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2013年2月10日 (日)

まさに美が神がかっている。

本日は道重さゆみの最新写真集「美ルフィーユ」発売を記念した握手会が渋谷と京都で開催され、大盛況だったらしい。そこで「まさに美が神がかっている」と、写真集を自画自賛したのだという。

この前に写真集が発売されたのは一昨年の秋、「Sayuminglandoll」であった。この時は新宿の山下書店で、やはり発売記念の握手会が開催されていた。私は「Sayuminglandoll」をすでに購入していて、また、当日は仕事だったものの握手会開始時刻までには要件が完了していたため、山下書店に足を運んだ。しかし、あまりに怖気づいてしまったため、握手会には参加できずじまいであった。握手会が行われていると思われる壁越しの売場で、本を立ち読みするふりをしながら、「ありがとうございます」など応対の声を聞いていた。

そして、次にこのような機会があるまでにはメンタルを鍛えて、ちゃんと参加できるようになっておこうと誓った。

道重さゆみを知ったおかげで、もちろん人生は好転した。そして、それによって多忙にもなった。もう道重さゆみを必要としなくても自分一人だけでやって行けると自信を持っては、また弱気になって戻ってきたり、そのようなことを繰り返しているうちに、次の写真集が出てしまった。そして、握手会の日は仕事でやはり参加することができないのだ。

しかし、これはきちんと計画性を持ってそれに備えていなかったことが原因である。最終的にどうしても参加することができなかったかもしれないが、果たして参加できるように最大限の努力をしたかというと、けしてそうではなかった。参加できたらいいな、ぐらいの感覚であった。これではダメなのだ。

私が道重さゆみから学んだこととは、自分らしさを捨てず、かつ欲しいものを得るためには積極的に葛藤し、努力するべきだ、ということだったはずである。ラジオ、ブログ、リーダー、オリコン第1位など、そのようにして、道重さゆみは叶えてきた。

道重さゆみのおかげで、私自身が生きる上で、何が必要であり、必要でないかが以前よりもかなり明確に分るようになり、それをより実現するための行動力も伴ってきたため、それほど不平不満のない日常が訪れつつある。それは、じつに脆いものではあるが。

しかし、先日、「ラララのピピピ」のPVを観た時、求めるべきものはもっと崇高なものなのだと悟った。欠けているものも分った。あの美しさをこそ志向していかなければ。

「まさに美が神がかっている」とは、まったくもってその通りである。道重さゆみは、現在、道重さゆみであることにおいて、かなり好調であるといえるだろう。それはとても心地のよいものである。これを自分自身のレベルにおいて、獲得したい。

かつて、実際に肉眼で目にした道重さゆみは、つねに写真や映像で観るよりも美しさにおいて凌駕していた。当時ですらそうなのだ。今日の美が神がかった状態の道重さゆみを実際に目撃するということは、果たしてどのような感覚なのだろうか。

私は心が洗われる体験、ただ美しいものが見たいという理由で、道重さゆみを見たいと思った。事の重大さを、もう少し真剣に考えるべきである。

自分が目指すものを神がかっているというレベルまで到達させたい。それが生きることの充足感を次のレベルに押し上げてくれるだろう。それにはまずそのイメージをつかまなければ。そのような意味でも、今回の握手会には、おそらく参加しなければならなかった。もう少し真剣にやっていこう。もちろん、すべてまったくの正気である。

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