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2014年11月10日 (月)

TIKI BUN

今日はお昼に明太子スパゲティを食べた。もちろん道重さゆみの大好物である。ここ数日間、音楽はモーニング娘。とモーニング娘。’14と道重さゆみしか聴いていない。

かつての依存状態を脱し、すっかりライトファン化に成功したと思い込んでいたのだが、それはたとえば「今夜もうさちゃんピース」の放送時刻にCBCラジオにダイヤルを合わせたりiPhoneでアメーバブログをひらけば、いつでも最新の道重さゆみに出会えることを知っているからに過ぎなかったのだ。無意識ではつねにずっと依存をしていた。

あと少しで、もう道重さゆみが何を食べたとかどこに行ったかすらまったく分らなくなってしまうのだ。

ところで、このようなモードであるため、かつて道重さゆみを好きになりはじめた頃の気分を思い出してみようと思い、このブログの過去記事を久しぶりにひらこうとした。すると、ブログ開始当時の記事がほとんどアップされていないことに気づいた。

このブログは数年前に一度完全に削除したものを、改めてやり直したものであり、テキストで保存していた全文章をアップしようと試みたのだが、初期のものはなぜかエラーが出てごっそり上がらなかったのだった。そのうち、重要と思えるものは手動で上げたのだが、ココログは公開日時の設定にひじょうに手間がかかり、それでもやはり書いた順番に時系列で並べたというのがあり、初期に書いた記事については上っていないものがひじょうに多い。

そもそもmixiに書いていた普通の日常の日記の中に道重さゆみ関連のものが増えてきて、代々木のFM FUJIやオーサカキングでリアルの道重さゆみを見て感動するというプロセスを経て、このブログはできあがったのであった。そして、数日後には山口県に聖地巡礼の旅に出かけることになった。

ブログの最初の方では、いくつかの記事に分けて、そこに至るプロセスをmixi日記の抜粋などを交えながらブロローグ風味にお届けしていたのだが、やはりこれは復活させようということで、まとめて手動で上げた。リンクのおかしなところなども修正したので、一連のブロローグ部分を続けて読めるようになった。

これを自分で読み直していてひじょうに懐かしかったのだが、ついでに読んだ「オレは道重さゆみになにを求めているのか」という記事があり、これは2007年8月17日に書かれているのだが、じつはこの時点で、いつか道重さゆみが私が知ることができる範囲からいなくなってしまうことに対する懸念が綴られていた。以下、いまから7年以上前に書いた文章である。

道重さゆみは今後どのようなタレント活動を続けていくのだろう。それは本人が家族や事務所と話し合って決めていくことだ。ほんとうに大切なことを見失わずに、ぜひ最高にしあわせになってほしいと願う。オレはいつまで道重さゆみの成長や葛藤を見続けることができるのだろう。いつか必ずその日はくる。

未来への期待が、日常を生きる価値があるものにする。オレは古いタイプの人間なので、終わりなき日常なんていうのは生きられない。やろうとしてみたが、ダメだった。そして、すれっからしのペシミストを目指した。しかし、それは切ないし悲しい。おいしいものを食べたり、かわいいものを集めたり、目の前のことに一生懸命になったり、そういうことをもっと真剣にやらなくてはいけない。オレにとって道重さゆみとはそういうものであり、その日までになんとかしなくてはいけない。

この問題はすでに克服されていたかのように思われていたが、それはじつは道重さゆみをいつも知ることができて、その状態が失われることはないということを、いつしか無意識に信じていたため、それを担保としてそのように思われていたにすぎず、現時点で道重さゆみがいなくても大丈夫とは、とてもではないが言い切れる状態ではない。そうでなければ、ここ数日、私の精神状態が確実にブルーズに浸食されていることの説明がつかない。

それはそうとして、決っていることはもう決っているので何とかしていくしかないし、これも道重さゆみとの出会いと同様に、理由があって起っていることなのだろうと思っていくしかない。

ところで、「TIKI BUN」の歌詞の「『私なんて』と親に八つ当たり TIKI BUN TIKI BUN」という部分を聴いて、「シンデレラ Theミュージカル」で道重さゆみがワイヤーで吊るされてセリフが無い役をやらなければならなかった頃、精神的に病みかけて大好きな家族にさえ良くない態度をとってしまっていて、数ヶ月後にラジオでその話をしているうちに泣いてしまうという、あの回のことを思い出した。

さよならは 道重さゆみ エモーション」なる動画のリンクが流れてきて、正直これをiPhoneで観て泣いたわけだが、じつはここ数ヶ月のモーニング娘。のパフォーマンス映像をろくにちゃんと観ていなくて、この動画では断片的にフィーチャーされているのだが、道重さゆみがとにかく凛としていて威風堂々というか、それでいてフレッシュなピュアネスも失っていないという奇跡的なことになっている。年下のメンバーを率いてひじょうに堂々としていて美しいのだ。先日の「MUSIC STATION」出演時の動画をちゃんと観て、それを再確認した。ちょうど前日に2007年のコンサートでの「Do It! Now」で、中心になることはなくても一生懸命、健気に頑張っている道重さゆみの動画を観直していただけに、ひじょうに感慨深いものがあった。

過去のモーニング娘。はグループ内に確執とまではいかないまでも、ライバル関係というかギスギスしかねない緊張感というのが多少なりともあり、アットホームだった高橋愛リーダー時代においてもまったくそういうムードが無かったとはいえない印象なのだが、道重さゆみリーダーのモーニング娘。’14は、年下のメンバーたちが瞳をキラキラさせてリーダーを慕っているという感じがあり、組織というのはやはりリーダーによってかなり雰囲気が変わるものなのだな、という感想を持ったのである。先日のブログでグッズのうちわを持っていたらメンバーがどんどん集まってきて増えていくというやつがあったが、あれもとても良かった。

大阪で個別握手会があり、これが最後の握手会かもしれないということで、泣いてしまうファンが続出だったという。最後は道重さゆみも少し泣いてしまったようだ。

こういうのを読むとさらにブルーズが加速するわけだが、それもエネルギーに変えて突っ走るしかないだろう。道重さゆみがいなくても大丈夫というのは、けして道重さゆみを忘れることではなくて、ちゃんとつねに認識していながら、自分自身がそれに負けない強度を持つということなんだ。だから、たとえもう道重さゆみの最新の状況がアップデートされなくて、記憶の中だけにしかいなくなったとしても、いつもそこにいると感じられるぐらいに、自分自身がそれと同じぐらいの強さや優しさを身につける。そして、それは道重さゆみがいたからこそ自分の中にあるのだと意識すること、ともはや何を言っているかよく分からないのだが、頑張っていこうと思う。

そういう意味で、「TIKI BUN」はやはり良いラストシングルだったのではないかと思うのである。

ラストシングル」というブログ記事において、道重さゆみは「TIKI BUN」について、以下のように綴っている。

 

『TIKI BUN』の歌詞を読んで思ったんです。

なかなかうまくいかない日があったり、
わたしもモーニング娘。で活動してきたこの12年間でほんとに常に伸び悩んでいました(笑)

正直、努力しても報われない、、と思った事もありました。
でも、報われなくても、それが自分自身の糧になって、成長出来たんだ、、と、12年たった今なら思えます。

報われなくても、学んだり得たもの、それを信じればいいんだなって『TIKI BUN』の歌詞よんでて思えました。

それが私がしたかったこと、好きなことだったんだと思います。

自信がなくてまわりが羨ましいときもあるけど
自分が全てなんだし突き進もう!って前向きになれるんです。

だからさゆみ、

ラストシングルが『TIKI BUN/シャバダバ ドゥ~/見返り美人』で本当によかったです!!!!

 

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