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2010年10月17日 (日)

整然とした美しさ。

札幌の市街地は碁盤の目のようになっていて、ゆえに移動がひじょうに容易い。方向オンチかつ地図を読むのが苦手な私でもスイスイ次の目的地へと進んでいける。この快適さがたまらなく好きだ。

雑然とした感じやノイズ的なものを愛してやまない私だが、近頃、何となく整然としたものへの欲求が強くなってきている。

同じ会社で私が最も親しくさせていただいている方などは、ひじょうにやることなすことが整然としており、その仕事ぶりが会社にも高く評価されているという具合である。非効率的でムダと思われることにこそ価値を見出す傾向のある私などは、才能が枯渇したとか時代の変化に対応できていないなどと薄っぺらな誹謗中傷を浴びがちなわけだが、とにかくロジックをねじ曲げて貼りついた薄ら笑いをひっぺがすのだ。そのことへの執着心こそが、私の日常を豊かなものにしている。

様々なことに対する価値観は異なるものの、共に過剰な何物かを抱えている者同士の共感というか、そういうもので結びついているような気もするのだが、正直よく分からん。彼は幾度にわたって、このようにすればもっと上手くいくとかいうようなアドバイスを良かれと思って私にしてくるのだが、私がそれにまともに従った試しは一度もない。しかし、愛は感じる。それで十分ではないか。それ以上に何が必要だというのだ。

しかし、言わんとしていることは分からないでもないのだ。私は彼のことが好きなのだが、それ以上に自分のことが好きだという事実が揺るがない限り、この部分が変わることはない。ちなみに、彼と飲みからの流れでカラオケなどに行った場合、フリッパーズ・ギターの「全ての言葉はさよなら」が歌われる場合がある。中でも、彼と私が共通して好きなのは、「分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ」というフレーズである。

数週間前から環境が変わり、ある意味リセット的な感じになったわけだが、その現場が運よくひじょうに雑然としており、そこで素直にこれは整然としたいなと思えたわけである。おそらく前述の彼の件や、その他、社内で一部熱心に諦めずに指導してくださった方の刷り込みが作用したことは間違いないだろう。

何となく方向性が見えてきて、かつ思うようにいくことも増えてきて、良い感じ気味ではあるのだが、どうも決定打に欠けるなという感じはあった。ここでアクセルを踏み込むためには、じっくりと自分を見つめ直す機会が必要だろうと考え、そうなると真っ先に思いつく方法は一つだった。それでも躊躇する気持ちはあったのだが、前週の月曜日にある件で本格的にブチ切れ、勢いでパソコンの画面から航空券を買った。

その先で、たまたま入った店で働いていたある女性を見て、その美しさに心を激しく動かされるという事件が起きた。それは全く予期していなかっただけに、ひじょうに衝撃的であった。

彼女のどこにそれほど心を動かされたのかというと、その見た目および働きぷりに宿る整然とした美しさに違いない。

その佇まいや所作に、美しく存在する為に必要なもの以外が一切無いのだ。その美しくあろうという目的の明確さと、それに向けての姿勢の気高さは、私の生きることそのものに対する態度を見直させるには十分過ぎた。

完全な美の象徴としての偶像、そのようなものを常に必要とし、それを基準として自分自身が求めるものを知る。突如としてそれが訪れ、それはつまり整然とした美しさというものだったのだ。

いつも思うのだが、偶然に出会うからそれを求めるのか、心の奥底で求めているから必然的に出会ってしまうのか、それが不思議である。しかし、それはもうすでに起こってしまった。

たまたま訪れた遠い街で、たまたま入った店での出来事である。もう会うことは二度と無いだろう。しかし、イメージはしっかりと刻まれた。その記憶を消さないために、自分自身がそのイメージを生きて、創造していかなくてはならない。

全ての目的は一つになった。

これはやはり冷静に考えてどうかしているが、何だかとても自由な気分なのだ。

おまけとして、北海道日本ハムファイターズは札幌の街にこんなにも浸透しているというコーナーを写真にてお届けしてみたい。

まず、すすきので視力回復センターのようなものの広告に梨田監督が登場しているのを見つけた。

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すぐ近くのビルには前監督の似顔絵が描かれたヒルマンズ・ダッグアウトなるお店(?)がある。

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ローソンもおそらく北海道限定で「ありがとう!Fighters!」セールを実施していた。

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2010年10月10日 (日)

$百萬BABY。

「ザ・ベストテン」にランクインした楽曲の音源を収集したりしていても、どうしても集められない物がたまにある。横浜銀蠅のJohnnyがソロで発表し、オリコンで第1位にもなった「$百萬BABY」という曲もそのうちの1つである。

ツッパリ文化は大嫌いだったが、ヒット曲となれば話は別だ。猫がツッパリコスプレをした「なめんなよ」のシングル・レコードやレプリカ免許証を妹が持っていたりもした。「$百萬BABY」は夏休みに札幌に遊びに行く時とかに、なぜか頭の中でグルグル回っていた。いや、特に好きというわけではなかったのだが。

オリコンで第1位になったのにCDでも配信でも購入が出来ない曲といえば、松任谷由実・小田和正・財津和夫の「今だから」とかもそうなのだが、あっちは権利関係が障壁となっているのかなどの推測が出来るが、このJohnnyさんの件については全くの謎である。

と、なぜにこんな話になったかというと、百萬というワードからいの一番に連想されたからに他ならない。百萬とは100万であり百万であり、また、1000000でもある。最近、暇潰しにこの数字をオブセッションというか強迫観念のようにして遊ぶゲームを始めたので、そのことを考えていたら、この曲名を思い出したという次第だ。

銀蠅一家といえば難しい言葉をわざわざ用いるのが面白く、紅麗威甦と書いてグリースとかあったわけだが、あれは当時のツッパリ文化全般に共通していた訳で、有名なところでは夜露死苦と書いてヨロシクなどがある。ここから、今日においてもDQN系中二病の症例の一つとして、やたらと難しい漢字を使いたがるというのが挙げられるようになったのであろう。

中二病にはこのDQN系以外にサブカル系とか色々あるらしいのだが、それが思春期特有の自意識過剰やコンプレックスに根ざしているという点では共通している。私にとって充足した生を生きるということは、まさに徹底した中二病の極北を究めるということに尽きる。脳死状態で死にそうなロジックを振りかざす似非ペテン師共に翻弄されて終わるような人生は真っ平ご免だ。兎に角、莫迦を装うのにはもう疲れたよ。こうして無理やり漢字を使う辺りがいかにも中二病である。良い感じだ。

アップフロントエージェンシー所属タレントの道重さゆみちゃんがビックカメラでiPhoneを買ったのはひじょうにおめでたいニュースであった。ブログでのりのりで使いこなし始めている様子が微笑ましい。久々にこのブログのことを語り合う趣旨のインターネット掲示板を見てみたら、画質が悪いとか前の携帯の方が良かったとか文句ばかり言っていて笑った。道重さゆみちゃんがAKB48好きを表現した時と似たような反応である。流行っているもの、イケているものに対する過剰反応が半端ない。本当にブレていないなと感心することしきりである、逆に。

道重さゆみちゃんのブログのiPhone関連の記事に事務所の先輩のような人がよく写っていて、どうやら仲が良いようだ。あまり興味は無いが、小さくておサルさんぽい顔がチャーミングでもあるのだろう。

歳を取るとどんどん都合の悪いことは忘れて都合の良いことばかり覚えているのだが、ところで私はなぜこのアップフロントエージェンシー所属タレントの道重さゆみちゃんのことを知ったのだろうかとふと思ったのだが、うまく思い出せなかった。おそらくラジオかテレビのバラエティか、はたまたブログでたまたま知ったのだったか。グループで歌の活動もしているはずなのだが、テレビの歌番組はほとんど見ないので、これはよく知らない。

脱ぎ捨てた白いワイシャツ、それ以外は忘れた。求めた喪失感、さよならノスタルジアと、イヤホンの向こうから小出佑介が歌ったような気がした。

2010年9月19日 (日)

涙は、悲しさで出来てるんじゃない。

北海道新聞のホームページにアクセスしてみると、トップにいかんともしがたいニュースが掲載されていた。なんと、10月31日から羽田空港から旭川空港への直行便が無くなるというのだ。それ以降は新千歳空港を経由して旭川空港に行くようになるという。これによって羽田から旭川までの所要時間は約2時間長くなってしまう。2時間40分〜50分ぐらいらしい。料金は従来通り通常で2万円を切るということで、便もこれまで2便だったのが3便に増える。というか、新千歳行きの8便中3便が旭川にも行くようになったということか。

旭川直行便の座席が埋まり率は上がってはいたものの芳しくなかったらしく、今後、熊本などへの新路線就航などの事情もあり、このような結果になったようだ。

結局、スカイマークの旭川直行便を利用したのは一往復限りとなってしまったということか。今後は価格と所要時間を天秤にかけて、賢く選択していきたい。

まあ、おそらく次回は新千歳空港までの便を利用して、まずは札幌で用を済ませ、それから高速バスなどで旭川へ移動し、帰路は旭川空港からということになりそうである。札幌発着の高速バスは全てトイレ付きなので、安心である。

午前中結局また読みはじめているNMEデジタル版の最新号を読んだりユニディ狛江店にお使いに行ったりしていたのだが、やはり東京は暑い。蒸し暑い。電車や街の混み具合とかもそうなんだが、もはや人大杉としか思えない。かつてはこの活気というか都会っぽさとかがあえて好きだったんだが、随分と感性が変わっちまったものだ。こういうのはもういいかなという気分が超絶的に高まりつつある。

しかしながら、毎日の日常は容赦なく続いていき、やはり何らかの意味合いであったり目的だったりが必要ではあるので、それを力強い動機づけとしてやっていこう。

とりあえず職場が変わったばかりなんだが、とにかく色々と片付けてなくてはならぬ。要らん物をジャンジャン捨てたり送ったりして、スッキリ快適にカスタマイズしていくよ。これは単純に快感原則に密接に結びついた作業なので、積極的に行けるだろう。

とにかく精神的に本当に必要な何かを見つけ、そのために必要の無いあれやこれやを捨て去る作業を続けてきた。その結果、明らかに核心に近づけているという確信がある。まさに革新である。これを具体的に目に見える物についてもやってみよう。自分自身の肉体的な部分についてもそうだ。

つい先日まで職場でひじょうにお世話になっていたある方は、私ごときに単なる仕事上の組織図を超越した部分で関わってきてくれた。最後の方に話していたことなどは要はズバリそういうことだったのだが、いよいよ自分自身の懐に落ちたところで、そのように動き出す時が来たようだ。

2010年9月11日 (土)

YOU'RE MY SUNSHINEのすべて。

数日前から職場が変わっているわけだが、いややっぱり東京23区内はいいね。肌に合うというかなんというか、この気分の高まりは異常である。

結局その程度の動機づけでしか仕事をしていないという全くもっていかんともしがたい有様なのだが、そんな自分が心底好きで好きで仕方がないので、もはやつける薬などどこにもないのだろう。本当に申し訳ない。生まれてゴメンなさい。

本当に置かれた立場だとか周囲との関連性とか色々考えなければいけないんだろうが、まずは楽しむ方向にしか一切頭が働かず、身体も動かん。まったく実利を重んじる世界においては、ポンコツ以外の何者でもないよね。しかし、はっきり分かったことがあるんだが、私はそれを分かっていながら好き好んであえてやっているようなのだ。これ気がついたことは大きな収穫であり、そのきっかけとなった方には感謝に絶えない。

そんなことがハッキリと分かってしまったもので、もう本当に出ていくべきではないだろうかとか、そろそろ本当に身の振りを考えた方が良いのだろうとか、柄にもなく空気を読むようなムードもあるのだが、いかんせんどうにも愉快な方向に事は転がり続けるもので、もはや薄着で笑ってしまうしかないのだ。

私だけが私を知っていて、かつ愛しているから、それ以外はどうでもいいなんて、そんなことを思いながら長い間暮らしてきたし、おそらくずっとそうなんだろうと思っていた。しかし一人だけでやって来れたわけでもないし、つまりこんなどうしようもない私を、私自身にも分からない方法で気にかけたり愛したりしてくれている人達がいることを知って、もう一体どうすればいいのか分からなくなった。果たしてこれは望んだ結果だったのだろうか。いや、そんなことは最早どうでもいい。とにかく私は私らしく生きていくし、終わる時はどうやたって終わるに決まっているのだ。せめて悔いが残らないように、それまで思う存分楽しんでしまおう。その先に新しい道が見出せるかもしれない。

仕事が終って表に出ると、深夜だというのに串揚げバーのような所にイケてる風の若者達が集まっている。この中に交わることはおそらくけして無いが、それでも大変気分が上がる。高速道路のそばで夜遅くまで野菜や果物を売っているお店がある。とにかくコンビニの数が多く、中でも大きなファミリーマートの中には飲食や読書などができるテーブルやTSUTAYAのレンタルDVDの機械やガチャガチャなども設置されている。

泊まれる場所が徒歩20分程行った先にあるのだが、どうせ翌日も朝から仕事なので、職場に一人で泊まる、これは最強である。コンビニがたくさんあって気分が上がったので、今夜は宴とばかりに大量の食料を買い込もうかとも思ったのだが、色々と考えて結局498円分ぐらいしか買わなかった。

リラクシンかつ隙だらけの格好で床に寝て、事務所の流し場でシャンプーをする。これは私が平成のサムライを自称しながらやさぐれて生きていた頃のスタイルだが、今こそそれを取り戻す頃合いである。あと、ちょうどその頃は、最期に身近のリアルな女性にガチで恋をしていた時期でもあったのだが、それはもういい。そういう時期から現在に至るまで陰ながら支えてくれた人に、これからの自分は尽くしていくと決めているから。

というか、道重さゆみちゃんを超える人が身近に現れない限り、私はもう二度と特定の誰かを深く愛することは無いのではないかという気がする。

私を支持してくれる人などというのは相当に少数派かつ変わり者には違いないのだが、その人達が一体私に何を望んでいるのかというと、それはおそらく私らしく生きるその生き様の先にある物なのだろう。だったらそれを追求していくしかないだろうね。というか、ただ単に私自身がつまらない事に耐えられないだけなんだが。

2010年7月19日 (月)

青春の逆説。

最近、いろいろな発掘作業などの途中で考えたのだが、おそらく私にとって1986年4月8日以降、つまりこれまでの人生の大半は暗黒時代に過ぎなかったのだということが明らかになってきた。

あの事件がそれ程までに自分に影響を及ぼしていたとは思っていなかったのだが、契機がいつ頃だったかと考えると、どうやらそれぐらいにの時期らしく、その頃に何か大きな事件はあっただろうかと考えると、これぐらいしか思いつかない。なので、そういうことにしておこうと思う。

そこで、何らかの諦念であったり不承不承な態度だったりというのは、おそらくは期待を裏切られる失望感への予防策だと思うのだ。そんな風にして、若くしてすれっからしの冷笑主義者に憧れ、それにふさわしい感覚で生きようとした。

獲得すべき充足した生を考えた場合、意志とは反して、なぜにそれを回避するような行動を取ってしまうのか。それは長年に渡る手癖のようなものであろう。これを強制的に矯正していかなくてはならない。性懲りもなく証拠を突きつけていこう。

これらのヒントは、渡り廊下走り隊の「青春のフラッグ」という曲の中にある。

音楽はその時々の心象風景と結びついて、記憶されている。素晴らしい音楽にたくさん出会ってきた。それらの多くは、1986年4月8日、あの穏やかな春の午後以降に出会ったものだ。よって、その記憶には必ず使い古しのペシミズムが紛れ込んでいて、その僅かな痕跡すらが、今の私には煩わしい。

よって、それ以前の音楽ばかり聴いている。例外は渡り廊下走り隊とAKB48のみ。あの基本的には肯定的で、無限に近い可能性が開かれていたかのような錯覚が残る感覚で、今を生きるとするならば、それはどれ程のものだろう。絶望の果てというものを、一度見てみたいものだ。

渡り廊下走り隊は、昨日と今日、個別握手会なるイベントを行っている。あやりんこと菊地あやかちゃんは、イベント終了後にスマイレージの新しいDVDを見るのが楽しみだと、ブログに綴っていた。ブログも頑張って更新しているし、私が実際に参加した握手会イベントでもとても一生懸命頑張っていた。過去に何があろうと、一部の古くからのAKB48ファンが何といおうと、私はあやりんのことを支持したいと思った。

はるごんこと仲川遥香ちゃんはイベント後、もうすぐ六歳になるといういとこと食事をしたことを報告していた。ファンスレッドの書き込みで、はるごんの話には普通に家族の話などが出てきて、それが昔のアイドルのようで良いという意見があったが、確かにそう思う。これは私がかつてモーニング娘。の道重さゆみちゃんのラジオを発見して聴きはじめた頃の感想と少し近いのかもしれない。

らぶたんこと多田愛佳ちゃんは喉のコンディションがあまり良くなかったようだが、頑張っていたようだ。あと、写真は相変わらずいちいち可愛い。負けていられない。

2010年6月26日 (土)

或るバンドの紹介など。

現在、別プロジェクトが絶賛進行中のため、こちらの更新が疎かになっている。その全貌については、時期を見てここでも発表していきたいと思う。

それはそうとして、今回はいつもとは若干趣を異にしたブログである。

簡単に言ってしまうと、私の職場で働いている男の子の一人がバンドをやっていて、そのPVが完成したので、よろしければご覧いただきたいということ。

何か、今年のサマーソニックに出演できるかどうかのオーディション的なものに応募しているらしく、それはネット投票で決まるらしい。もしもPVをご覧いただいて、気に入っていただけたならば、リンク先から清き一票を投じていただきたいと思う。期間は道重さゆみちゃん聖誕祭であり、ライヴエイド25周年記念日である7月13日までで、一日に一回だけ投票できるので、もしも極度に気に入っていただけたならば、もう何度でも投票していただきたいと思うのだ。

ちなみに、私の職場で働いている男の子は、このバンドのヴォーカルであり、ソングライティングも行っている。

私が勤めている会社の現場では、バンドなどをやっている男の子や女の子が入って、何年か働いては卒業していきがちな環境な訳だが、そんな彼らとのコミュニケーションのつもりで、これまでにいくつものバンドの音源を聴いてきた。

それぞれに個性があり、ひじょうに微笑ましく思えるのだが、その音楽そのものに心から驚嘆したのは、このバンドが初めてである。昨年、軽い気持ちでiPodで音源を聴かせてもらったのだが、一発で気に入ってしまった。

私のように、ロッキングオンやらNMEが紹介する海外のインディー音楽で育った音楽ファンにとっては、たまらない音楽性である。彼とは音楽の話もたまにするのだが、トム・ヨークやデーモン・アルバーンをリスペクトしつつも、実に多彩な音楽を聴いている。それが、このバンドの、一本筋がとおっていながらもバラエティーに富んだ作風にも影響しているようにも思える。ちなみに、昨日は仕事が終わってから、ジャクソンズとカイリー・ミノーグのアルバムを買っていた。

今回、PVが完成したということで、見てみたのだが、予想以上の出来栄えで、これまた驚いた。昨日、AKB48のまゆゆこと渡辺麻友ちゃんを推してくださっている某ヲタ女子らと、職場の事務所で、私のiPhoneを使って、このPVを見た。出来が思った以上に良かったのだが、その画面の中でカッコよく歌っている本人が、今、売場でレジを打っていることを考えると、何だかそれが可笑しくて、思わずみんなで笑ってしまった。

たまたま私の好みに合っているだけなのかもしれないのだが、ぜひメジャーになってほしいと思わせるバンドである。ライヴをやったりインディーズからCDをリリースしたりしているのだが、実際に生活はなかなか厳しいようだ。

よろしければご覧いただきたい。そして、お気に召しましたら、是非とも投票をお願いしたい。よろしくお願いします。

ちなみに、バンドの名前はWhiteroom(ホワイトルーム)という。

「出れんの!?サマソニ!?」投票ページ


全くの余談だが、Base Ball BearがiTunesなどで、こっそりと新曲を発表した。「KIMONO-ME」と題されたそれは、サカナクションというバンドのメンバーとのコラボレーション作品になっている。これまでのこのバンドに対するイメージを覆す、音響的に凝った造りになっている。私個人的には、聴き込みが足りず、まだ咀嚼し切れていないような状態なのだが、実に意欲的な一歩を踏み出したような印象である。

2010年6月15日 (火)

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2010年5月26日 (水)

触れれば消えゆく幻だとしても。

昼休みに職場のすぐ近くのGEOに寄り、数年ぶりにDVDレンタルというものを利用した。借りたのは、「デュラララ」というアニメの第1巻である。そもそもアニメのDVDを見る趣味などはない。これを見ようと思ったのは、AKB48の渡辺麻友ちゃんが「いいんですよぉ〜」と絶賛していたから。それだけの理由にすぎない。楽しい。

確か3月終わりぐらいからブログに道重さゆみちゃんのことを書く頻度が減りはじめて、並行するようにアクセス数も落ちていった。最近では長く続けていたラジオ書き起こしやNME関連の記事を更新するのもやめた。しかし、実はアクセス数は盛り返してきている。検索キーワード解析してみると、どうやら読者の入れ替わりが進行しつつあるようでもある。

そんな状況なので、以前から継続して読んでくださっている方がどの程度いらっしゃるかは定かではないのだが、そのような方ならば、最近私がAKB48や渡辺麻友ちゃんなどについて書いていることが、以前に道重さゆみちゃんについて書いていたことと何ら変わりがないということにお気付きだろう。対象は変われど、要は同じことを書いているにすぎない。

終わりなき日常を肯定感や充足感を持って生きていくためには、理想となるべき対象、またそこへ向けられた思いの強度が必要となる。結局のところ、私にとってそれは、小娘の姿かたちを借りた天使性でなければいけないのだ。

小娘に媚びるのはもうやめたなんていうことを宣言したこともあったが、結局、私にはこのようなもの以上に価値があると思えるものが、この世の中に一切ひとつも見出せないのだ。私の精神を根底から揺さぶり、何事かを起こさせるに足る美しさである。

きわめて珍奇かつ滑稽だが、私にとって生きるとはどのようなことなのかと突き詰めた結果が、これである。そう考えると、行け!行け!珍奇者と翻訳することができるこのブログタイトルは、実に相応しいものではないかとも思えてくるのだ。

ただし、以前と全く同じようにはならないと思う。これからは意図的にきわめて表層的に行こうと思うのだ。内面に潜りすぎるとスピードが落ちて、行動が鈍くなる。これでは何も変わらない。目で見た、耳で聞いた、肌で感じたこと、それによって引き起こされた感情に素直に反応し、行動すること。これを基本姿勢にしていきたい。

ところで、今日仕事が終わったら、髪を切って「ポニーテールとシュシュ」を買いに行き、帰宅してからは総選挙に投票する予定なのだが、ちゃんと買えるかどうかが不安でもある。この曲の歌詞を読み込むと、一見キラキラしているのだが、実はこの輝きが束の間の幻に過ぎないということが分かった上で書かれていることが分かる。全てはうつろい、やがて消えていく。だからこそ、今ここで感じることこそが全てだ。

2010年5月24日 (月)

表層的でいいじゃないか!

髪を切ろうと真剣にもう決めた。数週間前から予定に入れているものの、他のことを優先してしまい、いまだに行けていない。ということは、本当はおそらくそれほど切りに行きたくはないのだ。しかし、二日後には必ず行く。今日と明日はどうしても無理だから。

とにかく身軽にしなければと思ったら、その欲求が極度に高まったら、何はともあれ伸びすぎた髪の毛が鬱陶しくて仕方がなくなった。昨日まではそれほど気にはしていなかったのだが。

深夜に寝床につき、いつもの習慣でいつもの掲示板をiPhoneで開いたところ、田中れいなちゃんに関するスレッドが数時間で四スレッド目に突入していた。一体何があったのかと思い、少し見てみたのだが、どうやら田中れいなちゃんが自身のブログで書いた内容が問題になり、多数の反論コメントがついたあげくに、記事そのものが削除されたということのようだ。

スレッドにコピペされた文章を読むと、田中れいなちゃんが六月のスケジュール表をもらい、見てみたところ、ソロでレギュラー出演している「歌の楽園」という番組の回数が減らされていて、それが舞台のせいでショックだという内容だった。

舞台の関係者や楽しみにしているファンに失礼ではないかという優等生的なごもっともなコメントが殺到したようだ。舞台のことはよく知らないが、道重さゆみちゃんや田中れいなちゃんのブログを読んだ感じだと、拘束時間が長い割に待ち時間が多すぎるような印象だ。おそらく主役をはじめ、メインキャストの数名だけがスポットを多く浴びるようなタイプの舞台なのだろうか。

私はこの件で、田中れいなちゃんにひじょうに好感を持った。ハロー!プロジェクトやモーニング娘。にもはや思い入れはほとんど無いのだが、私があの集団に感じていたよく分からない閉塞感に一石を投じたようで、爽快ですらあった。

やはり私はそもそもパンク/ニュー・ウェーヴの人だから、こういう表現には好感を持つ。テクニックとかキャリアよりも、センスとアイデア。明らかに遅くて鈍くて古いのに、既得権だけでどっしりと構えているような、そういうものに反感を覚える。ちなみに、この舞台の主役は、私のモベキマスソートにおいて、断然ぶっちぎりのワースト1位である。

とにかく、もっと速く、激しく求めなければ。感情移入とか分析とか考察とか、もはや遅すぎてかったるいことこの上ない。そんなものは感性や体力が衰えて、もうどうやっても思うようにいかなくなってからやればいいのだ。どうせそのうち死ぬのだ。燃やせるうちは生命を思いの限り、燃やすのだ。

ゲームや戦いは日常であり、それにどう参加するかは個人の好きにすれば良い。しかし、もう何だかじっとしてはいられない。不必要なものを振り払って、本質的に、濃密に、良く死ぬために生を選ばなければ。癒されている場合ではない。

このような変化が自分に訪れた契機を探っていくと、どうやらAKB48の「ポニーテールとシュシュ」のPVを見た辺りなのではないかという気がする。青い空の下、白い砂浜の上で、可愛い女の子達が歌い、踊る。このきわめてベタな映像を見て、私の心は躍動していた。そしてこのようなものをこそ、追い求めていかなければいけない。私にとって生きるとはそのようなことなのだ。

2010年5月23日 (日)

わくてかもふもふとは、一体何なのか。

田中れいな、よく言った。あの件についての私のコメントは、以上である。

それにしても、この件で色々なことが分かった。私が道重さゆみちゃんに冷めた理由の本質的な部分とか。あと、優等生ぶった凡庸な正論を垂れ流してカタルシスに酔っている連中、本気で吐気がする。色んな意味で、本当に終りだ。などと暗い話ばかりしていても仕方がない。

まあ、思い通りに行かないことというのは常にあり、だからこそ思い通りに行った時の意味が濃いともいえるのだが、人は可能性を信じられるからこそ突っ走れるのだ。絶望を想像してから物を言え。

その点、私は恵まれている。思い通りに行かないとしても、可能性を信じられるから。具体的に前向きに建設的に現状を打破して行こうとする環境がある。そこに生きることの充足感もある。しかし、これはほんの些細なきっかけで潰えてしまうため、強くたくましく根気強く、日々育てていかなければならないものなのだ。

AKB48の渡辺麻友ちゃんが、金曜日以来久しぶりにブログを更新した。新生チームB公演初日に続いて幕張でのサイン会と、多忙だったのだろう。公演初日の興奮が嬉しそうに綴られた。そして、そこに添えられた写真である。可愛すぎて息がつまりそうだ。「やびゃあ」という言葉がどのような状態を表しているのかが、本当の意味で分かったような気がした。

DMM.comの配信では、この可愛い女の子が動いている姿を見ることができるらしい。何という感動の間近にいたのだろう、私は。帰ったらさっそくダウンロードして見ることにしよう。電車の中吊りで週刊プレイボーイの広告が貼られていて、明日発売の号の表紙がAKB48だ。渡辺麻友ちゃんのグラビアが掲載されている今出ている号が買えなくなってしまう。

乗り換えのJR府中本町駅、NEWDAYSで週刊プレイボーイ、そして、柏木由紀ちゃんとの友撮が載っているFRIDAYも買った。ピルクルは売っていなかったので買うことができなかった。

電車よ、走れ。早く連れて行っておくれ。心の中に広がる果てしなき期待とやわらかな感情。そうか、これがわくてかもふもふという感覚なのか。

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