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2014年11月25日 (火)

夢を見た。

聴きたいラジオがあるわけではなかったが、雨が降っていたので、仕事から徒歩で帰ってきた。iPhoneで音楽すら聴きたい気分ではなかった。世界は不条理と理不尽で溢れているが、たとえそうであったとしても、自分らしさを失わず一生懸命全力で頑張る姿は美しいと、道重さゆみに出会って思い出したのは、そのような感覚であった。そして、それはいまも変らない。

11月26日の横浜アリーナでのコンサートをもって、道重さゆみがモーニング娘。’14から卒業してしまう。それだけではなく、芸能活動も休業となる。

その日の夜、私はどのような精神状態なのかまったく想像がつかないのだが、当日は感謝だけの安らかな気持ちで臨みたいと思っていた。だからそれに向けていろいろ整えていたこともあったのだが、やはり嫌な予感や兆候をまったく覚えずに生活することは難しく、むしろそれはリアルでも切実でもないわけで、果たしてそういうものを目指しているのかという疑問も感じ、そもそも道重さゆみに出会ったのはそのようなことのためではないわけで、私はやはりささやかなブルーズを心に抱えながら、横浜アリーナに向かうだろう。

帰宅して妻の手料理を食べながら、パソコンで道重さゆみのアメーバのブログを開いた。テレビはほとんど観ないのでよく知らないが、最近、スカパーの道重さゆみが出演するCMがよく地上波でも流れているらしい。このタイミングで道重さゆみのブログなどを開いていることが気づかれると、まだ道重さゆみを好きなことがバレて、明日は何か理由をつくってその時間に外に出ていることの理由が勘繰られるリスクを秘めている。この思いは本気なので、人に気づかれたくはない。それはとても勿体ないことだ。

「にゃ~お」というタイトルの記事がアップされて間もなかったようだ。コメントが1つも反映されていなかったからである。卒業を翌日に控えているが、全然実感がわかないらしい。昨日までの方がわいていたということだ。

私もそんなことを考えていた。というか、腹をくくったという感じである。あと24時間もしないうちにその時は訪れるので、もういまさらジタバタしても仕方がない。感謝の気持ちでその時を受け入れるのみである。そして、私にできる限り最高のテンションで卒業をお祝いしたい。

道重さゆみ流にいうと、どうにか自分の力を発揮して、スペースシャワーTVプラスで放送された「モーニング娘。‘14 道重さゆみ卒業記念スペシャル スぺシャでうさちゃんピース!!!」を観た。ラジオブースのような所でしゃべる道重さゆみを2時間ひたすら撮り続けるという、夢のようなプログラムであった。これまで「今夜もうさちゃんピース」で聴いてきた、道重さゆみのトークが映像つきで楽しめたわけだが、それはあまりにも慣れ親しんだ感じであり、本当にあと数日間でこれが終ってしまうことなど、信じられなかった。

そして、翌日には「今夜もうさちゃんピース」の最終回を聴いた。今年からradikoプレミアムがはじまり、サービスエリア以外のラジオ放送がクリアにリアルタイムで聴けるようになった。これは私が「今夜もうさちゃんピース」の最終回を聴くためにできたサービスなのではないか、とすら思った。また、道重さゆみの卒業コンサートが日曜日でも祝日でもなく水曜日なのも、私の仕事の休日に合わせてくれたのではないかと、半ば本気で信じている。どうかしているね。

「今夜もうさちゃんピース」最終回は1時間拡大版だったが、最終回ということでしんみりしすぎないように、道重さゆみが意識してあえて普段通りのテンションでやろうとしていた。このあたり、「ヤングタウン土曜日」で注入された明石家さんまイズムを感じたりもして、カッコいいと思った。つんく♂からのサプライズの手紙が読まれ、「シャバダバ ドゥ~」が流れ、もう何百回となく聴いたエンディングの音楽が流れた。さらに「妄想セクシーワード」のコーナーさえやってしまう。私は翌朝も早くから仕事だったため、ノートパソコンの電源を落し、iPhoneでradikoを聴きながら、油断して布団に入っていた。

しかし、最後の挨拶で、やはり道重さゆみは泣いてしまった。「今夜もうさちゃんピース」といえば、やはり泣きである。道重さゆみというリアルな表現者のシリアスなドキュメンタリーにふさわしいエンディングであった。ありがとう。私ももちろん布団の中で泣いた。

夢だったのではないかと思う。道重さゆみのことである。

中学生の頃、中島みゆきの「あした天気になれ」という曲が深夜のラジオから流れるのを何度か聴いていた。中島みゆきは特に好きでもないが、この曲の歌詞にある「何ンにつけ 一応は絶望的観測をするのが癖です」という部分には共感できるなと思った。さらに、「わかりのしな望みで 明日をのぞいてみたりしないのが癖です」と続く。

道重さゆみは「今夜もうさちゃんピース」最終回の最後に、「またいつか、あなたのハートにうさちゃんピース!おやさゆみん」と言った。

道重さゆみのこれまでの活動には感謝しかなく、ただただ今後の道重さゆみのしあわせを祈らずにはいられない。それが、もう二度と私の前に姿を現すことがないことならば、それでもいい。これは本当である。

しかし、なぜかそれを「絶望的観測」であると認識しているところもある。

だから、道重さゆみとは夢だったのである。でなければ、不在という現実に耐えることができない。それはまるではげしい恋のようでもある。

このような思いをまたすることになろうとは。

夢は生きることに展望をあたえる。その感覚を現実のものとすることが、目的となる。これが道重さゆみになりたい、私は私の道重さゆみを生きるということである。

つまり、そういうこと。

道重さゆみとは、夢である。その一つの終りを、横浜アリーナに目撃しにいく。

夢はまた何度でも見られるし、更新される可能性がないわけではないが、それは神のみぞ知ることであり、私たちにはどうすることもできない。

また、心理学者は言う。夢とはわれわれの欲望がつくりだしたものだと。

道重さゆみとは私が生きたいと思った人生、欲しいと思っていた世界のすべて、だからこれからは自分自身でやっていくしかないのだ。そのために道重さゆみは卒業する、と半ば本気で信じている。どうかしているね。

それを確認するために、横浜アリーナに行く。ありがとう、道重さゆみ。感謝しかない。

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