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2012年11月15日 (木)

うさちゃんピースの真実。

前日よりもさらに帰宅が遅く、すでに日付が替っていたが、そこから食事をしたので、またしても二時間ぐらい寝ることができない。なぜ途中で頃合をはかって食事をとらないのかというと、なるべく早く終らせたいのと、やはり自宅で食事をあまりにもとらないでいると、自分の中の人として根本的な何かが崩れていってしまうような不安に駈られるのだ。妻が調理したカボチャやエリンギが入った煮込みハンバーグは、超絶おいしかったのだが、これはいつものことである。よく噛んで食べないとまた体を壊すと怒られた。

それで一日のうちでほぼ唯一といっても過言ではないこの自由時間に何をしようかというと、やはり道重さゆみのブログを見たり、それについて作文をするようなことを選んでしまうのだ。

じつは数日前、気分がひどく荒んでいた時に、気晴らしに「今夜もうさちゃんピース」を聴いた。軽い気持ちで聴きはじめただけだったのに、道重さゆみの声やトークにどんどん引き込まれた。具体的かつ明確な敵意をかなり深く抱いていたはずの私だったのだが、番組が終る頃にはすっかり忘れていた。敵対心や憎悪というものがいかにくだらないか、貴重な人生の時間を費やす価値が低いものであるか、そんな気持ちにさせてくれた。

怒りこそがエネルギーであると信じる私がいる一方で、その行く先はおそらく破滅なのだろうと思えたり、そこに美学すら感じているのだが、果たして自分がそうなりたいのかというとけしてそうではないのではないか、と思ったりもする。

道重さゆみのアメーバブログを見る。写真集撮影は沖縄で行われていたようだ。それにすでに気付いていたファンがわりと多かったようで、道重さゆみは「君たち、すごすぎーーーーー(* ̄∇ ̄*)✨」と綴っている。永遠の妹キャラクター的なところのあった道重さゆみだが、いまやファンを「君たち」呼ばわりするまでになったのだ。素敵じゃないか。沖縄そばの写真が載っている。上北沢においしい沖縄そばの店があると、妻が言っていた。そのうち行こうと言っていて、まだ行っていない。生きているうちにやっておきたいことリストに入れておくべきであろう。道重さゆみの魅力のひとつは、いつかの広島のコンサートで、ファンに向って「死なないでください」と叫んだように、人生はいつか終るということへのはっきりとした認識である、ともいえる。冬の切なさが好きだったり、「みかん」の歌詞への共感なども、おそらくそういうことなのだろうと、私は考える。

次の記事を見ると、先日、山口県の実家に帰った時に出てきた昔の服を公開している。山口県の道重さゆみにハズレなし。素晴らしい記事である。田舎の可愛い女の子が着ていそうな服だ。また、小学校の入学式に撮った写真も公開しているが、ビョーク的なキュートな魅力がある。道重さゆみが小学校に入学したのは1995年、確かこの翌年が明けたぐらいの頃、私は現在の妻と日本武道館のビョークのコンサートに行ったのだった。

うさちゃんピースは両手を頭の上に持ってきて、まるでウサギのようにするピースサインのことで、道重さゆみの得意ポーズである。うさちゃんは可愛いもので、また、ピースとはもちろん平和のことである。

理由や目的、到達点はあるのか、それとも強度か、いや、もうどうでもいい。とにかく生きることである。ただそれだけが黒光りした欲望として明確になってくる。生存の本能である。それが常日頃、四方八方から脅かされることが常態化したような世界において、家族や猫やごく親しい友人などの確かさだけが、心を潤してくれる。そういったものを肯定してくれる存在として、私には道重さゆみが必要なのであり、うさちゃんピースとはある意味、それだけでさゆみん党のマニフェストたりうるのである。

もちろん受け取る人一人一人に、それぞれのうさちゃんピースがあるはずである。「今週もあなたのハートにうさちゃんピース」とはそのような意味でもある、かもしれない。

ハートにうさちゃんピースさえあれば、見ようによっては荒涼とした、暗澹たる殺伐的状況も、まるで誇らしげな練習のようにも思える。

宗教ブームは来る前に終ったので、私はまたしても果たして人にとって宗教とは何なのかをより深く知る機会を逸したわけだが、ジョン・レノンいわく、神とはその人の苦痛を測る概念であるらしい。苦痛が大きいほど強く神を必要とする。

たとえばアイドルを神格化するならば、それはまるで宗教のようなものかもしれないのだが、あるいは心の苦痛を消し去るための鎮痛剤的なものにも例えることができる。その違いが私にはいまのところまったくよく分ってはいないのだ。

心がつねに血を流しているような状況においてこそ、その必要性が俄然強めになる、つまり、私がふたたび道重さゆみを必要としかけているということは果たして良いことなのかどうかよく分からないのだが、可愛いし見ていると心が優しくなるから、それで良いのだと思う、おそらく。

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