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2014年11月 5日 (水)

やさしさ

深夜、radikoで「今夜もうさちゃんピース」を聴いた。

7年前の春先、モ娘(狼)板のスレッドで道重さゆみの小学生の頃に友達がダンゴムシしかいなかったエピソードを読み、それが話されたのが「今夜もうさちゃんピース」というラジオ番組だったということを知った。

当時、仕事先の近くの部屋に一人で泊っていることが多かったのだが、そこに高性能のラジオを持ち込んで、CBCラジオにダイヤルを合わせた。雑音まじりに聴こえてくる道重さゆみの声に耳をすませたが、話の内容はところどころしか聴き取れなかった。アルバム「SEXY 8 BEAT」から亀井絵里と光井愛佳が歌った「春 ビューティフル エブリデイ」がかかっていたと思う。

6年前の11月には名古屋のCBC本社前にトランジスタラジオを持って行って、現地で「今夜もうさちゃんピース」を聴くということをやった。雑音が無い状態で、放送されているまったく同じ時間にリアルタイムで聴くということを、一度やってみたかったのだ。その時はゲストに田中れいなとリンリンが来ていたはずである。

それがいまは東京にいてもクリアな音質でリアルタイムで聴くことができるようになった。radikoプレミアムのおかげである。これが6年前からあったなら、どれだけ楽しかっただろう。しかし、ああやって苦労して聴いたのも、いまは良い思い出である。

先日の公開録音の様子が放送された。「シャバダバドゥ~」の生歌など、とても貴重なものを聴くことができた。愛知県出身の鈴木香音がスガキヤのラーメンについて熱く語っていて、CMソングまで歌っていた。特製ラーメンがおすすめらしいので、次回に名古屋に行った時には必ず食べようと思う。

それにしても本当にあと数回で終ってしまうのか。ここ数年は聴いたり聴かなかったりだったけれども、ある時期、この番組を聴くことこそが一週間のピークであったこともあった。そして、道重さゆみが話した一字一句を一言残らず文字に起こして発表していた。あれは道重さゆみの魅力をできるだけ多くの人に知ってもらいたいという思いと、私の精神に道重さゆみ的なエッセンスを注入するための写経のような目的があった。

一度、道重さゆみが「今夜もうさちゃんピース」のオープニングで、書き起こしブログのことを話していたことがある。当時、私以外にもこの番組を書き起こしているブログはいくつかあったため、どれのことを言っていたのかは定かではないのだが、私がやっていたブログなのではないかという説もあり、それは私が人生で経験したことの中でも、最も嬉しかったことの1つであった。

そのような感想を抱きながらiPhoneをひらくと、道重さゆみのブログに「りほりほ県」という記事が載っていた。コンサートがあった広島県出身の鞘師里保をフィーチャーした内容であった。もうすぐグループを卒業する先輩でありリーダーである道重さゆみから、鞘師里保への優しい気持ちがよく伝わる内容であった。「頑張ってないりほりほが好きだけど頑張っちゃうのがりほりほなんだよねっ」「素直な自分を出すことを恐れないでほしいなぁっ」など、過去の自分自身の経験もふまえた、温かいまなざしが感じられる。

翌朝、いつものように同じ時刻に起き、乗車率の高い電車に乗って仕事をする場所に行った。ついに道重さゆみの握手会に初めて行くことを決めたのと、もしかするとコンサートにも行けるかもしれないので、いま、私の心の中にはとても明るい光があるのだが、一方でそれで最後かもしれないというのもあり、ものすごく自分自身でも分析ができないぐらいによく分からない心境である。

それとは別に毎日は続いていくが、心の奥底で本当に願っていたことに向って正直に動く、具体的には道重さゆみのいるところに行くということだが、そうしていると、やはり生きていることそのものにスピードがつく。そして、運もよくなったかのように、いろいろなことが良い方向に動き出した。とても嬉しい知らせもいくつかあった。

そして、帰宅するための電車の中で、またiPhoneをひらいた。ここ数日、道重さゆみのブログは夜に更新されることが多かった印象なのだが、昼間に新たな記事が更新されていた。タイトルは「おばあちゃん」である。

私は道重さゆみの家族や地元を大切に思うところが大好きで、とても強く影響も受けたので、ブログでも家族や地元を題材にしたものがとても好きなのである。それで、期待して読みはじめたのだが、途中で電車の中にもかかわらず泣きそうになっていたが、何とかこらえることができた。

道重さゆみの祖母が亡くなっていたのだという。道重さゆみのトークにも、よく祖母の話は出てきて、ステーキのようなものをよく食べさせてくれた、というようなことを言っていた。道重さゆみの祖母は、それを「テキ」と呼んでいたという話だったと思う。

ブログによると、道重さゆみはモーニング娘。を卒業したら祖母に会うために山口県に帰り、たくさん話そうと思っていたようだ。卒業を目前に控え、仕事が忙しく、最後にも会えず、葬式にも出られなかったのだという。それでも、「おばあちゃんの孫として頑張って生きていこうと思います!」と気丈にも言っていることに、また胸が打たれる。

子供の頃に常盤公園に一緒に行って、遊び疲れて帰りはおんぶしてもらって帰った思い出、そして、最近はだんだん弱っていくのがわかり、お風呂場の掃除が行き届いていなかったため、道重さゆみが姉妹で掃除をした思い出、そのようなことが綴っている。亡くなったことを知った時は、思い出が頭に浮かび、涙が止まらなかったという。

それでも、道重さゆみはこのことをこれまで公表せず、気丈にもコンサートやテレビやラジオ、イベントや取材などの仕事に取り組んでいたのだろう。そのつらさを想像すると、なんともいえない気持ちになる。

しかし、その優しさはじゅうぶんに伝わっていたと思うし、それだけ多くの人たちに求められ、必要とされ、それでも家族を思うやさしい気持ちはまったく変わらなかった、本当にかわいい孫を誇りに思って、しあわせに天国へ旅立ったことだろうと思う。そして、必ずブログも読んでいるし、コンサートも観ている。横浜アリーナにも見守ってくれている。

道重さゆみは「こんなプライベートな話、ブログに書いたところでどうにもならないのはわかっているんですけど、、」「ただ、こうやってブログに書くと自分の気持ちが、なんか、落ち着く、、、のかな」と書いている。

気持ちが落ち着くのなら、どんどん書けばいいのだ。道重さゆみからあまりにも多くの楽しみやしあわせを与えてもらった私たちが、それを読んで分かち合うことによって、少しでも気持ちが落ち着くのならば、むしろそれを全力でやりたい。

道重さゆみの素晴らしいところは、やはりこういう剥きだしのところなんだ。それはリアルと言い換えてもいいと思う。

道重さゆみのモーニング娘。の活動も残り少なくなったが、精一杯自分なりに応援して、天国のおばあちゃんにより素晴らしい景色が見てもらえるように、そのために微力ながらできることがやれればと思う。

ありがとうございました。

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