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2012年1月 3日 (火)

さゆみ!さゆみ!さゆみ!

道重さゆみに出会った頃は、本当にもう最低の人間だった。あれから少しは真人間に近づけたのは、道重さゆみのおかげだと、これは本気で思っている。

道重さゆみは恩人である。たとえラジオを聴かなくなったりブログを読まなくなったとしても、この事実は変わらない。しかし、いつまでも依存している訳にもいかないのだ。

月日は流れ、再びやさぐれた日々が訪れる。あの頃と同じようでもあるが、実は全く違っている。大切なものや守るべきものがはっきりしている分、それを阻害するものに対する憎しみが強くなっている。そのことを実感するが、にもかかわらず翻弄されずにはいらてない己の無力だが腹立たしくもあり、その感情だけで、現在の自分は出来ているといっても過言ではない。

そして、そんな夜、やはり「今夜もうさちゃんピース」を聴いてしまった。そして、正直に告白してしまうならば、泣いた。話の内容にではない。熱心なファンであることをとうの昔にやめてしまったにもかかわらず、その間も道重さゆみはずっと道重さゆみでいてくれて、あたかもそこで待ってくれていたかのように、その優しさと正しさで、心を癒してくれたのだ。

それから、久しぶりにモ娘(狼)の道重さゆみGREEスレッドを見た。新年明けて早々に、かつて「生きる」ブログ。というタイトルで文章を書いていたことから、「生きる」と呼ばれている私のことが少し話題になっていた。しかも、すごく詳しい。そこにも書かれていたように、私はいわゆる処女厨とかレズ厨とかいわれている類のヲタクのことが嫌いである。また、道重さゆみやハロー!プロジェクト関連との訣別宣言のようなことをしたにもかかわらず、いつなでも道重さゆみから「卒業」できない私に対して、さっさと消えろとかいつまでやっているんだというような書き込みも見られる。しかし、それらも含め、トータルで、そこには僅かながらも居場所があるのだと、とても懐かしくも嬉しい気分になった。

このブログスレッドというのを読んでいるだけで、道重さゆみ周辺で起こったことが把握できる訳で、実はこんなに便利なものはないのだ。たとえば、1月2日にはモーニング娘。から新垣里沙の卒業が発表されたというようなことである。新垣里沙のヴォーカルはとても好きだった。初めて買ったモーニング娘。のCD、「笑顔YESヌード」でも、とても魅力的だと思った。

元道重ヲタの「生きる」氏はAKBに寝返ってハロプロを叩いていたことになっているのだが、別に道重さゆみが一般人気を得るためにはモーニング娘。を早く卒業した方が良いだとか、モーニング娘。でいることが道重さゆみのタレントとしての成長を阻害しているだとか言うつもりは、全く無い。なぜなら、道重さゆみ自身がモーニング娘。を愛しているからである。「いきなり!黄金伝説」でのあの涙を見て、そんなことを言えるはずがない。

正直、現在のハロー!プロジェクトの曲などの魅力が、私にはよく分からない。しかし、道重さゆみが良いと言っているのならば、それはやはり良いのだ。盲目と言われようが、そんなことはどうでもいい。恋は盲目とはよくいうが、私が道重さゆみに抱いている感情とは、擬似恋愛のようなものではない。それはもう、尊敬に近いものである。盲目上等である。

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