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2015年11月

2015年11月26日 (木)

道重さゆみ卒業1周年。

仕事が休みだったので、理髪店に髪を切りに行った。わりと早く起きて、やらなければいけない用事の大半はすでに片付けていたので、心に余裕があった。

ところで、11月26日である。ちょうど1年前、道重さゆみがモーニング娘。を卒業した。以来、公の場に姿をあらわしていない。それでも、私が最も好きな人はいまも道重さゆみであり、それは思っていた通りであった。2007年のある時期からずっと、道重さゆみが特別に好きである。

理髪店に向う途中、昨年の横浜アリーナでのセットリストをプレイリスト化したものを、iPhoneで聴いていった。私の自宅近辺には多数の理髪店があるのだが、四半世紀以上慣れ親しんだトークが楽しみな店があり、わざわざ電車に乗って通っている。

聴いていると、いろいろな感覚が呼び覚まされた。モーニング娘。'15の日本武道館公演には行かないつもりだったのだが、やはり行きたいと思い立ち、あわてて若い衆に連絡をしたところ、なんとかなりそうだということなので、報告を待ちたい。かつて、大抵の発注には正確に応えてくれていたし、無理なものはかなり早い段階ではっきりとそう伝えてくれているので、信頼はしている。

かといって、インターネットでセットリストを調べて予習用のプレイリストをつくり、気分を盛り上げる気にまでなるかというと、そうでもなくて、なんとなく去年のモーニング娘。'14のコンサートに近いようなものに行ってみたいと思ったのだ。

まず、道重さゆみがいない時点でそれは大きく違っているのだが、かといってそれ以外に近いものが何かあるのかというと、もちろんモーニング娘。'15以上に近いものなどおそらくないので、やはりこれに行こうという結論に至ったわけである。

午後から、横浜アリーナに行ってきた。朝のうちは1年前と同じ雨だったが、途中から上り、あまり寒くなくなった。横浜アリーナに行ったのは昨年の11月26日、ただ1回きりであり、それ以外の時にどのような感じなのかをまったく知らない。

とにかく静かであり、人の姿もまばらであった。昨年はグッズを買い求める列に並ぶ人々、チケットを譲ってくださいなどと書いた紙を持って立っている人たちなど、とにかくたくさんの人がいて、開演が近づくにつれ、それがどんどん増えていった印象であった。

あの人たちもまた、それぞれどこかでちょうど1年前のことを懐かしんだり懐かしまなかったり、すっかり忘れていたり、それぞれしているのであろう。

歩道橋の上に立ってみたが、聞こえるのは下を行き交う車の音ぐらいであった。

夜にはやはり、昨年の横浜アリーナ公演のDVDを視聴しようと思った。平静を装って視聴できる自信がなかったので、食事を終えた後、DVDを持参して近所のインターネットカフェというか、まんが喫茶のような所に行った。

卒業セレモニーのところで、もちろん泣いた。

そして、道重さゆみというのはやはり唯一無比のアイドルであったなということを、改めて思ったのである。

気づいた点としては、道重さゆみはパフォーマンスにおいて、大人っぽい妖艶な表情をすることが多く、これはほとんどが10代である他のメンバーには見られないことであった。そして、現在、モーニング娘。'15において、ただ1人の20代である飯窪春菜はこれをよく研究し、継承しているのではないかと思える。

このDVDを何度か視聴しているが、佐藤優樹が特に気になるようになってからは、初めてであった。よって、佐藤優樹をわりと注目してしまうのだが、やはりヴォーカルはメンバー中で最も私が思うアイドルポップスの理想形に近く、動きなどにもいちいち躍動感が見られ、良いものである。

そして、鞘師里保はこの時点において、メンバーの中でも圧倒的なスキルを見せ、存在感においても間違いなく道重さゆみの次にあるわけだが、わずかこの1年後に卒業することになると思って見ると、なんだかとても切ないのである。

決ったことなので、それぞれより良くなることを願うばかりなのだが、それでもやはり、一体なぜこうなってしまったのだろうと、残念な気持ちはまだ拭い去れない。

そして、卒業スピーチだが、いま聞いてもまったく色褪せていないし、じつはまったく懐かしいと思えないのだ。

私はあまり熱心なファンであったとはいえないにしても、道重さゆみがあの日、「さゆみのファンの人たちが、他の誰でもないみんなでよかった」「変な人たち、サンキュー」と言ってくれたことは大きな誇りであり、それはいつも感じている。感謝しかないのは、いまも同じである。

道重さゆみの芸能活動再開を望む声は、いまも多い。もちろん、もしもそれが叶うならば、そんなに嬉しいことはないだろう。しかし、道重さゆみは私たちの前に現れてくれて、それから数々の喜びや楽しみや感動をあたえてくれた。その過程においては、1人の人間、女性としてのしあわせを犠牲にしていたところもあったのではないだろうか。それが気がかりである。

だから、一番には道重さゆみのしあわせを願いたい。もし、この先、その中にふたたび私たちの前に姿をあらわしてくれるということがあるのだとすれば、その時には大いに喜びたい。それが無かったとするならば、それはそれで良いのではないかという気がする。

私にとって、道重さゆみとはすでに思想であり哲学なので、日々生きている中でその存在を認識したり、感謝したりできるようなものでもある。

いろいろとクソのようなことがあるにしても、道重さゆみに出会うことができたから、私はどの時代のどの国でもなくて、いま、ここにいられることを、とてもありがたく、嬉しく思う。だから、その中で懸命に生きるのみである。

道重さゆみがちょうど1年前、コンサートの1番最後に言った言葉を、そのまま道重さゆみに捧げたい。

本当に、心からありがとうございました。

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