言うと、その時間帯にはやはり会場である新宿サブナードの福家書店まで来てしまっていた。写真集は素晴らしい内容だったので、もう一冊買うこと自体に躊躇はなかったのだが、開始時刻をとうに過ぎていたし、会場にはすでに参加者が大勢集まっていた。

道重さゆみのブログで見た「道重一筋」と書かれたピンク色のTシャツを着ている人達が何人かいた。初めて肉眼で見た。その他、思ったよりもアイドルファンぽくない普通の見た目の人や女性が多かった。私はダークな色のスーツを着て、髪を後ろに撫で上げていて、いかにもビジネスの最中にちょいと本屋を物色したという体を装い、すぐ近くにまさしく道重さゆみ本人がいるという事実に軽く興奮していることを隠しながら、適当な本を見るふりをした。

列の間を通り、トイレに向かう時、「誰か有名人でも来ているのかい。最近の芸能人とかよく知らないけれども」というような雰囲気で、軽く様子を探ってみたりした。握手会が行われている場所は完全に仕切られていて、外からは見ることができない。しかし、ろくに興味もない本を立ち読みしているふりをしていると、ついたての向こう側から、「ありがとうございます」などと声が聞こえてきた。

そのままそこを後にしたのだが、たとえばもしその時に整理券がまだ残っていたとして、私は写真集を買って握手会に参加しただろうか。

数時間後、握手会のスピードが比較的遅く、会話もしようと思えばできたことや、とても対応が良かったことなどをしった。そして、道重さゆみのブログを読んで、低速化は本人の要望だったことも知った。インターネット掲示板で参加者たちの書き込みを読んで、うらやましくて泣きそうになった。反省はするが後悔はしないをモットーにしているが、今回の件はとても後悔に近いような気がした。

ハロプロ系の現場のようなものというのをしばらく体験していなく、最後がいつだったかと考えると、おそらく一昨年秋に品川で行われた「気まぐれプリンセス」のシングル発売イベントだったのだ。至近距離で見たのは、その少し前の原宿アメーバスタジオでの公開放送か。あの時はまだモーニング娘。に久住小春すらいたのだった。

アイドルの握手会に参加するということが自分の日常生活の行動として異質なことのため、いったいどのようにすればいいのかがさっぱり分からない。かといって参加したことが全くないのかといえばそんなことはなく、大昔に札幌のデパートの屋上で菊地桃子と握手をした。しかし、その頃は十代の学生であり、一般的にアイドルのファンとしてごく当たり前と看做された訳である。

大学生になって少しすると、ネタで友人とアイドルを話題にすることこそあれど、ファンとして追いかけるようなことはすっかり無くなったし、そんな日はもう二度とこないのだろうとずっと思っていた。モーニング娘。が国民的アイドルグループとして君臨した頃、おニャン子世代の高齢ファンも比較的多いということも聞いていたが、まったく自分とは異質な人達だと思っていた。

アイドルとは同年代か少し年下ぐらいの若い子が応援するものであり、社会人や妻帯者になってまで追いかけるようなものではないという思いがひじょうに強い。

しかし、私がアイドルの握手会に参加したのは、実はそれだけではなく、昨年、渡り廊下走り隊に行っていたりもする。何なんだ、いったい。それから少しして、モ娘(狼)板に「元道重ヲタの『生きる』氏がAKBに寝返ってハロプロを叩いている件」などというアンチスレッドが立てられ、なかなか面白かった。

道重さゆみはひじょうに心優しく、かつアイドルとしてのプロ意識が高いので、どんなファンに対してでも、とても丁寧な対応をしてくれる。

道重一筋Tシャツを着たりしゃもじでウサギの耳をつくったりしている人たちは、ああやって応援していることを表現し、握手会に参加させていただくという機会に、日頃の感謝、プラスのエネルギーを少しでも与えようと努力しているのだ。ブログで長文のコメントをしている人たちもそうだ。リスペクトすべきである。

道重さゆみにふさわしい、素晴らしく自信に満ちてチャーミングな人間としてでなくては、とてもではないが、至近距離で握手や会話などという行動に出る自信が無い。握手会問題に直面するにあたり、改めて自分のメンタルの弱さ、及びチキンぷりを認識させられた。

いまから四年前、精神的に完全にやさぐれていて、何が正しくて正しくないのか、必要で必要でないのか、普通で普通でないのかがさっぱり分からず、半ば自暴自棄になっていた頃に、偶然に道重さゆみを見つけた。以来、生きる希望、指針として道重さゆみは輝き続け、健康、家族、過去といったものを大切にすることを知ることができた。そして、これから一人の人間としてさらにどう行くべきなのかと考える時、ふたたび道重さゆみが私の前で輝きはじめ、それはすなわち道重さゆみの握手会に堂々と参加できるような人間になることなのだ、ということを示してくれた。

どこが「エレクトリックにクールな道重さゆみ研究ブログ」だというのか。

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