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2013年7月

2013年7月13日 (土)

祝・道重さゆみ生誕24周年!

道重さゆみが山口県宇部市で誕生してから、本日でちょうど24年目となった。たいへんおめでたい。

いまやテレビ/芸能にあまり興味がなくなってしまった私は、昨今のアイドル事情などにはあまり明るくはないのだが、そんな中で最も好きな芸能人が道重さゆみであることは間違いない。

道重さゆみに本格的に興味を持ったのは2007年の2月か3月ぐらいのことであり、当時、彼女は17歳であった。モーニング娘。のメンバーは吉澤ひとみ、高橋愛、新垣里沙、藤本美貴、亀井絵里、田中れいな、道重さゆみ、久住小春、そして新加入の光井愛佳で、最新シングルは「笑顔YESヌード」であった。

前年の日曜日のお昼、たまたま観た「ハロー!モーニング」のゆるさとインターネット掲示板、モ娘(狼)板のネタ感覚に好ましさを覚え、当時、とっくに人気が翳りはじめていたモーニング娘。に、はじめて興味を持ってみた。それから「笑顔YESヌード」は発売前にYouTubeでビデオを観て、素直に楽曲としてカッコいいと思った。発売日にCDを買った。日本人アーティストによる新譜CDを買うのは、本当に久しぶりのことであった。

道重さゆみのことは、「ハロー!モーニング」などで観ていても、あのブリッコキャラクターというのがあまり琴線にふれず、あくまでネタ的におもしろがっていただけであった。17歳にもなって小さい女の子が好むような「おしゃれ魔女ラブandベリー」のカードゲームに並ぶといった、一歩間違えるとちょっとヤバいのではないか、というような部分である。当時はメンバーの中では、亀井絵里のことがどちらかというと好きであった。

ある日、モ娘(狼)板のあるスレッドで、道重さゆみのラジオでの発言が紹介されていた。そのラジオ番組とは、2006年秋にはじまり、現在も続いている「今夜もうさちゃんピース」のことである。道重さゆみは小学生の頃はおとなしくさえない性格であり、友達もいなく、通学途中で拾ったダンゴムシに話しかけるようなタイプだったという内容であった。また、男子から「みちし原人」などとからかわれて、家に帰ってから一人で泣いていた、などとも言っていた。

スレッドではもちろんこのエピソードをネタ的におもしろがっていたわけだが、ここで私の心の琴線に多少ふれるところがあった。気になって番組公式ホームページを観ると、道重さゆみの私物を写真で紹介するコーナーがあった。そこで、小学生の女の子がするようなうさぎの形の髪飾りが紹介されていた。

確か私はこれを当時寝泊まりしていた職場の宿泊施設で見たのだと思うのだ。

当時の私は心がものすごく殺伐としており、あらゆることに対する肯定感をほとんど持てない状態に陥っていた。モ娘(狼)板には、ものすごく居心地のよさを覚えた。

この道重さゆみのエピソードを読み、また、髪飾りの写真を見た時、私の心の奥底に忘れ去られてしまった良きものへの感傷が呼び起こされた。それから「今夜もうさちゃんピース」を毎週聴くようになり、過去の放送も全部聴き、学生時代以来やったことがなかったアイドルの写真集を買うという行為にも及んだ。このような自分が楽しくて仕方がなかった。

それから代々木や大阪で実際の道重さゆみを目撃し、そのこの世のものとは思えぬ美しさに茫然とし、また、それが当時の私の現実とあまりにもかけ離れた、とてつもなくキラキラしたものであり、その距離を実感することとなり、それがとても悲しくて泣けてきた。

翌週、道重さゆみのルーツを探るべく、山口県宇部市を訪れた。感動した。ものすごく時間がゆっくりと流れ、自然が多い場所である。道重さゆみは地方からアイドルになるために東京に出てきた女の子だが、地元や家族のことをとても大切にしている。私はすでに十数年間も帰っていなかった自分自身の地元や家族のことを思った。そして、翌年、久々に実家に帰り、両親と車で生まれ育った町などを一つ一つめぐっていった。

道重さゆみはモーニング娘。の曲の中でも、「歩いてる」などの平和系のものが好きだと言っていたことがある。また、熱川バナナワニ園などというレイドバックしまくったスポットに対する愛着などを含め、平和という概念がコンセプトとしてあるような存在である。それを守ることに妥協がないため、時に必要以上に自分自身を追いつめてしまうようなところもあるが、周囲の愛情をとても大切なものとして認識ができているので、大きく道を踏み外すことはない。ここに私は多くを学んだ。

ある時期の私は道重さゆみにあまりにも依存しすぎていたのだが、現在はわりとそうでもない。しかし、たまに精神的にヤバめな時などは、やはり「今夜もうさちゃんピース」を聴いたり、Amebaのブログを読み込むという行動を取っている。また、道重さゆみのビジュアルがもたらす癒し効果というのは、私にとって絶対的なものである。

世の中は平和ではなく、そもそもその出鱈目さがより一層可視化されたような現実も実際にはあり、さらに望ましくない方向に向いつつある傾向も顕著である。今週のNMEでプライマル・スクリームのボビー・ギレスピーは、現在は階級闘争の時代だと言っていたが、ここ日本においても今後それがより可視化されていくことだろう。そこでやはり憂鬱にさせられることやいかんともしがたい絶望にも似たものもあるには違いないのだが、そこでやはりそれでもより良くしていこうと考え、行動する心の友達が他にもたくさんいることが、いまはお手軽に分る時代でもある。だからそれを「生きる」ことだと捉えて、出来ることをきちんと自律的に選んで、やっていくことになるのだ。

そういった意味で、私には今後も道重さゆみはある規範として、なお一層必要であることは間違いない。

昨日、近所にある参院選候補者の街頭演説を聴きにいった。いろいろな意味で涙が出そうになった。怒りをおぼえ、それから勇気がわき、うれしくなった。キラキラと輝いていた。あの日、炎天下の大阪で道重さゆみを目撃した時に心が動いたが、それは現状の可視化と変化への希望、勇気が芽吹いたからだったのだろう。道重さゆみの「うさちゃんピース」とは、もちろんかわいい平和のことに違いないのだ。道重さゆみがいてくれることに感謝をし、その素晴らしさに見合う自分でありたいと、決意を新たにするしだいである。

うさちゃんピース。

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